2006/3/13
小林多喜二の「母」を小説に描いた三浦綾子。
敬虔なキリスト者の彼女が、無神論者で筋金入りの共産党員であった多喜二と彼の家族の事を小説のモチーフとしたことに、当時はとても驚いたものだった。
だが思想・信条の違いを越え、「真実」を求め己に対して厳しくかつ誠実に生きる多喜二の姿勢に、綾子が激しく共感を覚えたのであろう事は、後になってみれば、容易に想像がつくことであった。
今日、「風はいずこより」という綾子のエッセイを読んだ。
その中に、「多喜二の優しさ」と題する一文があった。彼の弟を取材したときの事を書き、多喜二の親兄弟達の優しさ、あたたかさ、明るさに感動したことを語っていた。その弟から聞いた小林多喜二像は「さらに優しかった」と書かれている。
「その多喜二の姿を、私は感動なしに思い浮かべることはできない。」
キリスト者は「本当に自分には愛があるのか、顧みたいものである」
なんと、深く謙虚で胸をうつ、真実に満ちた言葉なのだろう。
多喜二は、「中国への侵略戦争反対、絶対主義天皇制打倒・主権在民」を主張した非合法の日本共産党に所属し、3・15事件における特高警察による拷問の野蛮さを小説に訴えたこと、ただそれだけの理由により、築地署においてその特高警察により虐殺されている。
彼の受けた拷問は聞くに堪えないほど凄まじい。僕は若い頃、「これほどの拷問に耐えても自分は戦争反対の意志を貫くことが出来るだろうか?」「多分自分には無理だろう・・・」などと青ざめつつ考えたほどである。
それでも彼は、節を曲げなかった。
その強靱な精神力、その強さ。その理由はいったいどこにあるのか?ずっと考えつづけてきたことであるが、その秘密は、彼のたぐいまれなる優しさにあるのではないか・・・と、今日、綾子のエッセイを読み確信した。
人に対する「優しさ」、それはそのまま己を支える「強さ」となり、自分に対する「精神の強靱さ」、それはそのまま人に対する「優しさ」につらなるのであろう・・・
真実に生きた二人から、今日教えられたことである。
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敬虔なキリスト者の彼女が、無神論者で筋金入りの共産党員であった多喜二と彼の家族の事を小説のモチーフとしたことに、当時はとても驚いたものだった。
だが思想・信条の違いを越え、「真実」を求め己に対して厳しくかつ誠実に生きる多喜二の姿勢に、綾子が激しく共感を覚えたのであろう事は、後になってみれば、容易に想像がつくことであった。
今日、「風はいずこより」という綾子のエッセイを読んだ。
その中に、「多喜二の優しさ」と題する一文があった。彼の弟を取材したときの事を書き、多喜二の親兄弟達の優しさ、あたたかさ、明るさに感動したことを語っていた。その弟から聞いた小林多喜二像は「さらに優しかった」と書かれている。
「その多喜二の姿を、私は感動なしに思い浮かべることはできない。」
キリスト者は「本当に自分には愛があるのか、顧みたいものである」
なんと、深く謙虚で胸をうつ、真実に満ちた言葉なのだろう。
多喜二は、「中国への侵略戦争反対、絶対主義天皇制打倒・主権在民」を主張した非合法の日本共産党に所属し、3・15事件における特高警察による拷問の野蛮さを小説に訴えたこと、ただそれだけの理由により、築地署においてその特高警察により虐殺されている。
彼の受けた拷問は聞くに堪えないほど凄まじい。僕は若い頃、「これほどの拷問に耐えても自分は戦争反対の意志を貫くことが出来るだろうか?」「多分自分には無理だろう・・・」などと青ざめつつ考えたほどである。
それでも彼は、節を曲げなかった。
その強靱な精神力、その強さ。その理由はいったいどこにあるのか?ずっと考えつづけてきたことであるが、その秘密は、彼のたぐいまれなる優しさにあるのではないか・・・と、今日、綾子のエッセイを読み確信した。
人に対する「優しさ」、それはそのまま己を支える「強さ」となり、自分に対する「精神の強靱さ」、それはそのまま人に対する「優しさ」につらなるのであろう・・・
真実に生きた二人から、今日教えられたことである。

投稿者:eudaimonia
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