road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
九条を守ろうブロガーズリンク

カレンダー

2019
June
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

QRコード

検索



このブログを検索

カウンター

本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数

メッセージBOX

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS

図書室の思い出

もしかすると細部においては間違った記憶かもしれないが、
いま失われぬうちに脳内に残された記憶をたどってみたい。
そしてブログという記録に残そう。

高校生の頃、図書室によく通っていた。
よく手にしたのは、土門拳の写真集だった。
夢中でページをめくっていた。
土門の写真の迫力に圧倒されていた。
土門の写真を通して社会を知り人間を知った。
学校の図書室の思い出といえばこれしかないといえるほど、
強烈だった。

図書に関わるもうひとつの記憶。
それは、父の書棚から勝手に高文研の教育実践の本を読んでいたこと。
「海になる序曲」など、僕はほとんど泣きながら読んでいた。
書店に行けば、国土社の雑誌「教育」を立ち読みした。

いま教育が仕事となり、
いま写真が趣味となっている。

あの頃感じたことがそうさせたのか?
もともとそれらに感じる心があったから今日に至ったのか?
どちらにしても、良い文化に出会えた事に
感謝は尽くせない。




2
投稿者:eudaimonia

志賀直哉の予言

高校時代、苦しみの渦中にあった自分。
友達にも相談することができなかった。
そんな自分を、蜘蛛の糸のように奈落から救ってくれたのは、
志賀直哉の小説「暗夜行路」だった。

その「暗夜行路」に次の一節があったことを今日初めて知った。

「人間が鳥のように飛び、魚のように水中を行くということははたして自然の意志であろうか。
こういう無制限な人間の欲望がやがて何かの意味で人間を不幸に導くのではなかろうか。
人知におもいあがっている人間はいつかそのためむごい罰をこうむる事があるのではないか。」

たとえば原子力。
「不滅の火」を求める欲望が、常軌を逸する事態を展開させる。
日本と同じ地震大国トルコに原発を輸出する協定の承認が、自民・民主・公明の賛成で強行された。この国の原発事故処理のめどさえたたず、
被災者の多くは、いまだにふるさとを追われ、苦境の中にあるというのに・・・


消費増税の大部分が法人減税に消え、大規模公共事業に消えていく。
たとえばリニア新幹線。
「光のように陸上を移動する」という欲望が、
金儲けの衝動に駆られ続けるビッグカンパニーの欲にまみれた意志と、
その代弁者である政治屋どもの決定を後押しする。

3・11後
3年前のあの頃、多くの人が物質的な欲望に絡めとられていた自己を省みて、
「人知の思い上がり」に対する痛切な反省を述べていたように記憶していたのだが、
気のせいだったか?

35年前に読んだ小説の中に記されていた一節。
いまさらながら、志賀直哉という人の慧眼におどろく

1
投稿者:eudaimonia

僕の大おじいちゃんは郷土の英雄

今朝早く起き、先祖のお墓の掃除とお参りをする。

たくさんの先祖の墓の中に、理三郎と名前が刻まれた墓がある。
実は、理三郎さんのことは子どもの頃からよく知っていた。
なぜなら、小学校社会の副読本「私たちの町岩倉」で写真入りで大きく紹介されていたからだ。授業でも郷土の英雄としてとりあげられた。
すごい人を先祖にもっているのだとびっくりした記憶がある。
(以下、抜粋)

 稲の品種改良その他で大きな業績を残した人。
文化10年(1813年)岩倉羽根(稲荷)に生まれ、子どもの頃から農業が好きでした。大きくなると農業の改善に志し、どんな作物でも天候の支配を受けることに気づき、気象の観測を怠らないで、これを細かく書き記すとともに、気象の変化が作物の成育にどのようにひびくか、どうしたら作物をもっとよく育てられるかを、自分の体験を通してひとつひとつ研究を進めました。
 理三郎は非常に体が強く、寒中に種子を水に浸したり、酷暑に稲の根元に太陽の光をあてたり、いろいろ試してみては、それをみんな「農事年中行事」にまとめ、方々の村に分かち与えました。このようにして理三郎の名はだんだん世間に広まりました。明治11年から県のいろいろな農事改良に関する役につくようになり、また、東京へ行って多年の研究の結果を発表しました。
(中略)
 明治34年、60余年の功績によって緑綬ほう章を受けました。
この勲章を受けた時、有栖川宮に会いました。宮から「どんな仕事をしましたか。」とたずねられた時、理三郎は両手をぱっと広げて宮の前に差し出し、「これでございます。この手の大きいことと荒れていること。ただこれだけでございます。」と答えたといいます。
生涯を体験に生き抜いたものとして、はじめて言える言葉です。


これを読んだときに、僕には大じいちゃんの事がどうにも誇らしく思えた。
大じいちゃんが、緑綬ほう章を受けたからではない。
貧苦にあえぐ農民のために、自ら骨身を削って研究を行い農業生産の向上につくした人だった。大じいちゃんの人生がそういう人生だったということがうれしく、誇りに思えてならなかったのだ。
サンテグジュぺりの言葉を借りれば、大おじいちゃんはきっとその大きな荒れた両手に星をいっぱいつかんで永眠したのだと思う。

理三郎さんは今年、生誕200年を迎えた。
実はそのことを副読本の記述を打ち込んでいた時に知った。
そうとも知らずに書き始めた日記。
なんとも奇跡的な事だと思う。



1
投稿者:eudaimonia

心に残った言葉たち

2年生のとき同じクラスだった I君。
当時の担任のM先生について語ってくれた。

「強制や押しつけをしていた他の先生とは、まったく違う先生だった。
 生徒ひとりひとりを見まもり、
 のびろのびろという気持ちを送ってくれていた。」

M先生から受けた影響は、今でも教師としての自分の根幹のところにある。
少々やんちゃ坊主だったI君のことばには、鳥肌が立つほどの感銘をうけた。

そのクラスのNo1の悪ガキだったS君も同窓会に来ていた。
今ではすっかり紳士となったS君と話をすると、

「君のおかげで今の自分になれたんだ。本当に感謝している。
 君を見ていて、人間はこうでなければだめだって気づかされたんだよ。」

当時のSくんを知る僕は、「気持ち悪いようなヨイショ」だな・・
なんて勘ぐってきいていたけど、何割かの真実がそこにあるとしたならば、何てうれしく何て幸せなんだろうと思った。




思い出せばまだまだ語り尽くせない、長い長い一日だった。


(つづく)・・かな?

http://www.youtube.com/watch?v=AclmYQ08Dl4
「人は共に生きる」
0
タグ: 中学生 先生 教師
投稿者:eudaimonia

35年ぶり。中学校の同窓会

卒業から約35年。

今日、岩倉中学校S52年卒業生の同窓会をやりました。
クラスをこえての同窓会は多分初めてです。

itoさん、司会進行役お疲れさまでした(^^)

小学校の同窓会もやっていなかったので、
長いときを越えて再会する幼なじみもたくさんいて、
感無量になってしまいました。

みんなで歌った校歌・・
あんなに興奮して感動しながら歌った校歌は初めて。

二次会のカラオケでは当時はやっていた、
「俺たちの旅」や「なごり雪」をうたって胸一杯に。
あの当時の仲間とうたうと、格別なのですね。
涙が出そうなほどでした。

幼い時からの友、多感な思春期を一緒に過ごした友・・
仲間の存在の大きさを、
ひしひしと感じた一日でした。


「人は共に生きる」
http://www.youtube.com/watch?v=AclmYQ08Dl4

3
投稿者:eudaimonia
1 2 3 4 5 | 《前のページ | 次のページ》
/24 
 
AutoPage最新お知らせ