2007/11/30  23:20

善通寺市にて  1996〜97原付日本一周

紫雲出山(しうんで)と言う所は、浦島太郎伝説発祥の地らしい。

ここで一休みして、バイクから目を離していたら、カラスにゴミの袋をつつかれて破かれてしまった。

あちゃー。

しかし、不思議と憎たらしさは湧かない。
袋は二つぶら下げていたのだが、一つは空き缶。
もう一つの生ゴミをちゃんと見分けて破いていたのだった。

夕方、善通寺市に入り、コインランドリーで洗濯をする。

この後、標高400m程の山を登り、キャンプ場に到着。
季節外れの平日の夜とあって、人っ子一人いなかった。
キャンプ場の隣は野田院古墳となっている。墓かよ!
しかし、ここからの眺めはなかなか良かった。
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夕食はスパゲティに、鳥のミンチ軽く丸めてつぶし、ミニハンバーグ状の物を作った。
味は塩・コショウだけ。
ガソリンバーナーを使って弱火にし、じっくりと焼き上げる。
ジュウジュウと音をたて、うまそうなにおいがしてきた。
スパゲティと一緒に食べる。うまかった!
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2007/11/27  22:36

四国を走る  1996〜97原付日本一周

日本一周とはいえ、ただ海岸線を走るだけではつまらない。
内陸方面を走ってみた。

坂道を登るにつれ、景色が素晴らしくなってゆく。
山の木々が赤や黄色に色付いて見事な色彩だった。
抜けるような青空も、それらを鮮やかに見せる手助けをしていた。
天気が良いというのは、何と気持ちのいいものなのだろう。

そのかわり、冬型の気圧配置のため、標高が上がるにつれ、寒くなったが。
これから自分にどんなものを見せてくれるのか、楽しみになってきた。

有名な銭型の砂場を見に行った。
近くだと何が何だかわからない、ただの砂の山。
琴弾公園の70m位の丘を登るとそれが見える。
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時代劇の「銭形平次」のオープニングで、ここの景色が映っていたのを思い出す。
まさか、こんな所だったとはねえ・・・
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この近くで一泊し、翌日この風景をスケッチした。
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2007/11/25  21:16


岡山から広島の尾道にかけては比較的単調なツーリングだった。
福山市芦田川の河原で、沼田川の河原でそれぞれ一泊して、四国に入る事にする。

午後の便のフェリーに乗った。
久里浜フェリーよりは小さいが、トラックや乗用車を数十台は飲み込んでしまう。
見かけよりは懐の大きい船のようだ。

瀬戸内海はとても穏やかだ。
船はほとんど揺れない。
まわりの話し声を聞いていると、関西弁とは違うイントネーションが響き、さらに違う所に来たんだなあと思った。
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1時間10分ほどで、四国の波方に入る。
桜井公園の広場でテントを張った。
ここは野良犬が多かった。
まあ、おとなしい連中だったので、吠えられたりはしなかったから良かったものの、気が気ではなかった。

夕食を食べていても、ちょこんと座って、ジッとこちらを見ているのだからたまらない。
本当は遊んでやりたいが、付いて来られると困るので、さっさと食べて、道具をしまい込み、テントのチャックを閉めた。
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2007/11/22  23:04

姫路から岡山へ  1996〜97原付日本一周

次に向かうは世界遺産の姫路城。
しかし、中まで見る余裕はなかったので、外で記念撮影。
また来る事を誓う。
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そして、この後は学生時代のクラスメートが住む岡山へ。
国道2号線はトラックの交通量が多く、皆スピードを飛ばすので怖い。
実際2件ほど、バイク事故の現場も見た。

途中ライトのタマが切れてしまったので、魚住清水辺りのバイク屋に寄って、タマを交換した。

しばらく走って、クラスメート宅に電話してみる。
在宅していたので良かった。
久しぶりの再会。
自分の旅の目的や、これからどうするのかを話した。
2時間ほどお邪魔して、再び出発。
教えてもらった八幡国際温泉会館に寄って、ひと風呂浴びる。

この頃にはすでに薄暗くなってきたので、旭川ぞいでテントを張る。
クラスメートに忠告されていたが、この辺りはオウムの残党が潜んでるとかで、パトロールが多いらしい。
まあ、幸い自分がテントを張った晩は起こされる事はなかった。
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2007/11/21  22:33

神戸 五色塚古墳  1996〜97原付日本一周

和歌山から大阪を抜けて、兵庫に入った。
神戸にはテントを張れそうな所がなかったので、ユースホステルに泊まる事にした。
垂水、須磨は学生時代の修学旅行以来久しぶりだった。

その間に阪神淡路大震災があった。
それから数年。
国道42号線を通った限りでは、震災の爪跡は分からなかった。
高架橋の柱の補強工事をしていたが。

しっかし車スピードぶっ飛ばすのなんの。
走るの怖かった〜。

垂水YHは泊まりやすくて良い空間だった。
ミーティングルームには過去のホステラーが撮った写真などが飾ってあってちょっとした歴史を感じる。

翌日、YHを出発し、日本で唯一と言われる、ある古墳を見に行く。
五色塚古墳と言って、古墳が作られた当時を復元した前方後円墳だ。
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古墳と言うと、地上からでは、木が生い茂った小高い丘と言った物しか浮かばないが、ここはきっちり整備されていて、円筒埴輪(樹脂製の復元)とか敷き石などがそのまま見れる。
海に面した閑静な住宅街の中にそれはあった。
古墳の見学は無料。
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見学する人は全くおらず、維持とか大変だろうなあと思った。

五色塚古墳は、小学生の時に図鑑か何かで知って、ずっと見たいと思い続けていた所だったので、これで一つの目標が果たせた。
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2007/11/14  21:32

白浜ゼロ・パークへ2  1996〜97原付日本一周

施設内をくまなく見て回る。
海軍の潜水艇特攻兵器「海龍」などもあった。

お目当ての零戦63型と対面。
簡単なテント屋根があるだけで、大事に保存されているとは思えない。
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白黒写真しかないが、95式軽戦車
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高射砲もあった
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お粗末な保存状態と閑散とした雰囲気から、今後ここが維持できるとはとうてい思えず、心配になりながらここを後にした。

数年後、心配した通り、「ゼロ・パーク」は閉鎖されてしまった。
各展示物は各地の新たな施設に引き取られて行った模様。

零戦63型や海龍は、近年オープンした広島県呉市の「大和ミュージアム」に引き取られ、丁寧なレストアを受けて、大事に展示されおり、ひと安心と行った所です。

しかし、95式戦車やその他はどこに行ったか詳しい事はまだ知らない。

さて、和歌山を走り、那智黒飴の看板が多いなあと思いながら走り去る。
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夜は加太の○平「マルヒラ」中華そば専門店でラーメンを食べる。
感じの良いおじさんおばさんの「おおきに。ありがとう」の言葉が頭に響く。

ああ、関西弁だ・・

関東の自分には、関西の言葉の響きが新鮮に聞こえるのだ。

日はすっかり落ちていたので、とりあえず適当に紀ノ川の河原でテントを張る。

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10月も下旬だったので、夜は結構冷え込む。
あまりの寒さに目が覚めて、シュラフの上にコートをかけたがそれでも寒かった。
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2007/11/13  23:55

白浜ゼロ・パークへ1  1996〜97原付日本一周

居心地の良かった潮岬キャンプ場、もうちょっと居たかったが、先を急ぐので、荷物をまとめて出発。
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次に向かうは、白浜の「ゼロ・パーク」。

戦時中に、零戦63型がエンジン不調で琵琶湖に不時着水した。

後年それが引き上げられ、修復されて京都嵐山美術館に展示されていた。
しかし、経営不振でそこは何時しか閉館。

それが和歌山の白浜に運び込まれて、「ゼロ・パーク」として展示される運びとなったようだ。

いつか見たいと思っていて、それがようやく実現する運びとなりました。

途中、道の駅「イノブータンランドすさみ」で小休止、女性ライダー3人と軽く会話を交わしたりした。
傍らに見る海はとにかく素晴らしくきれいだった。

あちこちにスキューバダイビングセンターがあり、色とりどりのウェットスーツに身をつつんで潜りに行く様子が見かけられました。

しばらく走って白浜町に入る。海も砂浜もきれいだ。
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寄り道の後、ようやくゼロ・パークに到着。

ここは言ってみれば旧日本軍の兵器展示場。
貴重な歴史的遺物の集合場所。

人は非常にまばら。

こんな状態では運営は決してうまくいってないだろうな、などと勝手に思ってみたり。

銃火器はガラスケース内に展示されていた。
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大型兵器は屋外展示なので、潮風に吹きさらしの展示はいかがなものか?と感じた。
できることなら、建物の中で保存してもらいたいなと思いました。
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2007/11/10  22:22


日本を走ると、なぜか岬のような端っこに行きたくなります。
本州を南下して、目指した場所は、紀伊半島の潮岬でした。

木曽川を渡ってしばらく走ると三重県。
「北海道」の名付け親の松浦四郎という人は三重県の人らしい。
当時自分の中で三重県は日本謎の三県の内の一つでした。
あと二つは福井県と佐賀県でした。

三重県がまずどの場所にあるのかわからない。
関西なのか中部なのか?
どのような特徴があるのかわからない。

そんな謎探しも楽しみの一つです。

当時の自分なりの三重での発見は、伊勢神宮、桑名の焼き蛤、松坂牛、真珠、鈴鹿サーキット、四日市ゼンソク、といった所でした。
探せば有名な物がかなりあるものです。

四日市は工業地帯だけにどことなく灰色のモヤがかかり工場の煙突からもうもうと煙を吐き出していた。

鈴鹿サーキットの前には無料のキャンプ場があって、なかなかに魅力的でしたが、目指すは潮岬。前に進む。

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屋久島と並んで降水量の多い尾鷲を通り過ぎ、熊野市海岸を走り、20:00頃になってようやく潮岬に到着。
ここは本州最南端。
無料のキャンプ場があって助かる。
この日は20張のテントがあった。
テントを張って、疲れた体を横たえる。
テントの外から聞こえてくる会話は関西弁。

関西圏に入ってきたんだなあと実感する。

本州最南端の看板の前で記念撮影。
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フル装備荷物の写真を撮ってみた。
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