road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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命をかけて戦争反対を貫いた党

若い人の中には知らない人も多いと思うが、たくさんの犠牲者を出したあの日本の侵略戦争に対して、たったひとつだけ反対を貫いて闘った政党があった。
今でもその政党はこの国に存在し活躍している。
いまでは当たり前になった国民主権や戦争反対だが、その当時にそれらを主張することは、とてつもない勇気が必要なことだった。
いや、勇気が必要などころか命を賭ける必要があったのだ。
なぜなら、1925年にこの国に出来た法律によって、その党は法で禁じられる存在とされ、その政党に所属することは刑罰に処せられる罪とされていたからである。
その最高刑は死刑であった。

それにも関わらず、この党を守り、党員であり続けたたくさんの人々がいた。
そのうちのあるものは獄中で何年もの間にわたって自由を奪われた。
また、あるものは警察による拷問によって殺された。

作家小林多喜二が殺されて75年目の2月を迎えた。
今、派遣労働者や大学生などの若者の間で、「まんが蟹工船」が共感をもって読まれているという。共感のわけは、時代状況が似てきたということにもよるのだろう。
多喜二がその灯の輝きを、この未来社会に受け継いでくれたのだともいえる。
多喜二が慕った人、ヒューマニズムあふれる作品でしられる志賀直哉が語った言葉。

「彼らの意図、ものになるべし」

彼らとは、多喜二らの党に結集した人々のことである。
直哉の、時代と社会をみる洞察力のすごさ。

あの暗黒の時代に、この国の支配者がもっとも恐れた連中がいた。
その志を受け継いだ人々は、今日も「大企業とアメリカに追随した政治」と対決し闘っている。
その灯は、これからも人々によって脈々と受け継がれていくことであろう。
いっそうその輝きを増しながら・・・



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投稿者:eudaimonia

理性的良心とともに生きる

世間的に言えば、自由のない生活にいることは、もっとも悲惨とされています。
しかし人間生活のもっとも大切な点は、その理性的良心にそむかないところにあるので、それを歪めてどんな「気楽らしい」日々があろうと、それは動物と異ならないわけで、堂々たる人間生活ということはできません。
理性の声に恥じない生活は、外見上どんなでも真の希望と明るさのあるものと思います。不自由そのものを歓迎するものは誰ひとりないわけですが、理性を歪め、それに盲目とならなければならない内心の暗黒生活にくらべるならば、どういう条件にあろうと常に理性的良心とともにあるということは、人間として生き甲斐ある上乗のものと思います。

「十二年の手紙」1939年5月2日
巣鴨拘置所の宮本顕治から目白の母宛の手紙より

彼の獄中闘争を支えた思想の核心部分をここに見つけた。
ここには、
「人間的に生きるということはどういうことなのか?」
「幸せとはなにか?」
といった、いわば現代に生きる我々の生き方の根幹に関わる命題への解答が
豊かに語られているのではないだろうか。

主権在民・絶対主義的天皇制打倒、侵略戦争反対。
特高警察の拷問にも屈せず「理性的良心」を守り通した獄中12年。
その生き方を可能なものとした科学的に社会を見通す目。
その生き方を不動のものとしたプロレタリア的倫理観。

昨年、彼がその栄光に満ちた生涯を閉じたとき、マスコミ(マスごみ?)は、そのあたりのことを完全に無視したコメントを発していたが、それにも関わらず戦後のこの社会に生きる我々が、彼から学ぶべきことは巨大だ。


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投稿者:eudaimonia

実践のための哲学

私たちのまわりにもっとも多いのは、つぎのようなタイプである。
アタマの中に小さなザルみたいなものがあって、
そのザルの目にひっかかるものだけはすくいとるが、
そのほかは何を見ても聞いても、みなこぼれていく。
アタマの中のこのザルの目とは、つねにケチくさい
”自分が、自分の、自分に、自分を”というやつだ。
それは、あるときには自分にたいするたいへんな自信というかたちをとる。
かと思えば、あるときにははげしい自己卑下としてあらわれる。
そしてどちらの場合にも、”誰もオレを理解してくれない”
という不満で悶々としている。
たえず他人が自分をどう見るかを気にし、このんでスタンド・プレーをやり、
失敗してはいつも人をうらむ

「実践のための哲学」森住和弘・高田求著

これは小ブルジョワジーの心理描写である。
かつてファシズムの基盤ともなった小ブルジョワ的な動揺は、誰の心にも忍びこむのだという著者の警句に続く。

某大阪府知事のことがアタマに浮かんだが、決して人ごとではない。
自分自身の耳が、そして心が痛む。
著者は、そのような個人主義的思想の克服のために、「芋あらい」の要領で、
たくさんの仲間と一緒に洗い桶のなかに入るべし、と説く。
ふむふむとうなずく私は、自分にとっての洗い桶とはいったいどこにあるのかと考える。
また、「おれがおれが」という考えをうち破るべき他の有効な手段について思い巡らす。
結果、社会の進歩に尽くした先人の思想にさらに深く学ぶべし、と心に決めた。







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投稿者:eudaimonia

孔子曰く・・・

徳治主義・・・為政者が権力ではなく、自らの道徳的な権威によって民を統治すべきだとする儒家の政治論。王道と同じ意味で、王道は覇道(力による政治)の対概念。
孔子は、政治を行うものが、自ら高い道徳性を備え、社会の人々の道徳的自覚を訴えることにより、道徳が世に行われて国が自然に治まると主張した。そして外的強制力による覇道を否定した。
山川出版「倫理用語集」より

改悪された教育基本法にもとづく、学習指導要領改定案が発表された。おとといのことである。
道徳推進教師がすべての学校に配置され、国の決めた通りの「道徳教育」が実施されているかどうかの点検にあたることになるらしい。

他方、昨日防衛省は、米軍空母艦載機の移転受け入れを表明する福田新市長の要請を受け、岩国市に対して凍結していた庁舎建設の補助金とほぼ同額の補助金を交付することを決めた。国はいわば相手の弱みにつけこみながら、相手の嫌がることを押しつけることに成功したわけである。
これなどは、「道徳教育」を推進しようとしているその当の国自身による、たいへん立派な道徳的実践の見本ですよね。おお。この国の「政治を行うもの」達の、何と「高い道徳性」だことか。
「目的の為には手段をえらぶな。」
「世の中は結局金と権力、その力を有効に利用しよう。」
「相手に同情なんてしちゃだめよ」
う〜んたしかに、こんな道徳が「世に行われて」いますよね。
そんでもって、子ども達にはいったいどんな気高い道徳を教えたいっていうんだろ?
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投稿者:eudaimonia

真の愛国者

今日、ひょんな事から20代のアメリカ人男性と話す機会を得た。
彼は言う。「もうアメリカには住みたくない」と。
わけを尋ねると、「アメリカは決して世界のナンバーワンの国ではない」
と自分の思っていることを言うと、周りはそんな自分に総攻撃をしかけてくる。
そんな空気をもつ今のアメリカ社会が嫌でたまらないのだ、という。
その彼は、沖縄での米軍人による子どもに対する強姦事件について、本気で怒り、憂えていた。
その時ふと僕は、テレビで見た「親のしつけの問題です」と平然と言い放った女性コメンテーターのことを思った。そのことを彼に伝えると彼は頭をかかえ激しく首を横に振った。「そんな問題じゃないんだ・・・」と。
僕は思う。彼こそ真の意味で愛国者といえるのではないのだろうか?
そしてそんな真の愛国者こそ、国籍の違いを超えて本当の意味でのグローバリゼーションを実現できる者達ではなかろうか。
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投稿者:eudaimonia
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