road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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サザン「ピースとハイライト」、そしてナショナリズムはびこる、この国の今について

本日、終戦記念日を迎えた。
立場を植民地にされた側に置けば解放記念日。
侵略された側から見れば、戦勝記念日だ。

復活サザンの新曲「ピースとハイライト」を知る。
桑田さんが「最近の東アジアを見てつくった」という。

「♪何気なく見たニュースでお隣の人が怒ってた・・」
「♪歴史を照らし合わせて、助けあえたらいいじゃない
 硬いこぶしを振り上げても心開かない」
「♪希望の苗を植えていこうよ
 地上に愛を育てようよ」と続く。


「相手のことを理解して、自分たちのことも伝えて・・
 二度と過去の過ちを繰り返さないようにとの思いで」
 と桑田佳祐さんは語る。

サザンをあまり好きではなかったけれども、
こういう時に、このすばらしいメッセージソングを歌った桑田さんの勇気には敬服する。

思っていた通り、youtubeコメント欄にはネトウヨからの非難の嵐が吹き荒れている。ため息が出る。だが、冷静に考えると彼らがそうなったのは彼らのせいなのか?このような無知で無思慮な若者を生み出したのは、彼らが受けた教育の結果だったのだろうと思う。

もういちどこの曲を聞いてみる。
そして、あのサザンが、この曲を創った事の重みをかみ締めたい。

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投稿者:eudaimonia

僕の大おじいちゃんは郷土の英雄

今朝早く起き、先祖のお墓の掃除とお参りをする。

たくさんの先祖の墓の中に、理三郎と名前が刻まれた墓がある。
実は、理三郎さんのことは子どもの頃からよく知っていた。
なぜなら、小学校社会の副読本「私たちの町岩倉」で写真入りで大きく紹介されていたからだ。授業でも郷土の英雄としてとりあげられた。
すごい人を先祖にもっているのだとびっくりした記憶がある。
(以下、抜粋)

 稲の品種改良その他で大きな業績を残した人。
文化10年(1813年)岩倉羽根(稲荷)に生まれ、子どもの頃から農業が好きでした。大きくなると農業の改善に志し、どんな作物でも天候の支配を受けることに気づき、気象の観測を怠らないで、これを細かく書き記すとともに、気象の変化が作物の成育にどのようにひびくか、どうしたら作物をもっとよく育てられるかを、自分の体験を通してひとつひとつ研究を進めました。
 理三郎は非常に体が強く、寒中に種子を水に浸したり、酷暑に稲の根元に太陽の光をあてたり、いろいろ試してみては、それをみんな「農事年中行事」にまとめ、方々の村に分かち与えました。このようにして理三郎の名はだんだん世間に広まりました。明治11年から県のいろいろな農事改良に関する役につくようになり、また、東京へ行って多年の研究の結果を発表しました。
(中略)
 明治34年、60余年の功績によって緑綬ほう章を受けました。
この勲章を受けた時、有栖川宮に会いました。宮から「どんな仕事をしましたか。」とたずねられた時、理三郎は両手をぱっと広げて宮の前に差し出し、「これでございます。この手の大きいことと荒れていること。ただこれだけでございます。」と答えたといいます。
生涯を体験に生き抜いたものとして、はじめて言える言葉です。


これを読んだときに、僕には大じいちゃんの事がどうにも誇らしく思えた。
大じいちゃんが、緑綬ほう章を受けたからではない。
貧苦にあえぐ農民のために、自ら骨身を削って研究を行い農業生産の向上につくした人だった。大じいちゃんの人生がそういう人生だったということがうれしく、誇りに思えてならなかったのだ。
サンテグジュぺりの言葉を借りれば、大おじいちゃんはきっとその大きな荒れた両手に星をいっぱいつかんで永眠したのだと思う。

理三郎さんは今年、生誕200年を迎えた。
実はそのことを副読本の記述を打ち込んでいた時に知った。
そうとも知らずに書き始めた日記。
なんとも奇跡的な事だと思う。



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投稿者:eudaimonia

8月6日に

あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち
 
血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ
糸のように塞いだ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう
 
焼け爛れたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める
 
何故こんな目に遭わねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない
 
ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)
 
おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を

(仮繃帯所にて・峠三吉)


つぶやきで紹介した和合亮一は、原発事故の渦中にあって涙を流しながら「行きつくところは涙」と書いた。
峠三吉は原爆詩集「仮繃帯所にて」冒頭で被爆者の状況を「泣いても涙の出所がない」と表現した。
和合さんは被曝してから、峠の詩を何度も何度も読み返しているという。
僕もまた、峠三吉の詩に、文学とか芸術を越えるものを感じ、圧倒される。

2013年、68年目の8月6日に・・
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投稿者:eudaimonia
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