road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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今日を生きなければいけない

よけいなことかもしれないけど
過ぎた時間はもどらないよ
いまのこのとき
17歳なら17歳というこのときは
二度とめぐってはこないよ

あたりまえのことなんだよな
だけど
じぶんの人生が長いと信じきっている人間ほど
このあたりまえのことに気がつかず
いまをおろそかにしてしまう

おなじだよ
人生が長かろうが短かろうが
今日を生きなければいけないということでは
きみも おれも・・・

大谷博子「星くず」より



今朝ふとんの中で目覚めて、ここしばらく続いている憂鬱な気分におそわれながら、ふっと思った。

日々をむなしく、無意味な出来事で埋め尽くしてはいけない。
貴重な人生の、たった一度きりの大切な一瞬一瞬を、どう使うべきか?
たとえば、明日、自分が命を失うことになるかも知れない。
たとえば、もう数日で、僕の大切な誰かがこの世を去ってしまうかもしれない。
その時にあたって決して後悔することのないように「今日」という日を生きよう。


では、自分が今どうしてもしておきたいことは何か?
どうしてもしておかなければならないことは何か?

ずっとせねばなるぬと思っていたあることを、今日行動にうつした。
少し元気になっている自分を感じた。

過去への後悔を頭の中で繰り返したり、むなしい思いを刹那的に埋めようとしても、いよいよ落ち込んでいくばかりだ。
だが、自分の心の奥底からの思いを実現するための行動は、たとえその目的は実現困難なように見えたとしても、自分に力を与えてくれるものなのだ。

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投稿者:eudaimonia

幻想をすて、目覚めよう

「そのような状況にあって、我々は突然、自分たちの命が愚かな連中の手中にあることに気づくのである」
チャールズ・ブコウスキー「政治ほどくだらないものはない」より



先日24日に開催された、自民党「新憲法制定推進の集い」での安倍首相の発言

「正しい憲法を私たちの手でつくっていく、その大義のために自由民主党は結党した」
「私が自由民主党総裁として約束した以上、憲法改正を必ず政治スケジュールにのせていく」


同じ集会にて、中川幹事長の発言

「自民党の立場は改憲ではなく新憲法制定。地域から新憲法制定のうねりをおこし一大運動を展開しよう」


「正しい憲法つくっていく」???

現憲法は正しくない憲法ということか?

「改憲ではなく、新憲法制定」???

現憲法の全否定のうえに、まったく異なった理念をもった憲法をつくるということか?

明らかに憲法擁護義務に反する発言だ。彼らが、最高法規の条文(99条)に明確に反してもおとがめなしとはいったいどういうことだ!
マスコミも国民も本当になめられたものだ。

同じ集会に参加した、日本経団連三木副会長の発言
「憲法改正の心臓部は九条改正だ。次に改正条項の96条だ。二つがボケないよう改憲をすすめてもらいたい」

注目しよう!ここに政財界の連中のねらいが集約されている。
現憲法への激しい憎悪。九条の存在をいかに疎ましく感じているか。
今度の国民投票で改正条項さえ変えてしまえば、あとは国民の声など恐れず、国民主権だって人権尊重だって、何だって変えれるんだ、という本音が透けて見える。
こんなに本音を語って大丈夫なんだろうかとこっちが心配するほどだ。
やはり我々は完全になめられている。

他方、国民の中にある「憲法改正運動は、現憲法の良さを保持し活かしながら、時代の流れに合わない部分を改善しようという動きなのだ」という幻想はなかなか突き崩されていない。ここにこそ問題の焦点があるのかも知れない。

*改題しました(4・27)

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投稿者:eudaimonia

緊迫「国民投票法」、マスコミへの要請

マスコミに要請文を送った。要請は報道関係の番組、そのキャスター宛とした。以下その文面である。

国民投票法は、「民主主義形骸化法」である。あなたたちは、国民主権を見殺しにして平気でいられるのか?

現在、参議院で審議中の国民投票法案には見過ごすわけにはいかない、いくつかの重大な問題点がある。最も重大なのは、最低投票率も設けず、有効投票数の過半数の賛成によって改憲案が承認されてしまうということである。
憲法の条文には「この承認には特別の国民投票または国会の定める選挙の際に行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」(第96条)とある。「その過半数」という言葉を自然に解釈すれば「投票数の過半数」となるであろうが、与党案ではより賛成票が少なくてもすむ「有効投票の過半数」とされている。
たとえ「総投票数の過半数」だとしても、たとえば投票率が有権者の3割程度だった場合、全有権者の一割台の賛成でも改憲案は承認されてしまう。そこで最低投票率の設定が欠かせないはずなのだが・・
なぜか法案にはこれが盛り込まれていない。

もしも、憲法のうたう「国民主権の原理」を正しく理解している者であるならば、憲法の「改正」については、より正しくより確実に主権者の意向が反映されるシステムが望ましいと考えることは当然であろう。
主権とは国政のあり方についての最高決定権であり、国政のあり方の最も基本的ルールは憲法であり、したがって「どのような憲法をつくるかを決める権利」こそ最も重要な国民主権の内実であるからだ。
憲法の改定の是非に対して、主権者の意思が正確に反映されないようなシステム=法の作成は、現憲法に反する行為だ。それは違憲立法ではないのか?
(ついでに言えば、憲法第99条には「国務大臣・国会議員」は、「この憲法を尊重し擁護の義務を負ふ。」とあるが、「押しつけられた憲法」だの「時代にあわない」だの「普通の国ではない」だのと言って、「この憲法」を擁護するどころか攻撃している大臣・議員たちの言動もまた、確実に憲法違反だろう。)

恐ろしいのは、現在の憲法の基本原理についても「改正は許されない」という歯止めが一切ないことだ。平和主義はもとより、国民主権であっても基本的人権の尊重であってもだ。国民のたった一割台の賛成で変えることができる!
(第97条には「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、・・現在および将来の国民に対して侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と明記されている。「基本的人権の保障」の規定の後退は改定条項を定めた憲法といえども想定外のことであり、人権保障と表裏一体である国民主権もまた変更出来ないと考えるべきである。・・いったいこのあたりの議論は国会において、どこまでなされているのであろう?)

そしてまた、憲法の改正には「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で・・・発議し、
国民投票によりその過半数の賛成を必要とする」という「改正」のための要件すら、容易に変えることが可能となることは重大である。

一気には変わらないかもしれない。しかし、「あっ」と気づいた時にはすでに現在の憲法とは似ても似つかない憲法がそこにあった・・・なんていうことにもなりかねない事態が始まろうとしている。しかもその準備は、現行憲法の規定に忠実に基づくような外観を装いながら進行しているのだ。
ちょうど、ナチス政権が当時世界で最も民主的だと評されたワイマール憲法下に出現し、それを破壊していったように・・・

戦後のこの国の社会の安定は、憲法によるところが大きかったであろう、と私は思う。
その安定した基盤が揺らいだときの社会の混乱、もたらされるであろう国民の悲惨を想う。だが、我々はまったく未知の世界に足を踏み入れようとしているわけではないのだ。
未来を想像し、歯止めをかけることは可能なはずだ。ただ、この国の過去の不幸な歴史的経験から想像力を働かせばいいだけの事なのだ。

瑣末な事件をセンセーショナルにとりあげ、それを執拗に追いかけまわし視聴率かせぎに明け暮れるような番組づくりはいい加減にやめてはどうか?
国民投票法案の何がそんなに問題なのかを知らない国民は山ほどいる。詳しくわかりやすく報じようとしないあなた達の責任によるところが多いと私は思う。
数あるニュースのなかで、今何を報じるべきなのか。あなた方はいったいどこまで自分につきつめて考えているのだろう。報じる立場にある者の、この国の未来への責任は重い。

再度問おう。国民主権を見殺しにして平気なのか?



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投稿者:eudaimonia

勇気ある人

政治的な右傾化はテロルを伴いながら進行する。今この国では、かつて1930年代に進行した事態そのままの状況が再現されつつある。

僕は毎年8月9日になると、長崎へ原爆投下された時刻には必ず黙祷し、あの瞬間の惨劇に思いを馳せ、己がいまどうあるべきかを自らに問うてきた。
昨年は長崎の平和式典をテレビで見て、長崎市長の言葉に感銘を受けたことを今でも覚えている。そこに彼の熱い思いを感じた。それは彼の心からの叫びだったのだろう。被爆者たちの、一瞬にして生活や夢を奪われたたくさんの人々の「無念の叫びを忘れることは出来ません」と彼は言った。その言葉のもつ真実が僕の胸を熱くした。
保守系の市長でありながら己の信念に妥協することなく、堂々とアメリカにも日本政府にも異議を申し立てる。その姿勢にこころが震えた。日本もまだまだ棄てたものじゃないな、と思った。

今朝、衝撃のニュースを母の口から聞いた。
なぜか、いつかこんな時が来るのではないかと予感していたかのように冷静に事態を受け止めていた自分。
同時に「どうかこの現実のすべてが夢であってほしい」とも祈っていた。
「すでにこの時代にテロは驚愕の事態ではない」という僕の認識が間違ったものである事を願っている。

山本宣治のことを思った。テロに屈しない、真実を貫き通すとはいったいどれだけの勇気が必要なことだろうか。

伊藤一長さん。僕はあなたを尊敬します。
怒濤のような戦前回帰の流れの中、被爆者の思いに心を寄せ続けた人。自らに正直に生き、暴力による脅しにもひるむことなく、信念を貫いた人・・
できれば僕もあなたのようにありたい。
あなたに「いったい何をしているのか?」といわれないように生きたい。

どうか安らかに眠ってください。
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投稿者:eudaimonia

東京タワー

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を見た。

1960年代だろうか。当時の炭鉱の町と風景の描写、その美しさ・ゆたかさに魅了された前半部分。炭鉱閉山と地域の衰退がひとつの家族に投げかけたものについても考えさせられた。
中盤あたりからラストちかくまで、泣かせのシーンの連続。
あまりにも自分自身の半生が、主人公「僕」に重なり合うところが多く、彼の母への思いに共鳴し、涙がとめどもなくあふれたのだった。

なかでも映画シーンとして最高だったのは、上京した母とふたり、東京駅のホームのベンチでのシーン。もうひとつは「はじめて母の手を引いた」という写真にあるシーンだった。
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お涙頂戴式の映画には眉唾ものも多いが、この映画には真実を感じさせるもの、心に響く何かがあった。
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投稿者:eudaimonia
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