road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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羞恥を知ることについて

マルクスからルーゲへの書簡(1843年3月)より

・・羞恥はすでに一つの革命なのです。
羞恥は実際のところ、1813年にフランス革命を打ち負かしたドイツの愛国心に対する、そのフランス革命の勝利なのです。羞恥は一種の憤怒、自分の内へ向けられる憤怒なのです。
そしてもしも一国民全体が実際に恥じることがあれば、彼らは跳ばんがために身を引いて構えるライオンとなるでしょう。この羞恥すらドイツにはまだ存在せず、その反対にこれらあわれな人々はまだ愛国者であること、これを私は認めます。


「1813年にフランス革命を打ち負かしたドイツの愛国心」とは、プロシア・オーストリア・ロシアの同盟軍がナポレオン軍を破ったライプチヒの戦いのことを言っているのだろう。
「この羞恥すらドイツにはまだ存在せず、その反対にこれらあわれな人々はまだ愛国者であること、これを私は認めます。」
この、ライオンになれなかった「愛国者」たちがナチス政権を産み出して行ったことを考えれば、マルクスの慧眼には脱帽するほかない。

ただこの文章は、他国の過去の歴史についてのもの・・・と単純には受け取れない。

「羞恥すら今のこの日本には存在せず、その反対にこれらあわれな人々はまだ愛国者であること」
その事実の前に、ともすれば絶望感が襲いかかる。
われわれは、いったいどうすれば「跳ばんがために身を引いて構えるライオンとなる」ことができるのだろう?









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投稿者:eudaimonia
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