2008/3/31  23:42


ある日の夜、夕食を終えてから、Uさんを呼んで、二人で西の浜に行った。

そして、Uさんに自分の思いを打ち明けた。
好きになったこと。心の苦しみのこと。つきあいたいこと。ずっと考えていたことを、自分自身に語るようにUさんに話した。


ダメだった・・・


Uさんにとって、僕は、キビ刈りで知り合ったよき仲間であり、そして、道は違っても、挫折と喜びと悩みを経験した者同士と言う事だった。

とにかく自分の気持ちは全て打ち明けた。
ダメだったにしても、良い友達としての付き会いが始まった事になった。
Uさんも喜んで受け入れてくれた。そして握手をした。

「Kくんは十分に良いものを持っているよ。あまり自分を責めないで、『ダメだ、ダメだ』と言わないほうがいいよ。そう言う事が心にどんどん溜まってきて、本当にダメになってしまうから・・・」
と言うのが、僕の一番心に残る言葉だった。

そうか、そうだったのか。
古い劣等感を捨てて、もう少しのびのび生きてもいいのかな?と感じている。

寮に帰り、T君に言った。
彼は残念そうに僕を見ていた。

スッキリしたが、でもフラれるというのはやっぱりつらい。

いまはポッカリと穴が開いたような感じがして、苦しさが残る。
ま、いずれこの傷も癒えるだろう。



翌日、昨夜の事が強烈にブリっかえしてきて、飯ものどを通らなかった。
フラれたと言う事がものすごくつらくて、悲しくて涙が自然に出てきてしまった。
どうしようもないので、テーブルから外れて、自分の寝床に行って落ち着くまで泣き崩れた。

この日は働いた。目一杯働いた。
そうすれば吹っ切れるかもしれないと思ったから。

キビを倒し、葉っぱを取り、キビを積み上げるこのキツイ作業を夢中でやっているうちに、気が楽になってきた。
T君が心配そうに、しかし、どこか面白そうに
「だいじょうぶッスか〜?」
と聞いてきた。
「今はダメ。落ち着くまでもう少し時間がかかりそうだよ。」
と言っておく。

苦しい。苦しいんだけど、言って結果が出たから楽になった。
残念だったけど、でもいいじゃないか。
自分にとって大きく前進できたじゃないか。
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タグ: 沖縄  キビ刈り

2008/3/30  23:11


単調でひたすらキツいキビ刈りの日々を過ごしていると、思考回路がシンプルになってくる。

今までは、何かとゴチャゴチャ考えて、いつもモヤモヤした感じで生活していた。
それが、激しい肉体労働をすることで、体が疲れているので、余計な事を考えなくなる。
食って、寝て、働いて、また食って、寝て。

頭で考えるのではなく、体で感じるというか、少し野性的な感覚に近いかもしれない。
うまい、まずい、きれい、汚い、嬉しい、悲しいと言ったように、喜怒哀楽がはっきりする。


さて、キビ刈り隊の中でただ一人の女性のUさんは、人柄が良く、笑顔がとても素敵な人だった。
かなりの行動派で、ボランティア活動で、アジアやアフリカに行った事があるそうだ。
自分と歳が同じだったので、親近感もあった。
休憩時間や仕事の後に話をしたりするうちに、彼女には彼女の悩み、絶望、喜び、があり、目標に向かって突き進んでいこうとする姿に惹かれていった。

キツイ作業の合間に見せてくれる、Uさんの笑顔は本当に良かった。
キビ刈り隊のマドンナ、クバ傘が似合うモンペ姫・・
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そのうちに、Uさんの事で頭がいっぱいになってきた。
どうやら恋をしてしまったらしい。
実の所、恋をするのは本当に久しぶりだった。
胸から込み上げてくる、息が苦しくなるようなこの気持ち・・・
こんな事になるとは、全く夢にも思わなかった。

感情がシンプルになっているので、Uさんの事を思うと、ドキドキして眠る事すら出来ないほどだった。
Uさんは、2月に波照間を離れてしまう。
もう二度と会えないかもしれない。
波照間を出る前に、結果がどうなろうとも、思いは伝えておきたい。
言わないで後悔するより、言ったほうが良いに決まっている。

ある日、仕事が終わって寮に帰ってナタを研いでいた時に、T君にこの事を打ち明けた。
17歳と若くて弟みたいで話しやすかったから。
彼も喜んで聞いてくれた。

彼も彼の彼女の事で悩んでいた。
この事を話した事で、T君とも一歩親しみが増したと思う。
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タグ: 沖縄  キビ刈り

2008/3/29  22:46

ハーベスター登場  1996〜97原付日本一周沖縄編

畑によっては、キビ倒しに「ハーベスター」という農業機械を使う事があった。
ゴム履帯のついた、戦車みたいな機械だ。
人によっては「バリカン」とも呼んでいた。

これは、東京から波照間に移住してきた、STさんがカブでやって来て、機械を動かしていた。
製糖工場から機械を借りたと言う事で別料金になるそうだ。

休憩時間に、ちょこっと座らせてもらう。
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ハーベスターの時は、ウネに沿ってキビが倒されるので、手刈りの時とちょっとやり方が変わる。
その時に書いたメモがこれ。
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ハーベスターが畑に入りやすいように導入場所を作るのだが、これをマクラ刈りと言った。
道路に面した畑の端3メートル区画だけ刈っておく。

機械だけにたちまちキビを倒していく。
同じ面積で手刈りより数倍早い。
しかし、曲がったキビなどには相性が悪く、粉々に粉砕されてしまう事があるので、必ずしも機械が良いというわけではないようだった。
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2008/3/28  22:22

西の浜の夜に  1996〜97原付日本一周沖縄編

キビ刈りが始まってから何日か経った。
皆ともうまくいっているので安心だ。

作業の疲労のせいか、指の関節が腫れた時の様な変な感じ。
グーパーが素早く出来ない。
ペンを持つのもだるい。
聞いてみると、皆もそうだという。

OMさんが、ひと通り皆の特性を知ったようで、係りを決める。
元自衛隊員のOさんはさすが体力があり、現場の隊長に任命される。
Sさんは、年長と言う事で、寮長に任命される。
波照間キビ刈り隊が形になってきたと言うことかな?

因みに自分は、弁当当番。
と言っても、作るのではなく、毎日石垣島から高速船で配達に来るのを港まで取りに行く。
波照間には弁当屋とかコンビニがないのだ。(1997年当時の話です。さすがにコンビニは現在も無いです。)

新たに2人入ってきた。
大阪から来たOG君と、横浜から来たKKさん。
OG君は2ストのオフ車乗りで、ぶっきらぼうで礼儀知らずな感じ。
KKさんはチャリダーで、明らかに自分より年上だ。


仕事が終わったある夜に、皆で西の浜で星空を見に行った。

17歳のT君は、親に捨てられて、親戚に育てられたそうだ。
ずいぶん大変な思いをしてきたようだ。
若さもあるだろうが、好奇心と生きる力がみなぎっている感じ。
キビ刈りが終わったら西表へ行き、その後台湾から東南アジアへ行くのだそうだ。

Uさんは自分と同年と言う事もあって、話せる人だ。
おっとりしているが、芯の強さがある女性だなと思った。
教員の免許を取るために、2月で帰ってしまうとのことだった。

なんだかんだと話しているうちに、またこのメンバーで何年後かに会おうという事になった。
いつにしようか?と言っていたら、何となく2000年の1月31日に決定。
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その後、2000年になって再びこの西の浜に来たが、来れたのは自分とSさんの二人のみだった。
Uさんからは事前に来れないという連絡をもらっていた。
他の人達は今どうしてるかなあ?なんてSさんと暗闇で話したものだ。
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2008/3/27  23:12


覚悟はしていたが、やはり農作業はきつい仕事だ。
雨が降ってしまうと、さらに体力を消耗する。
長靴の底に葉っぱの混じったドロがまとわり付き、ダンゴみたいになってしまう。
歩きにくいのなんのって。
服がドロドロになってしまうので、雨合羽を着ているのだが、これがまた非常に蒸れる。シャツもズボンも汗でビッショリになる。

さて、始めの頃の1日の収穫高は、7人で3.5t。
OMさんが言うには、5tは刈らないと合わないそうである。
今でも一杯一杯なのに、目標には程遠い。
半端でなくキツい。

仲間とは割合うまくいっているのが救いだ。
日が重なるにつれ、疲労がたまってくる。
絶対に辞めるわけにはいかないので、ナニクソと精神力で踏ん張る。
しかし、傍から見ていると、今にも倒れそうで、顔が青ざめていたという・・・
後でOMさんから聞いたが、こいつ本当に続くだろうか?と思っていたそうだ。
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2008/3/26  22:40

キビ刈り始まる  1996〜97原付日本一周沖縄編

1997年1月12日
いよいよキビ刈りが始まる。
朝7:00頃起床。

8:00に畑へ。
前日に練習で倒したキビの葉っぱ取りをする。
キビ倒しにはナタを使う。
前屈みになっての作業なので、かなり腰にくる。
慣れた人でも、ぎっくり腰になるほどの重労働だ。
1人3畝を受け持ち、倒したキビを山にする。
キビは大抵は反っているので、作業しやすいように向きを揃えておく。

ある程度倒したら葉っぱ取り。
葉っぱ取りには、先端が二股に分かれた鎌を使う。

当時取った作業のメモ。
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自分は左利きで、キビをナタで倒した時や、葉っぱを取る時にどうしても、皆と向きが反対になってしまうので、これは困った。

右手に持ち替えては力が全く入らないし、作業も極端に遅くなる。
なるべく左端に行くようにして、皆と干渉しないようにした。

葉っぱを取ったキビは、パッと見は竹のようだ。
これらを束にして、何箇所かに集め、大きい山にし、ロープで縛る。

この後に、トラクタでキビの山を一箇所に集める。
最後にユニック付きのダンプが、製糖工場へ運んでいくという流れだ。
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2008/3/25  21:41

仲間が増える  1996〜97原付日本一周沖縄編

1997年1月11日
新たに4人のアルバイトが来た。
静岡のSさん、埼玉のKKさん、宮崎のT君、横浜からUさん。
Uさんはこの中でただ一人女性である。

新しく来たメンバーと、OMさん、KYさんと、東京から波照間に移り住んだというSTさん、それに自分とOさんで軽く宴会をした。

メンバーもほぼ揃い、いよいよ仕事が始まるんだなと心を引き締める。
今までは自由に起き、食べ、走り、眠って奔放な生活をしてきた。
自分に甘える事のないようにしっかりしよう。

翌日、OMさんが寮に来て、キビ植えの続きをやると言ったので、今回は4人でやった。
耕うん機のエンジンは慣性起動式。
クランクを差し込んで、グルグル回したらイグニションにつなぐ。
しかしこれがなかなかうまくいかない。 くやしい〜。
結局OMさんがエンジンをかけた。

自分達が耕うん機を操作してウネを作るのだが、少し蛇行してしまった。
今回は4袋分のキビ植えなので、あっという間に終わった。
この後、キビ刈りの予行演習を全員でやった。

晩ご飯のおかずは、オカラと菜っ葉とツナの炒め物。
味付けは味の素、しょう油、塩。

炒める順番は、まずオカラ、次にツナ1缶、そして菜っ葉を入れ、オカラが焦げ付かないように、油をたっぷり使い火加減に注意する。
よくかき混ぜてオカラにほんのり色が付いたら味付けして出来上がり。

OMさんが味付けをしたので、とても美味しかった。
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2008/3/24  22:58

農作業の手伝い  1996〜97原付日本一周沖縄編

キビ刈りが始まるまでにはまだ日にちがあったので、畑の手伝いをする事になった。

KYさんの畑に砂糖キビの苗を植える。
幅50m長さ70m位の広さ。

OMさんがまず耕うん機でウネを作り、そこにできた溝に30cm位に切られたキビの苗を一直線にすき間なく並べ、足で踏んで行く。
キビの苗がパンパンに詰まった袋はけっこう重い。

普段はもっとすき間をあけて割とラフにいくらしいが、苗を切ってから10日以上たった古い苗だったので、植えた後に幾つかは生えない可能性があるため、なるべくすき間のないようにするためにそのように植えるのだそうだ。

準備しておいた長靴が、早速役に立ったわけだが、団子状になった土が履き口から入ってしまい、靴の中は土だらけになってしまった。

苗が終わったら、次は肥料撒きと薬やり。
肥料は粒状で、それを撒く道具がある。
まずタンクに肥料をいれ、一杯になったら背負って、掃除機のパイプくらいの太さの散布ノズルがつながっているので、均等に撒いていく。

そのような文明の利器がない場合いは、20kg入りの肥料袋の口を10cmくらい開け、肩に抱えてザラザラと歩きながら撒いて行く。

苗から芽が出たての頃は虫にとても弱く、芯を食われてしまうのを防ぐために、粒子状の薬を少量撒く。
これが終わったら、土をかぶせて苗植えは完了。
作業自体は簡単だった。

KYさんは、モニタリングステーションの管理もやっている。
KYさんからの依頼で、施設の周りの雑草取りもやった。
Oさんが草刈機を使って、ボウボウにのびた草を刈る。
自分は刈った草をまとめて捨てる。

草刈機はエンジンではなく、モーターだった。
まるでラジコンヘリのような音だ。
なぜモーターなのかと聞いたら、エンジンから出る熱で、観測データが狂ってしまうせいだという。
かなり精密な観測をしているんだなあと感心した。
そのうち見学させてもらえるというので、楽しみだ。
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タグ: 沖縄 波照間 原付

2008/3/22  10:48

波照間での生活  1996〜97原付日本一周沖縄編

年が明け、テント生活から、屋根のある家の生活に入る。

北部落にある空き家が自分達の住む寮となる。
元自衛隊員のOさんと自分がまず入った。
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空き家だったので、床にはゴキブリやらねずみの糞が散乱していた。
まずは掃除から。
OMさんは台所にお供えの花を添えて、火事が起きないように安全祈願。

3人で明日以降の予定を話し合う。
OMさんの話では、数日後にさらに数人入る予定だと言う。
どんな人達が来るのだろうか。
この時、製糖工場で働くK君が訪れてきて、楽しく雑談や仕事の話をする。

OMさんは16年以上調理師として働いていたそうで、料理の知識がとても豊富で勉強になる。

この日作ってくれたのは、パパイヤと葉っぱ、大根の味噌汁。
インスタントラーメンを使った醤油ヤキソバ。
葉っぱを炒める時は、手早く。そうすれば歯ごたえがあって美味しい。

人数が揃って、キビ刈りが始まったら、当番制で自分達で皆の飯を賄わなければならない。
道具類はOMさんが用意してくれたので、大概の物は作れる。
米を炊く電気釜がデカイ(一升炊き)のにびっくりしたが、人数が集まってキビ刈りをやると、これ位の大きさが必要だとの事。
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タグ: 沖縄 一人旅 波照間

2008/3/21  11:06

1997年を迎える  1996〜97原付日本一周沖縄編

1997年平成9年
近くにテントを張っている、自分と同い年のK君に起こされ、最南端の高那崎へ初日の出を見に行った。
天気はイマイチだったが、太陽の出るところはかろうじて雲が切れていた。
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「最南端の島で、初日の出か・・・」

こんな所で、正月を迎えるなんて想像しただろうか。
1ヶ月前まで、ここにくる事すら想定していなかったのだから。
良いのか悪いのかと言うのは、全く野暮な疑問だろう。

とにかく、どんなにつらくとも、ここで金を稼ぎ、無事家に帰ることだ。
そして、旅する者として、豊かな時間を過ごす事。
これが今自分にできる事だ。

太陽が上がってから、高那崎でのんびりした。
岩はすべて珊瑚の化石で、エッジが立っているので、転んだら怪我をする。
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険しい崖に荒々しく波がぶつかり、飛沫となって砕け散る。
釣り好きの人には、絶好のポイントだそうで、大物が釣れるらしい。

そして最南端の碑の前で。
右のが古くからある碑で、左の日の丸入りは、後にどこかの団体が設置したらしい。
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テント場に戻ると、キビ刈りのアルバイトでお世話になるOMさんが来た。
これから海に潜るので来るか?という誘い。

自分は泳げないので断った。
K君が付いていく事になった。
浜から、彼らが獲っているのを見ていた。

しばらくしたら戻っきた。
K君が「やったゾー!!」と言って、大きなタコを持ち上げて見せてくれた。
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水ダコと言うらしく、大きさは120cmくらい、5kgはあっただろう。
この他にも貝とかたくさん獲れていた。
これらを炭火で焼き、醤油をたらして食べた。
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シャコ貝もあった。
すし屋だったらいったいいくらするのだろう?
貝柱はとても美味しかった。
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缶詰やインスタント食品ばかりだったので、こういった新鮮な魚介類は、とても贅沢な御馳走だ。
OMさんK君、どうもありがとう。
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タグ: 沖縄 一人旅 波照間

2008/3/20  21:09

波照間島の文化  1996〜97原付日本一周沖縄編

朝の何時だったろうか。
島の人らしい女性が2人、テントを張っている自分達のスペースを通り過ぎ、草むらに消える。そして、しばらくしたら帰って行った。

こちらが「おはようございます。」とあいさつしても、目をそむけて、決して話そうとはしない。
姿がちょっと変わっていた。
白い服に、頭にも何か布を巻き、片方の手に杖を持ち、もう片方の手には15cm位の木の実をえぐったようなのにひもを付けた物を持っていた。

「この島の儀式か何かだろう。」と皆で推理したりした。

これは後で分かったのだが、2人の白装束の女性は「つかさ」と言って、島の神事や、あちこちにある「うたき(もしくはおがん)」にいる神様の世話をするそうである。
テントを張っている場所のすぐ近くに、うたきがあるようだ。

つかさは、簡単になれるものではなく、神事も年に数回しか見られない。
いや、本来は見てはならない。
とくに、男性は絶対会ってはならないらしい。
つかさを見かけたら避けてまわり道するほどだと言う。

まあ、外から来た知らない人は例外ということで、バチが当たるという事はないそうなので、ひと安心。
二度と見る事はできないであろう。


波照間島は1周が15km程の小さな島だ。
走る所ほとんどが砂糖キビ畑。
あちこちに山羊がいる。

日本に3基しかないという、大気の成分を調べる「モニタリングステーション」がある。波照間の他には、北海道の根室、茨城にあるそうだ。

さて、NT君の誘いで、島で一番の歌い手と言われる、後冨底周二さんのCD発売記念のパーティがあるというので、他のキャンパー達と一緒に、ビニルハウスが並ぶすいか畑の中にある番小屋へ行った。

周二さんは、一見するとヤクザ(失礼)のような風貌で怖いが、実はとてもいい人のようだ。
20人くらいが集まり、番小屋はギュウギュウ詰めだった。
オリオンビールと泡盛、そして周二さん自ら腕をふるった山羊鍋、ブダイなどの刺身など、とても美味しくいただいた。

20人も集まるとさすがに熱気がすごい。
周二さんの名人芸的三線と歌で多いに盛り上がった。
この時初めて沖縄の文化に肌で触れた。
自己紹介を兼ねて、安里屋ユンタで一人づつ歌い回しするのだが、自分はこういうの大の苦手で実に困った。

夜も深くなり始めの頃、ひと段落した所で抜け出した。
いや〜ものすごい濃い空間だったわ〜。

翌日は二日酔いで沈没。
頭がガンガンしてほとんどテントで寝ていた。
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タグ: 沖縄 一人旅 波照間

2008/3/19  22:42


1996年12月28日

・・・約1ヶ月の米原(よねはら)キャンプ場での生活も終わりを告げる。

これから波照間島に向かう。

キビ刈りをするのに、登山靴と普通のズボンではどうにも都合が悪いと思い、作業用のズボンと長靴を買う。

前日の夜は、気の合う仲間と焚き火を囲んで軽く飲み、これからの事を話した。
そして、再びここ米原で会えたら良いね、と言う様な感じでお開きになった。

米原キャンプ場から離島桟橋までは約20kmほどある。
寝坊して船に乗れなかったら大変なので、お開きの後、荷物をまとめて夜中にキャンプ場を出発。

ついに、というかやっとこさ動き出した。
フェリー乗り場の待合ベンチで寝る事にする。


翌朝6:20頃目が覚め、荷物をまとめる。

窓口が開くと同時に、波照間行きのフェリー券を買う。
これで、金はほとんどスッカラカン。
もう後には引き下がれない。

製糖工場で働くカブ乗りのK君も、一緒に乗船。
朝9:00石垣出航。
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海は穏やかで、小さいフェリーだが揺れは少なく、船酔いはない。
天気はとても良くて、12月の気候とは思えない。
初夏のような感じである。

思えば遠くへ来たもんだ。
北の端から南の端へ。

これからどんな事が待っているのだろう。

11:15頃
波照間港着
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西の浜の空き地にて数人とテントを張る。
1996年当時、波照間では黙認という形で林間や浜などでキャンプは可能だったが、現在は八重山諸島全体でキャンプ場以外のテント泊は禁止となっている。
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タグ: 沖縄 一人旅 波照間



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