鉄道の本の内容の「濃い」ってのは、データがどうとか、写真が多いとかじゃなくて、多分文章が上手いかどうかという所にあると思う。やってる事は大した事なくても、文章が上手ければ「濃い」内容になると思うんだよ。
少年にとって「いい車輛」というのは流線型だとか、強そうとか、最先端の雰囲気とか、昔なら「エアコンが付いている」(爆)とか、そういう事だった。そういう雰囲気が全体に伝わっている中で、「いい車輛」でないネタも料理次第で少年に受ける場合がある。
あの「鉄道ファン」誌の連載であった「レールバスものがたり」も「昭和30年代の地方私鉄を訪ねて」も「専用線の機関車」も、文章が抜群に良かった。別に(当時の少年にとって)対象が面白かったためにハマった訳じゃない。
ゲテモノであってもそのめまぐるしく変わった車歴や素晴らしい発想を記す事で、そこに物語を与えたり、あるいはハッキリ「欠陥車」とか「何を考えているのか全くわからない」と突っ込みを入れて、読者と同調したり(そこまで言うか!というのもあるが)、「部長の声がやけに冷たかった」とか現実社会の一端を折りこんだりしたところが面白くて、そこからその対象を面白いと思うようになったのが大きい。少年にとってはナローとか専用線などボロ車輛ばかりのように見えていたもの。
以前にあった「レイルマガジン」の「THEトロッコ」とかもそう。ノリが爆発して歌まで歌っちゃうんだもの。「ここまで来てトロッコを見ないなんて、何が楽しくて鉄ちゃんやってるんでしょう」とかさ、もう最高。初期トワイライトゾーンなんかは司会者の対応が抜群で、深夜放送的雰囲気だった。別に対象がゲテモノである為にはまったんじゃない。
そういう文章を書ける人が、今の鉄道ライターからも出てくると、もう少し私も本を買ったりするんだけどなあ。買いたくなる本ってまず無いよなあ。

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