2006/11/13
悪い夢が現実のものとなろうとしている。
今後、法律によって「愛国心」は我々大人に対しても強要されることとなる。教育基本法の対象は子ども(学校教育)だけではなく大人(社会教育)も含まれるからである。
組織ぐるみで世論操作の「やらせ」をするような国を愛せよと押しつける。(愛さなかったら法律違反なの?)
それも大問題だが、教育基本法の第10条の改定は、とんでもない事態を学校にもたらすことになる。
教育は「不当な支配に服することなく、国民に直接責任を負って・・・」という文章は、戦前の教育が国家によって支配されていた反省の上にたって書き込まれたもので、これはこの法律の「命」といっても過言ではないであろう。改定案では、政治権力による介入が法律に基づくものでありさえすれば良しとされる。危険きわまりない。再び、国家権力による教育統制の時代がはじまろうとしている。
衆院特別委員会での藤田英典氏の意見陳述。
「教育基本法は国民にとって空気のような存在だった。現行の教育基本法が充分な酸素を含み汚染されていなかったからこそ、この60年間の社会と教育の発展を支える根本法になってきたのです。これに汚染源が注入され、あるいは酸素不足になるならば、教育の現場は豊さとおおらかさと自由を失い、諸問題を加速させることになりかねない。
拙速に無責任な決定をしないよう切にお願いします」
全く同感である。僕にとってこの国の憲法・教育基本法は空気のようになくてはならない存在なのだ。それが失われれば、自分が呼吸困難となり窒息状況に陥ることは目に見えている。だから最近の僕は、毎晩のように悪夢にうなされている。
だが更に考えを進めれば、そのような状況に陥るのは決して自分だけではないという事に思いが至る。今はまだその危険には気づいていないこの国の多くの善良な国民にとってもまた同様の悲劇がまっているのだ。なぜなら、現行の憲法・教育基本法は多くのこの国の国民にとってその人が認識しているかしていないかにかかわらず、空気のようにかけがえのない、なくてはならない存在であるからだ。
拙速で無責任な歴史的決定が行われようとしている。
そして僕は今夜も悪い夢にうなされる。
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今後、法律によって「愛国心」は我々大人に対しても強要されることとなる。教育基本法の対象は子ども(学校教育)だけではなく大人(社会教育)も含まれるからである。
組織ぐるみで世論操作の「やらせ」をするような国を愛せよと押しつける。(愛さなかったら法律違反なの?)
それも大問題だが、教育基本法の第10条の改定は、とんでもない事態を学校にもたらすことになる。
教育は「不当な支配に服することなく、国民に直接責任を負って・・・」という文章は、戦前の教育が国家によって支配されていた反省の上にたって書き込まれたもので、これはこの法律の「命」といっても過言ではないであろう。改定案では、政治権力による介入が法律に基づくものでありさえすれば良しとされる。危険きわまりない。再び、国家権力による教育統制の時代がはじまろうとしている。
衆院特別委員会での藤田英典氏の意見陳述。
「教育基本法は国民にとって空気のような存在だった。現行の教育基本法が充分な酸素を含み汚染されていなかったからこそ、この60年間の社会と教育の発展を支える根本法になってきたのです。これに汚染源が注入され、あるいは酸素不足になるならば、教育の現場は豊さとおおらかさと自由を失い、諸問題を加速させることになりかねない。
拙速に無責任な決定をしないよう切にお願いします」
全く同感である。僕にとってこの国の憲法・教育基本法は空気のようになくてはならない存在なのだ。それが失われれば、自分が呼吸困難となり窒息状況に陥ることは目に見えている。だから最近の僕は、毎晩のように悪夢にうなされている。
だが更に考えを進めれば、そのような状況に陥るのは決して自分だけではないという事に思いが至る。今はまだその危険には気づいていないこの国の多くの善良な国民にとってもまた同様の悲劇がまっているのだ。なぜなら、現行の憲法・教育基本法は多くのこの国の国民にとってその人が認識しているかしていないかにかかわらず、空気のようにかけがえのない、なくてはならない存在であるからだ。
拙速で無責任な歴史的決定が行われようとしている。
そして僕は今夜も悪い夢にうなされる。

投稿者:eudaimonia