〈ブーム以前〉
ケイブンシャの機関車電車大百科(1975年)、特急私鉄大百科(1976年 ブルートレインに関して大きくページを割いている)、特急急行大百科(1977年)はいずれもブルートレインブーム以前の発行である。ブルートレインブーム以前にも鉄道少年はかなり、出版物の利益となるぐらい存在している。何しろ第二次ベビーブームで母集団も大きいのである。
大人が中心のSLブームがあったし、鉄道100年で記念切符も全国的に大量に出ていた。ブルートレインブーム以前に下地はあったのである。
実はブルートレインそのものも、この頃は変化の時であった。まだ東京から九州方面に向かう列車に残っていた20系、24系を、新造、あるいは関西から転属した24系25形に置き換え、20系は急行用に転用または廃車、24系は上野から東北方面に向かう、それまで20系を使用していた列車に転用するという、いわば「若返り」が行われ始めたのだ。
当時「デラックスあさかぜ」と呼ばれた個室寝台車も置き換えの対象となり、新形式「オロネ25」が作られる事となった。
これらの動きは鉄道雑誌(鉄道ファン、鉄道ジャーナル)にも取り上げられ、少年ファンもこれを記録しようとした様子が、当時の雑誌からも判る。一連の動きは1980年10月の「あけぼの」置き換えまで続く。
〈ブームはいつから?〉
このブーム、すなわち元々の鉄道少年以外を巻き込んだ現象は、スーパーカーブームの一段落した1978年夏以降とされる事がある。
しかし、実はそれ以前から始まっていた事が判った。1978年春、3月5日放送のTBS系列「日曜☆特バン」で岸ユキが関沢新一とともに寝台特急を東京から西鹿児島まで乗車レポートしている。当時の話を聞くとこれがよく出てくるが、これがブームのきっかけではないかとも思われる。
当時大人気だった「ドラえもん」には「ブルートレインはぼくの家」というエピソードがあり、1980年6月にはアニメになっているのだが、初出「ブルートレインにのろう」は小学2年生1978年8月号だとドラえもん関連のデータベースに出ていた。これはつまり6月終わりには出ていると思われる。
一説には「ドカベン」に「ブルートレイン学園」が登場したのは1977年ではないかと言われ(未確認)、正しければこれはブームに先駆けている。
また、1978年夏に東京駅でブルートレインを追う少年が増えたのは、実はスーパーカーに飽きたからという理由(だけ)ではなさそうだ。というのは、1978年7月28日をはじめとして、それまでブルートレインを牽引していたEF65500番台が順次引退、EF651100番台(実際は1100より若い番号はあったが)に交替するからである。もともとの鉄道少年だった可能性が高い。
当時、全く鉄道に興味なかった友人が、(次々機関車を取り換える)寝台特急を合体メカに例えていた覚えがある。まさに品川方面から入線し、機回し(機関車を一旦切り離し反対側に付け替える)を行って九州方面に向かうブルートレインは、「合体メカ」の風体であった。
ブルートレインのみならず、絵入りマークの入った特急(1978年10月改正より)やミステリー列車(999やイカルス)、SLやまぐち号などもその対象となり、鉄道模型(Nゲージ)も地方の玩具屋でもかなり流通するようになる(但し、ブーム始まってすぐにはEF81等も無かったし、EF65PFの製品化はかなり遅れた)。また、ブーム半ばでなぜか手に入らなくなってしまうが、ブルートレインのカードの入ったガムも発売される。
西村京太郎原作のドラマも、寝台特急富士殺人事件が土曜ワイド劇場枠(?)で放送されている。
ゲゲゲの鬼太郎には「ブルートレインおばけ号」(1980年)という絵本が存在する。
〈ブームはいつまで〉
このブームで鉄道に興味を持った友人が、185系登場の頃まで鉄道の話をしていたのを覚えている。リバイバルつばめも少年達にはどこか不満が残ったが話題になった。東北上越新幹線大宮暫定開業ぐらいまではブームの影響は続いたのではないだろうか。森永のキャラメルでブルートレインをおまけにしたのも続いたし。
しかしガンプラブーム(ガンダム放送終了後に起こる)、ファミコンブームの前に、鉄道少年以外の少年を巻き込んだ形のブームは終わったのではないか。
ブーム後、サロンエクスプレス東京などのジョイフルトレインや、名鉄や伊豆急の展望を売りにした電車が登場している。新幹線にも100系では二階建て車両が登場した。ブルートレインにもヘッドマーク復活やサロンカー、4人個室等の連結、食堂車のグレードアップによるテコ入れが行われた。が、残念ながら鉄道少年以外を巻き込んだブームは起きなかったと記憶している。

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