road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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3・11をわすれない追悼コンサートで語ったこと

(この一文を今は亡き、僕の大好きだった忌野清志郎に捧げます)

昨晩、「3・11をわすれない追悼コンサートinいわくら」に出演させていただきました。
コンサートでしたが、うたうよりもむしろ語りたかった。
話したい内容を原稿にしましたが、実際にはこの通りには語れませんでした。
理由は、ひとつには時間を気にしたから。もう一つは、途中で頭の中が真っ白になってしまったから(^^;)
以下、語る予定だったシナリオをのせておきますね。
 

こんばんは、はりけえんです。

まず、少しお話させて下さい。今日は歌いたいというよりもむしろ、話がしたいと思って参加させていただきました。

2年前のあの原発事故について政治家達がいけしゃーしゃーと「想定外だった」などと言っていますが、大嘘ですね。事故の5年前に、国会でこんな質問をした議員がいました。共産党の吉井英勝さんです。

「大地震・大津波により全電源停止になる危険がある。そうなれば原子炉が冷やせなくなってメルトダウンがおこる。どれくらいの重大事故になると考えているのか」

政府側の答えは、簡単に言えば

「そんな事故はおこりっこない。だから起こったときの事を考える必要もない。」

想定せよと迫られても、 想定することをさぼっていた。
重大事態にそなえて、非常用電源の系列を増やせという吉井さんの提言も完全に無視した。

その国会質問に答えた当時の首相、だれだか知ってますか?

安部さんです。その安部さんが、この件について何の責任をとることもなく、またぞろ総理大臣になった。しかも高い支持を受けているといいます。
僕にはどうしても理解できない。
地震・津波は天災でも、原発事故は明らかに人災です。
人が引き起こした災害。「人がひきおこした」という時に多くの人は、その中に自分を入れていないのかな?と思ってしまいます。


10年ほど前、僕はある高校で講師をしていました。

生徒達に、チェルノブイリ事故の話・その被害のすさまじさ、日本の現実・狭い国土に50基以上も原発があること・小さな事故は繰り返しおきていること、1999年東海村の燃料加工工場で臨界事故が起こり600人以上が被爆・多量の放射線を浴びた作業員も命が失われるという大事故も起きていること、放射能は一度放出されると長く環境の中にとどまり命を破壊し続けること・事故によるガンや白血病などは、事故のことをみんなが忘れた頃に、後になってからじわじわ増えてくるということ・影響は大人よりも細胞分裂のさかんな子どもの方がうけやすいこと、日本は地震大国であること、そこに原発がひしめいていること、チェルノブイリ級の大事故はいつおこってもおかしくないことetc.etc...
ずいぶん時間をつかって伝えました。

そうするとある生徒がいうのですね。

「先生、こんなところでのんきに勉強している場合じゃない。
 原発の近くの人にこのことを知らせにいかないと・・」

彼らには、曇らされていない感受性がありました。
決していわゆる偏差値の高い学校の生徒たちではないけれど、
彼らは体で感じたことに正直でした。
 
我々大人も、事故当時は体で感じたことに正直だったと思います。
「おきてはならないことがおきてしまった」と心の底から思ったに違いない。
だが、時間が経つにつれ、体で感じたことが薄らいでいく。
理屈がこねられ、仕方がないと思いこまされる。
このひどい現実が正当化され、自分が何もしないことが正当化される。

そして再び原発が動き出す。
「今の生活レベルを守るためには仕方がない」などと理屈がこねられる。
だが、その理屈は体をなっとくさせることはできない。
 なぜなら
「一部の人たちの犠牲の上にのった幸せなどありえない」
と、体は知っているから。そう感じる体を失っていないから。
ぼくはそう信じたい。

忌野清志郎という人は体の感じることに正直に生きた人、子どものように曇らされていない感受性をもった人だったと思います。
彼のバンドはチェルノブイリの事故後、カバーズというアルバムを出しました。
原発に反対する曲が2曲入っていました。
レコード会社は清志郎をよび、言いました。
このアルバムは発売できない。反原発はタブーだったんですね。
レコード会社はこうもいいました。反原発の曲を削除すれば発売してやる。
それに対する清志郎の答えわかりますか?
彼はもちろんNO!といった。
しびれますね。自分を貫くところがしびれるほどにかっこいい。

そのうちの一曲「ラブミーテンダー」を歌います。



youtubeのこの曲にこんなコメントをみつけました。
「清志郎好きだったけど政治的発言が多すぎるのがいやだった。
でも今、自分がそう思っていたことを後悔している。」
3・11後、もしかしたら世界が清志郎に一歩ちかづいたのかな?って思います。


今年、今いる小学校のこどもたちに、
「詩をかいてください。ぼくが気に入ったら曲をつけるからね。」
と呼びかけました。
ある6年生が紙にぎっしりと書いた詩をもってきました。
内容は、ビッグバーンから始まって、地球の誕生・生命の誕生・いのちの進化と人間の誕生・文明の歴史・日本の歴史から現在にいたるまでの実に長い詩でした。残念ながら、 とても曲にはならないと思いました。
でも、何度も読み返していたら、その子の思いがなんだか伝わってきたんです。
こんな風にです。

この星は、
何億とある星の中で生命が生まれた奇跡の星。
長い長い時間の流れの中で生命はバトンを受け継ぎ、
そのいのちのつながりの中で人間がうまれた。
ところが今、
その人間の行いによってかけがえのないこの星が危機にさらされている。
自分たちがこの地球を守らなければいけないのだ。

僕は、12才のこの少年の言葉にこれからの未来への希望のようなものを感じました。
その詩に手を加えてできた曲を歌います。
「奇跡の星」
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投稿者:eudaimonia

成人の日に

「BIG ISSUE」一月号。


巻頭「2013お正月かるた」から抜粋。


り・・・理想をもたないためにほろびた民族はある。理想をもったために滅びた民族はない。(むのたけじ)

「もっと現実をみなさい」などというおためごかしな言葉が幅をきかせる今日、若者には理想を高く掲げてほしいと願う。


よ・・・よりよく生きようとするエネルギーが強いからこそ、苦しみも強く感じるのだ。
こころの傷つきを経験することは、弱いからではなく生きようとする強い意志があるからこそなのだ。(菅原憲)

傷つきぼろぼろになるくらいに真剣に生きている人に魅力を感じるのは、きっと僕だけではないと思う。


れ・・・歴史にはこうしるされるだろう。変革の時代において、もっとも悲劇的であったのは、悪人たちの辛辣な言葉や暴力ではなく、善人たちの恐ろしいまでの沈黙と無関心であったと。(キング牧師)

黒人の公民権運動にいのちをかけたキング牧師。
沈黙と無関心を決めつけた人々に対して、むき出しの暴力をふるった白人支配者よりも悲劇的なことと訴えた。

変革の時代にあるこの国の若者へ。
たとえば「福島」の苦しみにたいして、
沈黙と無関心を守る善人であってはならないと、
マーチン・ルーサー・キングの声がどこからか聞こえてくる。

ひとはともに生きる

http://www.youtube.com/watch?v=-VZ2gOj3BZY

人は共に生きる

http://www.youtube.com/watch?v=AclmYQ08Dl4


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投稿者:eudaimonia

資本主義の根本矛盾

不破さんがエンゲルスに噛みついたので驚いた。
資本主義の根本矛盾を「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」(空想から科学へ)
としたエンゲルスの定式化に異論をとなえたのだ。

識見すぐれていて礼節を知る不破さんが、何でこんな強烈な批判をエンゲルスに浴びせかけたのか理解に苦しんでいる。
以下、私の見解。

では資本主義の根本矛盾は何か?
「利潤第一主義と生産者大衆の貧困化による市場の狭さ(それによる利潤獲得の困難)」
マルクスはそう考えたし、不破さん自身もそう考えると明言している。

この説に、大変疑問を感じた。
そもそも「利潤第一主義」は「資本主義的取得」によるのではないのか?
社会的にではなく、生産手段の所有者が私的に利潤を取得するからこそ「利潤第一主義」が生まれるのではないのだろうか?これが第一の疑問。
第二の疑問。
そもそも階級社会においては、剰余価値(資本主義においては利潤)第一主義は通例で、資本主義に限ったことではないだろう。そして、そのことがかえって剰余価値の実現を妨げるということも通例であったことだろう。

つまり不破さんが資本主義の根本矛盾としたことは、階級社会(私有財産の社会)の矛盾であって、資本主義に特有の矛盾ではないのではないだろうか?

では資本主義に特有なこととは何か?
明白なのはエンゲルスが指摘しているように、「生産の社会化」である。
生産は社会化されたのにもかかわらず、その利潤は生産手段の所有者のものとなる。
この矛盾こそが資本主義にしかない矛盾であり、この矛盾の止揚こそが、これまでの階級社会に特有な矛盾、すなわち「剰余価値の獲得をしようとすればするほど剰余価値の実現が妨げられる」という矛盾を止揚することとなるのであろう。

不破さんがその説の根拠にしたマルクスの言説。
だが、そのマルクスもエンゲルス著「空想から科学へ」の序文において、
「これは社会主義の入門書である。」と書いている。

これを不破さんはどう読んでいるのだろう。とても知りたいところである。





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投稿者:eudaimonia

新自由主義に対決する思想

僕が愛読しているブログ「イルコモンズのふた」に教られた。

サパティスタ革命運動。メキシコ先住民による新自由主義的侵略への抵抗運動。
その思想は奥深い。

「サパティスタ革命はカタツムリとその巻貝の殻を基本シンボルのひとつに採用した。彼らの革命は、資本主義の無情な疎外や産業主義の規格化といった、いくつかの大間違いから離れて、外側や後方へと、昔のやりかたや小さなものごとへと旋回してゆく。また、新しい言葉と新しい思考を用いて、内側へと旋回してゆく。サパティスタの驚くべき力の源は、あるサパティスタ女性が「私たちは子どもたちに私たちの言葉を教え、私たちのお祖母さんたちが生きつづけるようにしているのです」といったように、彼らが深く根ざしている遠い過去、そして彼らがいうには、まだ生まれかけの別の世界があり、そこでは数多くの世界の存在が可能になるという予言である。彼らは、彼らの渦巻を両方向に進む。」(レベッカ・ソルニット)

かつての日本の新「左翼」の思想の浅薄さとついつい対比してしまう。
命への畏敬の念。現実生活の重み、その積み重ねから熟成された思想とでもいえるのだろうか。
じっくりと学びとっていきたいものだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%91%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E6%B0%91%E6%97%8F%E8%A7%A3%E6%94%BE%E8%BB%8D




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投稿者:eudaimonia

「共に生きる」という思想

本日、大須観音「節分会」に参加した。

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ここの豆まきでは、「鬼は外」とは決して言わない。
ただひたすらに「福は内」をくりかえす。

この観音さまのご慈愛に照らされる地域では、
「鬼」は排除の対象ではなくともに生きる愛すべき存在なのだ。
そこに、ブッシュ流の「敵か味方か」の二項対立はない。
自分とは異なる存在を受容する文化が、昔からこの地域には育まれていたのである。

それは、映画「おとうと」に共通する思想。
僕がこの映画にいたく感動するわけもこのあたりにある。
一見誰にも役立たず、社会にも利益をもたらさず、
トラブルばかりをもたらす「鉄郎」・・
その存在をまるごとあたたかく包み込み、
人間として尊重しようとする義理の兄の人間観。
その亡き夫の言葉に教えられ、その鉄郎を受容するがゆえに悩みもがく姉。
しかし、その姉が苦悩のすえに「おとうと」から得たものの巨大さ。
誠実に生き、苦悩をつきぬけて得た感動。

「幸せ」とは何か・・
山田監督がこだわり続けてきたテーマのひとつの結論が、そこにあるように思う。


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投稿者:eudaimonia
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