road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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歴史的分岐点

歴史の分かれ目ともいえる状況がやってきた。教育基本法改悪案が昨日審議入りした。
もし可決されるようなことがあれば、教育は不治の病にかかった病人のように死の床に就くことであろう。そして教育の死は、やがて現実のこの国の民のおびただしいほどの死と苦しみをもたらすことであろう。ちょうど教育勅語が発布された後にこの国が植民地支配と戦争への道へと進み、おびただしい数の人間が犠牲になっていったように・・・
まがりなりにも教育学部において学び、教育学士となった自分の最低限の義務として、今、世の人々に問い訴えなければならないと思う。
第十条「教育は、不当な支配に服することなく国民全体に直接に責任を負って行われるべきものである」
この規定は当時学生だった僕にはとても新鮮に感じられた。現実には中教審答申やら学習指導要領やら教科書検定やら、国による「不当な支配」はその当時も教育を縛りつけていたのだが、この法律が、教師や各学校における自由で創意にあふれる教育活動を支え守ってきたのだということを知った。
先日の「東京都君が代訴訟」において、裁判所が都教委による君が代斉唱の強制を「不当な支配」と断じ原告に勝利をもたらしたのも、この法律この条文があったればこそのことである。
ここに政府=支配層が「教育基本法憎し」とする一番の理由がある。
「子どもを教育する権利は国家ではなく国民のものである。」現在の教育基本法が明言するその内容が、「教育の主体は国家にあり」とすり替えられようとしている。教師と学校は子どもや保護者に対して直接責任を負うのではなく、国に対して責任を負うものとされる。東京都の勇気ある先生たちが、自分の教育信条をかけ生徒達に君が代斉唱を押しつけなかったことを、「職務上の命令に従わなかった」と処罰するような状況が合法化されようとしている。教育基本法が替えられれば、裁判所も違法とはいいづらい。国家の支配者達が、教育の全権を握っていくのである。教育の安楽死への道・・・来月中とも言われる改悪案の成立、体をはってでも阻止しなければならないと思う。
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投稿者:eudaimonia

教育の緩慢なる死

小学生でも高学年ともなると、T・T(チームティーチング)は本来とは違った意味を持つようになる。もともとは理解の遅い子の救いの存在として「お助けマン」としての教師が存在するという意味である。ところが、テストの点数が大きな存在としての位置をしめ、それによって子ども達が序列化されるような状況においては、子どもがわからないことや理解が遅いことが、ある種の「問題」となり、T・Tの先生に教えられることはその子のプライドを傷つけるという意味をもつようになる。

Nくんは活発で行動的な子だが算数が大の苦手。ぼくも注意を払って算数の時間は手助けしてきた。ところが先日、ちょっとした小テストの自己採点のときのこと。もちろんテストなのでぼくは教えることも出来ない。彼の出来は最低のものだった。ちょっとしたことでの間違えもあったので「あっ、そこは約分しなきゃ・・・おしいね」などとしゃべりかけていたら、彼は怒ったような口調で「うっとうしいなぁ」とつぶやく。そして、「ねえ、なんでここにいるの?」という。「いて欲しくないの?」と聞くと、「どっか行って欲しい・・」と言われた。
それは僕にはちょっときつい言葉だった。彼らにとって邪魔な存在ならば何のためにぼくはここで働いているのだろう?と、ふと思った。
ずいぶんと考えた末に僕は、自分の「悪慣れ」というものに気づいた。彼の痛みを、いったいどれほど自分の痛みとして僕はかんじていたのだろう。鈍感だったからこそ無神経で状況に応じた対応ができなかったのだ・・ということに思いがおよんだ。
あの痛烈な一言を云った後、Nくんはわざわざあまり近づいてこない僕を捜して、「ねェ、何をすればいいの?」などと聞いてきた。それは彼が僕に示した優しさだと思った。それは点数では決して表すことのできない彼の心の美しさだった。

もしも教育基本法の改悪案が通ってしまったら・・・と考えてゾッとしていることの一つが、学校に、そして子ども達の世界に今より露骨にそしてあからさまに「競争」が持ち込まれるということだ。すでに教育基本法改悪の先取りのような事態が東京都で進んでいる。競争は教育成果の数値化を求める。学力テストの実施、区ごとの成績の公表。それによって「出来る区」・「出来ない区」があからさまにされた。子ども達が「どうせ俺たちは馬鹿の集まる区だから」と口にしていると聞く。区内では学校ごとの成績が公表される。成績アップのために学力テストの過去問に取り組ませているところもあるという。そんな中で、テストが「出来ない」子はいったいどんなつらい思いをするのだろう。どんなみじめな思いに苦しんでいることだろう。教育基本法改悪賛成の政治家達は少しでもその辛さを想像したことがあるのだろうか?

いじめ自殺が問題になっている福岡県も学力テストで子ども達を激しく競わせている県である。
文科省は「いじめゼロ」の数値目標を現場に求め、現場はただただ上に追従して子どもの実態を無視しながら「いじめゼロ」の報告を続けてきたという。教育がこどもの事実と真正面から向きあわなくなったとき、その緩やかな死がはじまる。
教育基本法の改定案が万が一通れば、それによって国の教育基本計画が策定されることになるが、それを答申した中教審は「教育目標」を「出来る限り数値化」して「達成度の評価を容易に」することを求めた。教育の緩慢な自殺のはじまり・・・教育基本法改悪は今週にも審議入りという。
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投稿者:eudaimonia

すべての核兵器、すべての残虐兵器の廃絶こそ緊急課題

衝撃的な事実が明らかにされつつある。
イスラエル軍がパレスチナのガザ地区において、残虐な化学兵器DIMEを使用したという話だ。ガザの病院に「まるでのこぎりで切ったように骨まで」足を切断された人々が次々と運び込まれてきたという。切断された部分から金属片が見つからず、「高密度な炭素」が検出されたことから、米軍が開発した新兵器DIMEではないか?と疑われているという。
こんな兵器に下半身を切断されてしまった自分のこと・家族や大切な人々のことを想像した。背筋が、凍りついた。対象がパレスチナの人々ならいいのか?断固として否だ!

関連して思い出すことがある。アメリカがイラクのファルージャにおける大虐殺の際に化学兵器を使用したという疑惑の事だ。報道機関を一切閉め出した密室状態のファルージャにおいて、米軍は残虐の限りを尽くしたという。その際に化学兵器までもが・・・さらに遡れば、彼らが湾岸戦争において使用した劣化ウラン弾の放射能による被害者が今も苦しみもだえている。そして、先のイラク戦争においてもそれは使用されており、今後何年先もずっとイラクの人々は、放射能被害に苦しみ続けるのだ。イラクによる大量破壊兵器の保有を口実に始めた戦争だった。だが皮肉なことに、まさに彼らが使用したものこそ、限りなく残虐な大量破壊兵器であった・・・
安保理が対北朝鮮制裁決議を採択した。もちろん、核に頼り、核を保有することで自らの体制を守ろうとする北朝鮮政府に対する制裁は当然必要な措置であろう。だがそれと同様に、現実に残虐兵器によって無辜の人々を大量に虐殺したイスラエル・アメリカに対してより厳しい制裁があってしかるべき・・・と考えるのは僕だけなのだろうか?
確信犯的なウソでかためられた口実による大量の虐殺・・・一説によるとイラクの民衆の犠牲者は65万人にのぼるという。
かつて「わが国も核保有すべし」と公言したこの国の首相と対決し、北朝鮮を説得しうる論理は、「すべての国が核保有を放棄すべきであり、日本はその立場がとれるおそらく唯一の大国であり、その立場から世界をリードすべきである」これ以外にはないように思う。

もっと自分のことを、身近な日々の出来事を書き込みたいとも思うが、今の世界やこの国をめぐる状況がなかなかそれを許してくれない。



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投稿者:eudaimonia

自分にとっての真実を語る勇気

約半年ぶり。様々な事情によりブログから遠ざかっていたが、そろそろ復活しようと決めた。復活を迫る事情、書かないではいられない現実が進行しつつあるから・・・

昨日、北朝鮮が地下核実験を強行。テレビは深く問題の所在を掘り下げようともせず、恐怖と怒りをあおるばかりでやけにエキセントリックな「町の声」を伝える。僕には逆に、横並びにそうなっているマスコミの今の在り方が恐しい。せめて我々は冷静に受け止めよう。
書店で立ち読みしていたら、美輪明宏が9・11以後のアメリカ国民が恐怖と怒りの感情に流されて戦争を支持したことについて指摘したうえで、戦争をくい止めるのは人間の知性の高さだといっていることを知り感銘を受けた。
我々が何者かに対して恐怖を感じるのは、その恐怖を感じる相手が正体不明・謎であるからであるという部分が大きい。ならば、積極的に「知る」努力をしよう。そして想像しよう。それらはすべて我々の「知性」の働きである。
イラクは大量破壊兵器を持っているという理由で残忍な戦争の犠牲者となった。しかし、実は持ってはいなかった・・・などということは、アメリカは重々承知であったであろう。
同じくアメリカに「悪の枢軸」とされ、次の先制核攻撃の対象とされているイランが、そして北朝鮮が、アメリカの攻撃を回避しようと、或いはアメリカから何らかの譲歩を引き出そうと核兵器の保有を選択肢として考えるのは、実は自然な事なのかも知れない。実際には核兵器を持っていなかったあの「弱々しい」イラクが、こてんぱんにやられたのだから・・・

自分の思っていることを、いつでもどこでも「自由に」話す事は難しくなってきた。その言論の不自由の先に戦争がある。road to true.僕にとって真実だと思うことを語ること。ただそれだけなのにとてつもなく勇気が必要。だが、真実に生きた先人のすべてが乗り越えてきたことだ。その事実が自分を鞭打つ。
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投稿者:eudaimonia
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