road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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人権メタボリック症候群

「女は子どもを産むマシーン」、「ブルーカラーは労働時間だけが売り物」(柳沢厚生労働大臣)という、人権感覚ゼロ、人間尊重の精神も、勤労を重んずる気持ちも、両性の本質的平等という憲法に立脚する精神もないこれらの発言にひき続いて、またまた暴言が文科大臣からとびだした。

「日本は、大和民族が統治してきた・・きわめて同質的な国」
「(人権を主張しすぎれば)日本社会は、メタボリック症候群になる」

ああ、まったくあきれてしまう!あいた口がふさがらないとはこのことか。

子ども達は今、息詰まるような同質性の強要のなかで窒息しそうになっている。
「みんな違ってみんないい」(金子みすず)
そうやって認められたいという飢え乾きに近い願望を持つ子はこの国に溢れている。
愛国心が強調される中で、肩身の狭い思いをしている他の民族の子だってたくさんいるのだ。
それが「いじめ」の問題と直結している。均質化する子ども社会の中での、異質の存在をターゲットにしたストレスの発散。
いじめの構造について、少しでも考えたことのある者にとっては、イロハのイだ。

「人権メタボ?」
はぁ??いったいこの人は、何を考えてこういうことを言っているのだろうか。
人権が尊重されていない状況だからこそ「いじめ」がこの国に蔓延し、緊急に対策をとるべき課題になっているのではないのか?
率先して人権軽視を言葉にする文科大臣は、昨年の十一月に下記のような手紙を書き、すべての児童・生徒あてに配らせている。

「弱いたちばの友達や同級生をいじめるのは、はずかしいこと。なかまといっしょに、友達をいじめるのはひきょうなこと。・・後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今やっているいじめをすぐにやめよう。
文部科学大臣 伊吹文明」


あなた、本当にいじめをやめさせたいのですか?
それならば、人権尊重をうたいあげなさい。みんなそれぞれちがっていいんだよ。それぞれの花を咲かせてください、と多様性の尊重を呼びかけなさい。

ところで、あなたこそ「政治家特権メタボ」ではないのか?
経費ゼロの議員会館で事務所を開設しておいて、4000万円以上の経費と報告していた。
だれがどう考えてもおかしい。政治資金には政党助成金(税金)も使われているのだ。
「後ろめたいことはない」のであれば、帳簿を国民の前に明らかにすればいいだけのことだ。
政治家としての義務を忘れ、助成金などを受け取る権利だけを主張するまさにメタボ大臣。

「弱いたちばの国民をいじめるのは、はずかしいこと。なかまといっしょに、税金を私欲のためにつかうことは、ひきょうなこと。・・・あとになって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今すぐ真相を明かして潔く大臣をやめよう。」

まともな国につくりかえ、まともな政府、まともな大臣を据える。
子ども達の「問題」は、実は大半は大人の義務・責任に関わる問題なのであろう。
















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投稿者:eudaimonia

先輩セツラーの名言

昨日、学生時代のサークルOBの掲示板に、次のようなメッセージが寄せられていた。

「政治も社会も一人の子どもにすべて反映している。
一人はすべてに責任があり、全体は一人に責任があるという。
私たちは、未熟でありながら、恐れながら、しかし一人のことを考えようとしていたのです。それは今、ますます貴重です。」


気がつけば、最近めっきりと、日常生活の中で使わなくなってしまった言葉。僕も、そして僕の周りの人たちも・・・
それは、「民主主義」という言葉だ。
あの頃の僕たちは、民主主義を、民主的な仲間の在り方を懸命に追い求めていた。
それは今、間違えなく、次世代に伝えるべき重要な価値であり、同時に、我々がもう一度自らに問いつめて考えるべき価値あるものと思う。
政治の在り方や多数決という手法の問題ではなく、本質としての民主主義を・・・

「人間でありたいと願っていたから・・・
大学という機構の歯車のひとつとなり、水俣で苦しむ人々の思いも知らぬ。
そんな人間になりたくなかったから・・・」


こんな一節だったと記憶している。サークルの新入生歓迎のための構成劇の中のセリフを思い起こした。

人間としての想像力の欠落、それ故の共感性の欠如。
それが、生きる仲間としての人と人との連帯をはばむ壁となって立ちはだかる。
ホームレスに転落した一人の老いた女性の、かけがえのない人生を奪った中学生達。
「家族がないなら、殺しても泣く人もないだろうと思った」と供述したという。
職を必死に探していた老女に対し、救いの手を差しのべるどころか、駅前広場から閉め出し橋の下に追い込んだ役人たち。
だがその一人一人にも、人間としての生がありドラマがあり、その人生に政治と社会の縮図が刻まれているのだ。

職場で時々、給食費を「払わない」家庭のことが話題になる。
「わずか三千円の給食費がなぜ出せない?」と非難する声も耳にする。
だが僕たちは、一人の子ども・ひとつの家庭のことをいったいどれだけ深く見つめ、考えあっているだろうか?
他者のほとんど何もわからないままに、うわべだけで人を知った気になって評価してはいないか?
したがってまた、政治が・社会が、一人の子どものありかたに・ひとつの家庭に「すべて反映している」ことにも目を閉ざしてしまっているのではないだろうか。

「我々一人一人はすべてに責任があり、全体は一人一人に責任がある。」
「未熟でありながら、恐れながら」一人の子どものことを、あの頃と同じように必死に考えられるような自分でありたいと思う。
出来ることならば、職場の仲間と共に・・・


大いなる触発をうけた先輩セツラーの言葉だった。









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投稿者:eudaimonia

自らを問い返す

学校にはたくさんの人間が集まっている。必然、そこには数々の人間ドラマがある。
くわしく書けないことも多いが、今日もまたそんな事を実感させられた日だった。

「昨日の夜ね。警察が僕の家に来たんだ・・・」
と浮かない表情で僕の前に現れたYくん。
彼は何年も、父親の暴力に悩み続けてきた。昨日は姉がやられたそうだ。
「・・だから夜遅くまで寝られなくて、きょうはだるいんだ」という。
彼は夜中、新しいお母さんが最近出産した赤ちゃんを必死で寝かせつけていたという。
10才にも満たない彼のそんなけなげな姿に、僕は頭が下がる。
Yくん、僕の励ましの言葉は、君の心の支えになっているだろうか?

あるクラスでの授業中、教室の電話がなり響く。突然の祖父の死の知らせ。
知らせを受けたNさんは平然としていた。僕が「あれっ?」って思うほど・・・
彼女がいつものように気丈に振る舞っていたから、教室では何事もなかったように時はながれていた。
だが実は・・・教室を離れて一人になった時、Nさんはあふれてくる涙をどうにもこらえることが出来なくなって大泣きしていた、と後に伝え聞いた。

ちょうどその同じ頃、Kくんが僕にポツリ・ポツリと話してくれたこと。
「○○には僕は何度もいったよ。」(Nさんのおじいちゃんが○○の人だった)
「そこに、お母さんがいるんだ。僕のおかあさんね、お父さんと別れて、だれか別の人とそこで暮らしているんだ。」
一年近く付き合ってきて、Kが初めて、自分から自分の身の上の話を語ってくれた瞬間だった。たんたんと・・そして、切ないほどにさりげなく。
Kくんのお父さんもまた再婚し、別に家庭をもっている。Kはおじいちゃん、おばあちゃんに育てられてきた。Kくんは、人間不信になってぐれてもおかしくないような境遇の中にあって、その環境を受け入れ、祖父母を大切にし、家の手伝いも率先して行い、自分の心の中にやさしさを育んできたのだった。
僕は、そんなKくんの姿にも人間の美しさを教えられ、頭が下がる思いを抱く。

職員室で担任の先生とその話をした。
「もう、最近はKくんが○○に行くこともなくなった。」と聞いた。
話をしていて、その表情にその言葉に、担任の先生のKを思う気持ちも伝わってくる。
僕は、胸にこみ上げてくるものに耐えられず、
席を立ってトイレに行って涙をぬぐった。

学校はドラマに満ちた場所だ。
そこで、僕が教えられ、救われることは数限りない。
だが果たして、僕はそこで何かを教えたり、また誰かを助けたりできるような存在たりえているのであろうか。
自堕落な自分を、そんな思いが鞭打つ。










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投稿者:eudaimonia

王様は裸だった

イラク戦争が間違った戦争であったことが誰の目にも明らかとなった。
少し前の事になるが、久間防衛省がブッシュ政権の開戦判断を「間違っていた」と批判したのは、「王様は裸じゃないか・・」といった子どもの発言に近いものと僕は受け取った。
つまり、素朴で正直で、真理を突いた発言ということである。
(マスコミの一部は、これを「失言だ」として柳沢発言と同一視し、「内閣のタガのゆるみの現れである。」などと言っていた。それには、ほとほと呆れてしまった。その程度の見識の記者達が記事を書く某新聞社なども、安倍内閣と同じく、タガが緩みっぱなしと思えるが・・・)

イラク戦争開戦の年、僕はある高校で講師として教壇に立っていた。
その年の冬、外務省の官僚があちこちの学校を廻って講演会を行う企画があり、
僕の勤務する学校においてもそれが催された。
やってきたエリート官僚は、全校生徒を前にして、与えられた時間のほぼすべてを使って、「イラク戦争がいかに正しく、必要な戦争であったか」その事だけを話し続けた。
「何のための講演会?」と疑問を持っていた僕であったが、その時にはっきりと悟った。
その正体は、政府による「戦争への荷担の言い訳説明会」
いやむしろ、若い世代をターゲットにした「戦争遂行肯定マインドコントロールの会」ともいえる代物だった。
それに使われた税金も、決して安いものではなかっただろう・・・

実は前日、生徒会長から相談を受けていた。
「(外務官僚に)何か質問してほしいと言われているのだけれども、どんなことを聞けばいいのだろうか?」と。
僕は「自分が一番知りたいこと、疑問に思っていることを率直に聞けばいい」とアドバイスして、授業でとりあげたイラク戦争についての生徒達の感想文を渡した。

「何の罪もない人が殺されている。どんな理由があってもそんな戦争が認められていいはずがない。」と彼女は質問に立ち、切り出した。
そして、「17才の感性」達が受け止めたイラク戦争に対しての生の言葉を紹介しはじめた。それは圧倒的に、命を否定する戦争を憎み、いまわしく思う言葉の数々だった。
壇上の外務官僚は、その言葉の力に明らかにたじろぎ、うろたえながらも、なお、
「大量破壊兵器をもった国を放置できない」「フセインはテロリストと結びついている」「世界の警察の役割をアメリカが果たした」「国連も決議したのだ」・・・
などと、当時ですらわかっていた明らかなウソを平然とついていた。(高校生達があまり知識がないことをいいことにして)
日本の税金を使ったブッシュ政権のスポークスマン・・・あまりにも惨めすぎる彼の姿だった。

あれから3年。
歴史は確かに、真理の所在・正義の所在を明らかにしつつある。
そう、最初っから王様は裸だったのだ!








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投稿者:eudaimonia

子ども達のSOS

事件発生。今日、ひとりの子どもが学校から「逃亡」した。

教科など、直接には担当していないが、自分の学校の子どもだ。
僕も、へとへとになるまで彼の捜索にあたった。久々に腰が痛くなるほど歩き廻った。
実に7時間半にわたる時間外労働だった。(もちろん無給の)
日常業務をこなすことも疲労困憊という状況の中、教職員のみながかけずり回った。

夜、無事に発見。皆で安堵し喜びあった。
やきもきと行方を捜している間、その子についてのいろんなことを知る。
前にも同じようなことがあったこと。そして、その子がそのような行動するのには、それなりの理由があるのだということ。
複雑な家庭事情。彼の兄弟3人の父親はみな違うということ、そしてまた母の離婚と引っ越し、そしてまた・・・

学校の現実・子どもの現実が無視されながら、雲の上から教育「改革」が進められつつある。
子どもたちと先生から「ゆとり」を奪うこと、テストで子ども達の競争を煽ること、成果主義賃金を学校に持ち込んで、教員を分断して競争させること。
学校の状況を悪化させるだけのメニューのオンパレードである。

困難を抱えるたくさんの家庭、そして子ども達の存在がある。そして、その心に懸命によりそおうとする良心あふれる教師たちがいる。それをサポートすることこそ、何よりもまず、教育行政が真っ先にしなければならないことなのではないだろうか?
今日、へとへとになった夜・・・僕は声を大にして叫びたい。





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投稿者:eudaimonia
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