超常現象について考えるとき、いくつかの見方ができる。
一つは科学的な考察。「事件」として報告されることは事実なのだから、これを現代科学に照らし合わせ、「自然現象」「人工の現象」「ウソ」「幻覚」「錯覚」「判らない」などと分類、解明していく考えだ。この考え方の上では、「科学的否定」と「科学的肯定」の間の討論も十分行われるべきだと私は思う。「あると思いたい」「あった方が夢が有る」なんていう発言はそういう場ではされるべきではない。科学の世界では「あることが確認されていないモノ」は(証拠が出るまで)「無い」の方に分類されるのである。
たとえば「トトロ」は宮崎駿の創作として扱われるべきもので、「科学的には実在しないもの」である。「トトロ」が好きな人が「『トトロ』の現実的な存在」を否定しても何の問題にもならない。それが普通である。
もともとこの考えは「宗教的な考察」への対抗として出てきた部分が有る。UFOで「宗教」「哲学」といえば東洋思想も良く知るジョージ・アダムスキーだ。アダムスキーは哲学者ではあっても宗教家ではないという意見もあるが、「金星に人が住んでいる」という考えは現代科学と相容れないし、宗教における「たとえ」に近い。彼らの「説教の道具」としての超常現象が語られたことにより、多くの人が反発したのではないだろうか? 政府機関などはその力を危険視し、一般のヘンなモノ好きはより自分の納得の行く考えを求め、「科学的考察」あるいは「科学的希望観測」「科学的虚構」等「科学的」な考えを持つ方が本流となる。結局はニューエイジ的信仰の好きな人だけが、宗教的な考えで残ったように思える。
他の考えもある。「文学的な考察」とか「表現としての考察」である。この場合、文章なり噂なりとして「存在」しているものに対しての考察(対象は「事件」そのものではない事もある)で、「いかに現実に有るように見せているか」、「いかに受け手の人間の心を読んでいるか」、いや、ぶっちゃけた話「面白い」か「つまらない」かが問題になってくる。いかにリアリティ有る「実際に起きた話」として語られても、興味深くなければ人の間を伝わらないし、「人気」も出ない。本も売れない(笑)。どちらかというと学者の書いた本より、アニメや映画の評論家の書いた本の方が参考になる場合も多い。しかし、こちらの考えで超常現象を語る人は(ネット上では見かけるが)あまりいない。
今座るべき空席なのか、はたまた爆弾でも仕掛けられているのか、まだわからない。

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