2009/8/22  16:50

阿蘇のカルデラの町へ  1996〜97原付日本一周後半編

1997年5月25日

昨日にも増して寒かった。
足先が特に冷えた。
フライは結露でビッショリ。

旅をしていて、片時も頭を離れないのが金の事だ。
本当にヤバイ。

必要な物以外にはとにかく買わない。
しかし、土産や記念になる物も買えないと言うのはつらい。

とりあえず阿蘇の方へ進む。
阿蘇スカイラインは原付は100円。

途中、駐車場で火ノ神公園でキャンパーおじさんからもらったインスタントラーメンを作って食べた。
本当は菊地渓谷でキャンプしようと思っていたのだが、人があまりに多いし、値段も高そうだったのでやめた。

阿蘇スカイラインに入って、パッと展望が開けたらさすがに有名になるだけの事はあると思った。
カルデラの眺めは雄大だった。

学生の社会科の授業で、カルデラに人が住んでいると聞いて、火山に人が住むとは、なんて危険なんだと思った事があったけな。

しかし、その規模は半端ではなかった。
実に広大なカルデラだった。

そして大観峰に寄る。
人も多いがバイクもすごかった。
ズラリとバイクが並び、黒い革のつなぎを着た恐そうな人達が群れを成していた。
これを見て、自分はライダーではないんだなと思った。

山頂ではグライダーが乱舞していた。
ここで飛ばしたら楽しいだろうなあ。
自分もラジコンを飛ばしたくなる。

大観峰を後にして途中公衆浴場へ寄った。

川沿いを走っていたら、手頃な広さの河原があったので、そこにテントを張る事にした。

バイクを止めて、ふと後輪を見てギョッとした。
スポークが2本折れていた。

後輪を空回ししてみたが、リムのゆがみは感じなかった。
まだなんとか走れそうだが、早めに手を打たなくてはいけないな。

荷物が多すぎるのと、長距離を走り続けいているのとで、負担がかかったのだろう。
ベンリイ号にはすまない気持ちだ。

翌日、重量軽減のため、小包で不用品を家に送った。6.3kgあった。

佐賀市に入ってからカメラの予備フィルムが残り少なくなっている事に気付く。
今回の旅ではコダクローム64を使っている。
歴史もあるし、色の保存性が優れていると評判だったので。
貴重な記録にはこれかなと。

市内に、まだオープンしたてらしいカメラのキタムラがあった。
品揃えも豊富でもちろんコダクローム64もあった。
比較的安く補充できたので良かった。

道路標識に「長崎90km」とあった。
もうすぐだ。
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2009/8/22  6:55

熊本へ そして異変  1996〜97原付日本一周後半編

1997年5月24日

寒くて目が覚めた。
テントのフライシートの内側に結露。

今だ沖縄の感覚が残っていて、結露を見てあ、そうか本土だったんだと思い直す。
沖縄ではフライに結露するなんてことが無いからだ。

AM6:00。
天気予報では昼頃雨が降り、すぐにやむらしい。
ならば早めに出発して、次へ進もうと思い、撤収する。

本土はまだ少し寒い。
いや、沖縄が暖かいのか。
長袖とセーターを送り返さなくて良かった。

AM7:00頃には撤収も終わり出発。
目指すは熊本。
3号線を走っていたら、突然「バキッ!」と不気味な音がした。

「ん?なんだなんだ?」

慌ててバイクを道路の脇に寄せて、点検。

しかし、この時はどこがダメになったのか全く分らなかった。
走りに支障は無かったから、首をかしげながらも、そのまま順調に走った。

昼頃、熊本市街に入ってウロウロしていたら、天気予報通り、かなりの雨降りに。
幸い屋根があったので、そこに逃げ、濡れる事はなかった。
強い降りだが、こういうのは通り雨である事が多い。
やむまでしばらく雨宿りを決め込んだ。

雨がやみ、せっかくだからと熊本城を見る事に。
しかし、ここも都会。
人と、車と、信号の多さに疲れてしまった。

やっとの思いで城に到着。
中には入らず、外から天守閣の見える所で記念写真。
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とっとと都会は離れて、人の少ない山奥に行きたくなった。
金峰山へ行く坂道を振り返ると、熊本市街が見渡せる。
モヤがかかって見にくかったが、大都会だった。

天気はすっかり回復して、さっきの雨がウソのようだ。
今日の宿泊地に決めた、玉名市の丸山キャンプ場へ一路。

あちこちに温泉があり、けっこう助かる。
バイクのエンジンを唸らせながら、急坂を登り、16:30頃到着。
しかし、駐車場からテントサイトまでけっこう離れていたので(200mくらい)、そこでのテント設営はあきらめ、近くの空き地に張る事にした。
高度は約290m。

夕食。
ジャガイモをスライスしたのを油で炒め、波照間で買った小粒餅があったので、焼いて食べた。
犬が二匹、つがいらしい。
クンクン言いながら寄ってきたので、餅を2個ずつあげた。

日増しに疲れが酷くなる。
早めに寝よう。
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2009/8/19  22:57

あるキャンパーさんと  1996〜97原付日本一周後半編

1997年5月23日

朝はけっこう冷え込む。
割と良く眠れた。
前日から駐車場に止まっていたあやしい2トントラック。
東京ナンバーだし、フェリー待ちの運送屋にしてはどうもおかしいと思っていたら、キャンパーの車だった。

自営業で、運送屋をしていたが、辞めて、その車で旅をしているとのことだった。
幌の中を見させてもらったら、中にはホンダのオフロードバイクのXRバハが入っていた。

幌のおかげで雨風は十分に防げる。
これは一種のキャンピングカーには違いないと思った。

おじさんはとても穏やかでいい人だった。
自分が貧乏旅していると察してか、色々物をくれた。
インスタントラーメンや調味料など食糧援助は何よりもありがたかった。

この人も15年前(1997年当時)にオフ車で日本一周した人だった。
当時35歳。
今は50歳だ。元気だなと思った。
でもダートを走る時は体にこたえるらしい。
歳ってやっぱあるんだなと思った。

お返しする物がなくて困っていたら
「自分にはいいから、次にだれか困った人がいたら、その人を助けてあげなさい。それが私への恩返しですよ。」
と言った。
心にジーンときた。
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こうしてこの人と別れて、出発した。

さて、出水(いずみ)と言う所に特攻記念公園というのがあって、ちょっと立ち寄った。
かつて海軍の陸攻基地があったらしい。
公園は基地の入り口だった所らしく、衛兵所があったり、コンクリートの防空壕が残っていた。
壕は自由に入れる。しっかりした作りだ。
その中には、撃墜された1式陸攻の外板の一部が展示されていた。
壕の小山の上には、石碑と海中から引き上げられた航空エンジンとプロペラが2基づつ置かれていた。
ここからは、1式陸攻隊が特攻に出撃、約200名が戦死した。

ここは今は特攻よりも鶴の飛来地として有名らしく、あちこちに鶴の像が設置されていた。

時計を見たら17:00を回っていた。
陽はまだ高かったが、そろそろ宿泊場所を探さなくては。

途中水俣病で有名な水俣市に入った。
この公害病の発生源である化学工場の「チッソ」も堂々と建っていた。
実際に目の前で見るまで、「チッソ」会社がこんな大規模な所だったとは想像をはるかに超えていた。
いかにも化学工場らしく、パイプがごちゃごちゃと入り組んだ塔が幾つも立ち、毒々しいタンク類が広い敷地の中に並んでいた。

ここを通り過ぎるとすぐに街の景色から山に変わっていた。
段々になった水田の石垣が、まるで城のそれのように、キッチリと組まれていた。

さて、川はあるのだが、テントを張れる適当な広さのある河原がなかなか無い。
ようやくテントがギリギリ張れるスペースを見つけそこで今日は終わる。

沖縄から九州に上陸して3日目。
だいぶ疲れてきた。
マットの下の大きな石が背中に当たるが、疲れの方が多くていつの間にか眠ってしまった。
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