road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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ドクサに対する徹底した吟味を

民主主義社会における彼らの役割は、リップマンの言葉を借りれば「観客」になることであって、行動に参加することではない。
しかし、彼らの役割をそれだけにかぎるわけにもいかない。
何しろ、ここは民主主義社会なのだ。
そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。
「私たちはこの人をリーダーにしたい」
「あの人をリーダーにしたい」
というような発言をする機会も与えられるのだ。
何しろここは民主主義社会で、全体主義国家ではないからだ。これを選挙という。
だが、いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、あとは観客に戻って彼らの行動を傍観する。「とまどえる群れ」は参加者とは見なされていない。
これこそ正しく機能している民主主義社会の姿なのである。
(中略)
そこで、とまどえる群れを飼いならすための何かが必要になる。
それが民主主義の新しい革命的な技法、つまり「合意のでっちあげ」である。
メディアと教育機関と大衆文化は切り離しておかなければならない。
政治を動かす階級と意志決定者は、そうしたでっちあげにある程度の現実性をもたせなければならず、それと同時に彼らがそれをほどほどに信じこむようにすることも必要だ。
ただし、ここには暗黙の前提がある。この暗黙の前提は・・・どうしたら意志決定の権限をもつ立場につけるのか、という問題に関係している。もちろんその方法は「真の」権力者に仕えることだ。社会をわがものとしている真の権力者は、ごく限られた一部の人間である。
(中略)
残りのとまどえる群れについては、つねに彼らの注意をそらしておくことが必要である。
彼らの関心をまったく別のところへ向けさせろ。面倒をおこさせるな。
何があっても行動を傍観しているだけにさせるのだ。
例外は、真の権力者の誰かにたいする支持を表明させるときだけだ。
そこまでならとまどえる群れに選択させてもよいだろう。

「メディア・コントロール」ノーム・チョムスキー

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コイズミ総理誕生以後のこの国の「民主主義」政治の状況を、まるで予言していたかのような彼の言質に仰天する。
メディアによる大衆コントロールのことなど、これっぽっちも意識にのぼらせることなく、今日もメディアに踊らされるこの国の「とまどえる群れ」たち。
林竹二の言うところの、いやソクラテスの言うところのドクサに対する吟味を、いったいどれだけの人間が真摯に実行しているのだろうか?

辺見庸氏との対談でのチョムスキーの発言はいっそう痛い。

何度もいうようですが、他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。
東京にいて「アメリカ人はなんてひどいことをするんだ」といっているのは簡単です。
日本の人たちがいましなければならないのは、東京をみること、鏡を覗いてみることです。
そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか。


アメリカ人を中国人と置き換えてみても、事の本質は同じであろう。
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投稿者:eudaimonia
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