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ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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映画「おとうと」

今日、久しぶりに映画を見た。山田洋次監督の「おとうと」。

基本にあるスタイルはまるっきり「寅さん」だった。
兄妹(寅〜さくら)にかわって、姉弟愛が中心に描かれている。
寅やにかわって、下町の薬局が弟の「ふるさと」。
甥のみつおにかわって姪の「小春」。

ただ、大きく違う点もある。
その時代性と社会性をどこまで作品に描きこむかという点だ。

この「おとうと」という作品はその点で、「男はつらいよ」に代表される喜劇人情ものと、「故郷」・「同胞」・・以来「学校」シリーズへとつらなる社会派作品との両方を統合したような作品であるという印象を受けた。
ヘーゲル的な見事なアウフヘーベンだ。

さびれゆく商店街の人々の想いや絆を描き出し、
社会から見放され野たれ死んでゆく人々へ温かい眼差しを向け、
彼らへの理解を深めるべく丁寧に重ねられたリアルな描写、
献身的に孤独な人間に救いをあたえる人々の存在を希望として描きだす。

序盤に布石を打った上でのあのラストシーン。
お見事、山田監督!!
見事にマルチチュードの<共>を歌い上げる映画でした。

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投稿者:eudaimonia

ネグリさんと寅さん

友人のブログ(murataな日記)にこんなコメントを書いた。

最近はまっているアントニオ・ネグリさんは面白い提案をしています。
〜世界のすべての人に「無条件かつ普遍的な保証所得」を与えなさい。
それは働いているから与えられる労働報酬とはちがい、
「生きている」ということに対して与えられる報酬。
なので、障害者だって失業者だってホームレスだってニートだって基本的な報酬がもらえる。
画期的だと思った。
それが、新自由主義とは対極にある考え方だから・・
「生きていてくれてありがとう」という発想。
こういう発想を当たり前のようにできるネグリさんを見習いたいものです。



今日読んだ新聞にこんなコラムを発見。

・・この30日公開予定の映画「おとうと」に寄せての記事が思い出された。
「今の日本社会は、格差が激しくなって、鉄郎のような人を見限ってしまう。
すべり台からストンと落ちても仕方ないというむごい時代に入りつつある気がします・・」(山田洋次監督の話)
犬は一日中フラフラしても大切にされ、「なぜ働かないのか」とはつゆ思われない。自分の犬には相当の費用をかけても、100円の募金にちゅうちょする人も。ひとの心の深淵は・・・?
(「しんぶん赤旗」より)

このコラムが媒体となって、ぼくの頭の中でネグリさんが寅さんと結びついた。
映画好きのネグリさんは、寅さん映画を見たことがあるのだろうか?
彼が言うところのマルチチュードの代表者は紛れもなくアウトロー=特異的存在者=車寅次郎であり、彼の強調するところの<共>の体現者は、紛れもなくとらやに集うおいちゃん・おばちゃんであり、たこ社長・さくら・ひろし、そして労働者諸君ではないか。

いまや寅さんのあり方は、アントニオ=ネグリを通して世界の理想の存在形態となったようである。恐るべし・・・山田洋次










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投稿者:eudaimonia

アントニオ・ネグリ

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「現代思想」2008・5月号を、昨日図書館帰りに上前津の古本屋にて購入。
アントニオ・ネグリ特集号。

アントニオ・ネグリ、父は彼が幼少の頃にファシストによって殺害される。
共産主義者だった父は、イタリア共産党の創設に関わった人物であった。
自身もまた共産主義者となり、波乱万丈の人生を歩む。

特集は、読み始めるとのめりこんでしまい、時間の経過も周辺の出来事も一切消えてしまうほど集中できる興味深い内容だった。

読み、そして考える。その繰り返し。

今のところの僕なりのネグリへの評価。彼自身の著書も読まぬままおこがましいが・・
産業資本主義から認知資本主義への移行、それに伴う価値論・搾取論の尺度の変化・・などという議論はあまりにも大雑把で現状の一部を反映しているとはいえ、やや観念的に思える。
(それは「資本論」などマルクスの緻密な現状分析に基づく立論などと比較すると特に感じてしまうことだが・・)

ただ、ネグリが提起した「マルチチュード」という変革主体の把握、そして「私」としての資本と「公」としての国家からの「共」の奪還という戦略目標に激しく共鳴した。
マルクス流にいえば、グローバル資本主義は日々、自らの墓堀人であるマルチチュードを大量に生産している。そして、僕もまたそのマルチチュードの代表的な一人なのだ。

「マルチチュード」は、互いの差異を保持したまま「共」を構築できる社会的行為者として措定されている。違ったままでいい。同一化される必要はない。
さらにネグリは、周縁を周縁のままで肯定する。その少数者に、周縁性に、「圧倒的多数の要求」の潜在的体現をみる。
女・子供・移民・フリーター・ホームレス・・これまで蔑まれてきたものの存在価値を高らかに歌い上げる。

逃走を繰り返した人生に後ろめたさを感じながら、教育の世界でフリーターのような人生を歩む僕に、「おまえこそがマルチチュードであり、世界を変革する主体にふさわしい」とメッセージを与えてくれるネグリ、彼が生きているうちに是非ともお目にかかり、お話をしてみたいものである。






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投稿者:eudaimonia

人間、人間・・なんて素晴らしいものだろう

高さ50mほどに積み上げられたマットレス。
その狭いスペースに五人ほどで立って、おしくら饅頭をする。
落とすか落とされるかだ。みな容赦がない。
僕は、押されることと土台が揺れることでバランスを失った。その瞬間が恐怖の絶頂だった。
そして目が覚めた。昨日浅い眠りのゆえか、そんな恐ろしい夢を見たことをはっきりと覚えている。

その夢の中では人々はみな無表情で寡黙だった。僕もまたみなと同じように心を閉ざしていた。
そんな僕に、「こら!何をだまっとるんだ!」と怒りの形相で僕に迫る人がいた。
その声の主は、昨年急逝された増原彬陽さんだった。それはとてもこわいまっさんだった。
夢の中の僕は、ただただその気迫に圧倒されていた。
だが、目覚めてから考えてはっと気づいた。自分が、ここ数日のつらい思いをじっと押し殺していたことを。そして僕はまっさんに感謝した。

まっさんは、人間らしさが失われつつあるこの国の今にあって、信じられないほどの人間味のあふれる人だった。あぶれものの僕をかわいがってくれた。
底辺で必死に生きるものに共感する心をもった人だった。
その視線は汗水たらして必死で生きている人々の視線に、ぴったりと重ね合わされていた。知識人・文化人としてはめずらしいタイプの人。だから人を魅了する。

人間・人間・・人間ってなんて素晴らしいものなんだろう。
彼や彼の劇団の人たちと一緒にすごしているとそんな思いが心のそこから湧き上がってくる。勇気と元気が充ちわたる。

夢の中にまできてくれてありがとう。まっさん。ずっとあなたのことは忘れません。






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投稿者:eudaimonia

雪の元旦に誓ったこと

謹賀新年

新しい年は、この地方では珍しいほどの雪とともにやってきた。



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あさ、雪の中を散歩。
寺院から公園、そして神社へ。よく知っている場所が元旦という時間と、
白の世界という空間の特別さのためか、はじめて訪れた場所のようにもみえた。

家に帰ってから、今年の抱負を書に表してみた。

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耐えること・忍ぶこと、それがひとつ次元の高い喜びを僕にもたらしてくれる。
今までの人生の反省から学んだこと・・
12支が4巡した今年の始まりの日に誓う。
次に母の目標。


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母が笑顔で毎日を暮らせるように僕が孝行しなければとこれもまた心に誓ってみた。
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投稿者:eudaimonia
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