随分ほったらかしてしまったが、久し振りのカキコじゃ。
私だけかな?
「スピリチュアル」「精神世界」と言うブームの中で飛び交うこれらの言葉にすごく違和感感じてます。
彼の後に、出会い出会いとヒラヒラ飛んでった数に限り無く近い数の
「あ、美味しくない」「ペッ」と吐き出した残がいの数がある。
(「この間素晴らしいものに出会ったと言ってたアレは?」と聞くと「あ、あれはあれで意味が有ったのよ」と言うお馴染のやりとり)
結局、これまで知らなかった新しい何かに学ぶ、でははなく、
きっと長く裏切らない同族だけが身辺に残って、
いつも同じ言葉で自分たちを確認しあってる。
「ポジティブシンキング」というのは、私らの、似た言葉で言えば「光明思想」に当たると思うんだけど、
これの意味がまた微妙に(詰まりは全然別物なんだけど)違う、取り違えがある。
つまり、今ピカピカ照明の明るいところを見つけてはそっちを見る、そっちへ飛んでく事を、彼らはそう呼んでる様に観えるのだ。
流行を追っ掛けてるのと本質は同じの様に観えるのだが、
私の知る光明思想=ポジティブシンキングは、今傍目にまぶしいかどうかは知らないけれど、
今自分の居るここに、一見無い様にも観える光明の存在を心を尽して見出す事だと思うんですよ。
結局幸運、ラッキー、クレクレの要求丸出しの真っ黒な思いばかりで
思惑と逆のちっとも「エンジェリック」じゃない精神活動に明け暮れてる気がする...
心ここにあらず、自分の種巻かれた使命の地に真っすぐ立ててないから、
体軸がいつもずれてて、アチコチ痛んだり体調崩したり、
周期的に鬱になって寝込んでる。
出会う人出会う人にスピリチュアルな見方生き方の素晴らしさを説いてる端から、
「私貰いやすくて」「きっと霊障よ霊障」と騒いでる不安定さ。
気付いて欲しいなあ.....
コツコツ粛々と今にある人の事は、暗くて地味にしか観えないかなあ....
「光明」とか「歓び」とか「幸福」の味って、神と同じで、
あっちだこっちだと言う様なものじゃないよね。

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