コロナ感染流行で、自粛がベースの生活をするようになった2020年の4〜5月でした。
そんな時期だからこそ、長年住んでいても全然足を向けなかった
近所の公園や神社仏閣、宿場町跡といった所に、運動不足を補うべく歴史散歩してみました。
現在は、JR常磐線亀有駅があり、道路では環状七号線が走る住宅地という立地ですが、
江戸時代は
いくつもの村には分かれていますが、田園が広がる地帯でした。
村の鎮守として信仰された神社、お寺が、現在までいくつも残っているということのようです。
この自粛期間に亀有周辺で訪れた神社は9社、お寺は12寺となりました。
1.神社
(1)香取神社
千葉県香取市にある香取神宮は、皇室とかかわりが深い神(香取神宮は経津主神が祭神)を祀る格式が高い神宮であり、全国に約400社の末社があり、亀有香取神社もその中の一つです。
創建は鎌倉時代の1276年。
由緒がある一方、境内にはスイーツ屋さんがあったり、神社のHPもしっかりしています。
亀有香取神社 HP →
コチラ
神社の横は大型ショッピングモールのアリオ亀有でもあり、今回の散歩前から何回かお参りしていた神社でした。
(2)中川氷川神社
埼玉県大宮にある武蔵国一の宮である氷川神社は、東京・埼玉・神奈川の荒川流域を中心としたエリアに280社の末社があり、その中の一つです。
由緒はよくわかりませんが、中川のほとりに建つこじんまりした神社です。
(3)南水元 富士神社
上記の氷川神社とは、中川を挟んだ対岸にある神社です。
対岸からも見える富士塚が
ある神社です。
鎌倉時代末期1332年創建の歴史ある神社ですが、
神社境内は
本殿も
新しいです。
富士塚は
残念ながら上ることができませんでした。
富士山信仰の神社としては、全国各地に約1300の末社がある浅間神社が有名ですが、そうでない富士山信仰の神社もあるのですね。
(4)長門八幡神社
創建年代は不明。
お隣にあるやはり創建年代不明の、紫雲山西光院安養寺が、江戸時代前期に幕府の命令を受け新田開発をおこなった浅田長右衛門(江戸時代の地図の地名に長右衛門新田があります。)の持仏堂からお寺になったそうです。
神社も長右衛門新田の鎮守だったそうですので、明治期の神仏分離令で現在の形態になったのかもしれません。
とはいえ、現在寺社があるのは江戸時代の大谷田村で、長右衛門新田からは少し離れています。
(5)蒲原神社
現在は足立区東和という地名になり、地名に痕跡はありませんが、江戸時代の蒲原村の鎮守であったそうです。
創建は江戸時代末期の1860年
おそらく村のシンボルの大いちょうの木のそばに村の鎮守として建てられたのでしょう。
狛犬が目立ちます。
1860年ころは疫病が大流行し、飢饉にもなり多くの方がなくなった時期ですので、魔よけの意識が強かったのかもしれません。
(6)新宿日枝神社
水戸街道の宿場町であった新宿(にいじゅく)にある神社です。
2008年に改修されたので新しい造りですが、
この鳥居は山王信仰の神社によくみられる鳥居だそうです。
江戸城鎮守の日枝神社がここにあるのは、水戸街道を整備したのが御三家の水戸徳川家であり、将軍が鷹狩りに訪れていた地でもあったことと関係があるのかもと思いましたが、一方で創建は室町時代という説もあり、比叡山麓の日吉大社より生じた山王信仰が古くからあったということかもしれず、その辺を勝手に想像するのが歴史散歩の楽しさです。
(7)水元 日枝神社
葛飾区東水元にも日枝神社があります。
鳥居が同じ形態ですね。
大山咋神という大きな山の所有者の神様が祀られるのは山が全くないこの地域で不思議に思っていたら、農耕、治水を司る神でもあるそうで、色々興味深い成り立ちです。
(8)水元 熊野神社
和歌山県の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神である熊野権現の勧請を受けた神社は全国に約3000社あるそうです。
江戸時代は日枝神社と並んで大きな神社であったようですが、
現在は水元公園の向かいに
ひっそりとたたずむ風情の神社です。
(9)水元神社
この地に江戸時代からあった香取神社と、水元公園内にあった浅間神社が
公園整備のために移転してきて合祀され、水元神社となったそうです。
2.寺
コロナ自粛期間で、私も在宅勤務前後の朝早くか夕方遅くに散策していて、門が閉じられ境内の中にすら入れないところも多かったです。
(1)俊光山正法庵
1700年ころ元禄年間創建の曹洞宗のお寺です。
このお寺の門前の和菓子屋さんのおこわが好きで、今回以前から門前には来ていました。
(2)紫雲山西光院安養寺
創建年代不明ですが、江戸時代前期に幕府の命令を受け新田開発をおこなった浅田長右衛門(江戸時代の地図の地名に長右衛門新田があります。)の持仏堂からお寺になった真言宗のお寺です。
(3)直指山見性寺
1620年創建の曹洞宗寺院です。
すぐ横に鳥居があるのが、ある意味日本らしいです。
(4)香取山明王院恵明寺
鎌倉時代1276年ころ創建の古刹の真言宗寺院です。
明治時代には亀有小学校の校舎として使用されたことがあるそうで、
大きな寺院だったのでしょう。
(5)紫雲山瑞泉院光明寺
1596年創建の真言宗のお寺です。
亀有香取神社の並びにあり、大きな本堂は中華風の造りに思えました。
(6)宝積山正憶院善応寺
1583年創建の浄土宗のお寺。
本堂の向かいにお地蔵さんが並びます。
草餅寺とも呼ばれているようです。
(7)普明山観音院慈眼寺
1576年創建の真言宗のお寺です。
江戸時代の水戸街道沿いに位置するので、創建時と場所が違うのかもしれません。
(8)関口山祥雲寺
創建年代不明の臨済宗のお寺です。
(9)長久山地蔵院延命寺
1169年創建の古刹の真言宗寺院。
大きなお堂です。
地蔵菩薩がご本尊ですが、疫病退散の信仰を集めていたそうです。
(10)薬王山宝持院真頂寺
こちらも1145年創建の歴史あるお寺です。
真言宗の此方のお寺、現在では想像もつきませんが、往時は西青戸の大半が境内で江戸時代には末寺30カ所の大寺院だったそうです。
(11)医王山蓮華院宝蓮寺
1532年創建の真言宗寺院。
水戸街道最初の宿場町新宿に中川を渡った宿場の入口にあります。
(12)宝林山宝樹院西念寺
1532年創建の浄土宗寺院。
新宿の宿場町の中にあります。
江戸時代には将軍が鷹狩りの際に立ち寄り、この寺の生け簀の魚を食べたそうです。
3.水戸街道の宿場町跡探訪〜新宿と亀有宿〜(寺社巡りではありませんが・・)
水戸街道は、江戸時代の五街道ではありませんが、徳川御三家の一つがあった水戸への街道であり、奥州街道のバイパスとしての機能もあり、五街道の東海道、中山道、奥州街道に次ぐ、23家が参勤交代に利用する幹線街道でした。
(1)新宿(にいじゅく)宿跡
奥州街道、日光街道の千住宿から分岐して、最初の宿場街でした。
新宿に入る手前の中川の渡し船は、江戸名所図会にも描かれた場所でしたが、
中川橋がかかり、川の流れも往時と変わり、
面影は全くありません。
新宿に入っても、道は往時に近いルートで残っているものの、
常磐線が開通する明治時代前半までは栄えていたらしいのですが、鉄道を拒否してからは凋落してしまった歴史通りで、現在は静かな住宅地です。
栄枯盛衰、歴史の変化が感じられる街ではあります。
(2)亀有宿
その新宿の手前に、亀有宿がありましたが、正式な宿場ではなかったようです。
江戸時代は中川の渡しが荒天で渡れない場合のための小さな宿場だったようですが、現代では新宿よりにぎわっています。
ただ、再開発され現代化されているので、往時の面影はほぼありません。
一里塚が江戸時代にもありましたが、
今ある塚は場所も違うちょっと変わったレプリカです。
(3)千住宿(6月に散策ですが・・)
日光街道、水戸街道の最初の宿場町で、品川、内藤新宿、板橋、千住と江戸時代の五街道の最初の宿場町の中で最もにぎわった宿場が千住だそうです。
駅ビルの中には
江戸時代の千住宿の街並みが模型で復元されていますが、
実際に現在の宿場町を見ることにします。
江戸時代の日光街道が、宿場町通りになっています。
まずは、本陣跡。
全く面影はありません。
続いて、古い建物の千住街の駅に寄ってみます。
元は鮮魚店であったそうで、
冷蔵庫が残してあったりして、単なる案内所だけではないのがいいですね。
そこで、千住街のガイド本をゲット。
さらに北へ進んでいくと
千住ほんちょう公園があり、この辺りから
古い建物が所々残っています。
千住宿の見所となる、横山家住宅
絵馬の吉田屋
まで見たところで、時間切れ。
お団子屋で
お団子を買ったくらいで、もっと時間が必要な宿場町でした。

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