スイスの病院で働き始めて驚いたことの一つに、重症の麻薬中毒で全身がぼろぼろの若い患者さんが多いということがあげられます。
タバコやアルコールも含め、多種の薬剤を多量に長期間に渡って使用してきた、このような”Politoxin”の人は、大抵肝臓の障害があって、心臓血管系も衰えています。脳や神経に障害がある人も少なくありません。免疫系も弱っていて末梢循環の血行も悪いので、感染を起こすと治りにくい。全身の血管が細くなっているため薬物を注射する場所を探し回った瘢、薬物が血管から漏れて炎症・感染を起こしたのだろうと思われる皮膚の陥没瘢が全身にある患者さんもいて、”どうしてここまで。。”と哀しくなってしまいます。
こういう患者に慣れている同僚たちは、私がトーンダウンするのを見て、
「アメリカにも、こういう患者ってたくさんいたでしょ?(あっけらかん)」
と言うのですが、アメリカとここでは患者のタイプが全く違うのです。
アメリカでの麻薬の多くは大麻、続いてコカイン。吸入するタイプの麻薬がほとんどで、静脈に注射するヘロインを常習しているというのは稀です。しかも、麻薬の取締りが非常に厳しいアメリカで、重症の麻薬中毒患者がのこのこと医療機関を受診するなんていうことはまず考えられません。
麻薬摂取後の錯乱状態で鉄砲を打ち合って怪我をしたとか、酩酊状態で塀から落ちたとかで警察沙汰になり、護衛付きで運ばれてくる。。そんなケースが多かったように思います。
一方、スイスはヨーロッパの中でもドラッグの蔓延が著しい麻薬大国。10代の大麻の消費はヨーロッパで一位なのだそうです。
大麻が常習化すると、飽き足らずにもっと強力なヘロイン、コカイン、アンフェタミンなどへ手を伸ばす人達が出てくるのも当然の流れ。
しかも、1994年からスイスでは麻薬中毒の重症患者に限ってですが、無料で高品質のヘロインの配布が行われています。使い回しを避けるための注射針も配られています。
そのため、依存性が強くて毒性の高い麻薬の静脈投与に対する社会的・精神的垣根が非常に低いと感じる事がしばしばです。”麻薬の注射=廃人” と日本でしっかりすり込まれた私には、麻薬の静脈注射が珍しくないこの国の空気は全く馴染むことができません。
ただ、この薬物・注射針の配布、ぱっと聞くととんでもない素っ頓狂な政策だと思われるでしょうが、これは麻薬中毒を病気の一つとして捉えて社会全体でサポートしようという理念に基づいており、私も致し方のない選択だと共感はしています。
スイスでの麻薬中毒患者は、足の感染が治らず、足の切断を受けたり、薬物による骨粗鬆症の骨折の治療を受けたり、薬物依存という病気に絡む健康上の問題を抱えてはいるものの、精神的には比較的安定しているように見受けられます。
当然回し打ちによる感染や薬物を入手するための犯罪も減少したと聞いています。
こうした成果がスイスは麻薬問題の先進国だと言われる所以なのでしょう。
これからの大きな課題は、新たな麻薬人口をどう減らすのか、というところなのでしょう。
難しい問題ですね。
スイスの社会が閉鎖的で保守的だから行き場を失った若者が薬物に走るんだ、なんて聞いたこともありますが。。
とにかく、薬は哀しい結果しかもたらさない。
どんなに社会が手厚くサポートしたとしても、人生が哀しいものになってしまう。
心の底からからそう思います。

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