以前、何かの本で、若い記者が、「日東科学とか今井科学という模型メーカーがなぜ『科学』なのか判らない」と言ってオタキングを困惑させていたそうだ。その時は、「科学ってのは子供にとってカッコよかったから」とか答えていたみたいなんだけど(又聞きで申し訳ない)。
確かに万博とかアポロとか、そういう時代には科学はカッコよかったから、そういう一面もあるだろう。
今井科学という社名と(科学の力で人命を救う、同社の大ヒット商品)「サンダーバード」のプラモデルはぴったりの組み合わせだと思う。
今日、ツイッターのTLで「模型とラジオ」の話が出た。この雑誌、昔の本だなあと思っていたが、私が小学校、中学校に行っていた頃は、まだまだ現役だった。「子供の科学」(こっちはまだ続いている。よね)と似た雑誌だなと思ったが、版元が同じだったそうだ。
で、この本、私は書店ではほとんど見かけていない。ある程度大きくなって、行動範囲が広がってからは、大きな書店で「子供の科学」を見かけたり、買ったりしているから、置いてないことはないんだけど、やっぱり自分が読んだのは学校の図書室だった。
そう、なぜか学校の図書室には「子供の科学」、「模型とラジオ」のバックナンバーがあった。なぜだろう? って事なんだけど、
>趣味としての模型が確立していなかった時代は、模型やそのメディアは「教材」という名目で学校に喰い込んで稼いでいた訳ですよ。
との事。確かに学校の近くの模型店には「××教材」って所があったし、先の「日東科学」、「今井科学」だって「模型を通して科学を学ぶ」という名目で「まじめなものを扱っていますよ」と主張していたという事だろう。自分で工夫し、学び取る一面があれば、「おもちゃ」じゃなくて「教材」だ。
ついでながら理系があれば文系もあって、「青島文化教材社」というメーカーもある。ここは今でも「団地」、「マグロ漁船」、「ターレットトラック」、「フォークリフト」、「自衛隊のトラック」、「痛車」、「無人探査機」など「文化」の名に恥じない製品を数多く模型化している。
ロングセラーの「デコトラ」だって立派な日本の「文化」だ。もっとも、少なくとも現在は子供向けに「文化」を教えるという訳ではなさそうだが。(「痛車」、「無人探査機」は別として、売れてるのか?)
さて、今は「趣味としての模型」の世界の高齢化が心配されていたりする。欧米ではとっくの昔にそうなっているみたいなんだけど、この日本でもそうなっていくのだろうか?
しかし、科学や文化を学ぶ事は、大人になっても楽しい。模型を通してのそれは特に、「実物」を作る人の何分の一かでも体験できる。この事が伝えられていく限り、大丈夫なのではないだろうか。
もちろん、あとの世代の学び取る科学や文化は、自分たちと同じとは限らないのだが。

1