road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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イラク戦争とはいったい何だったのか?

明日、イラク侵略戦争開戦3周年の日を迎える。

今もなおたくさんのイラク国民が殺され続けている現状は、いったい誰によってもたらされたものなのか?その責任を誰がどのように負うのか?
その事をまともに追及するマスコミは、残念ながら皆無といっていいほどの情けないこの国の現状だ。

名前を呼ぶことに対してすら嫌悪感を覚えるこの国の首相は、民主党の誰それという若造のことを「ガセネタによる質問をした」とやりこめたが、「ガセネタ」によってアメリカによる侵略戦争を支持して、少なくとも3万もの罪のない人々を死に至らしめるのに手を貸したのは、他ならぬ彼であった。
「大量破壊兵器は存在する。戦争は必要である。」と、ガセネタをもとに断定し言い放った彼は、その自らの罪をいまだに認めようともしない。
彼もまた、戦争犯罪人としてブッシュやブレアとともに追及されねばなるまい。追及するのは日本の国民の、世界に対して果たさなければならない責任なのではないだろうか?
「メール問題」で内閣支持率がUP?などという事は、理性的な国においてはありえない現実だ。
自衛隊は今、イラクで何を、何のためにしているのか?それを理解している国民は皆無に近いであろう。その事を問題にするメディアも存在しないまま、税金だけが投入され続ける。アメリカが戦争するときには、日本の軍隊も参加するのだ・・・という既成事実だけが創られていく。
だが彼らにとっての障害がひとつ・・・それは、平和憲法の存在だ。ああ、憲法9条さえ骨抜きにできれば、日本の軍隊に戦わせることだって出来る。日米の財界、「死の商人」のもうけために、アメリカ人ではなく日本人に血を流してもらうことだって出来る。

今日、イラクに派兵した国を控訴するための手続き(弁護士への委任状)を終えた。
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投稿者:eudaimonia

優しさと強さについて

小林多喜二の「母」を小説に描いた三浦綾子。
敬虔なキリスト者の彼女が、無神論者で筋金入りの共産党員であった多喜二と彼の家族の事を小説のモチーフとしたことに、当時はとても驚いたものだった。
だが思想・信条の違いを越え、「真実」を求め己に対して厳しくかつ誠実に生きる多喜二の姿勢に、綾子が激しく共感を覚えたのであろう事は、後になってみれば、容易に想像がつくことであった。

今日、「風はいずこより」という綾子のエッセイを読んだ。
その中に、「多喜二の優しさ」と題する一文があった。彼の弟を取材したときの事を書き、多喜二の親兄弟達の優しさ、あたたかさ、明るさに感動したことを語っていた。その弟から聞いた小林多喜二像は「さらに優しかった」と書かれている。

「その多喜二の姿を、私は感動なしに思い浮かべることはできない。」
キリスト者は「本当に自分には愛があるのか、顧みたいものである」

なんと、深く謙虚で胸をうつ、真実に満ちた言葉なのだろう。

多喜二は、「中国への侵略戦争反対、絶対主義天皇制打倒・主権在民」を主張した非合法の日本共産党に所属し、3・15事件における特高警察による拷問の野蛮さを小説に訴えたこと、ただそれだけの理由により、築地署においてその特高警察により虐殺されている。
彼の受けた拷問は聞くに堪えないほど凄まじい。僕は若い頃、「これほどの拷問に耐えても自分は戦争反対の意志を貫くことが出来るだろうか?」「多分自分には無理だろう・・・」などと青ざめつつ考えたほどである。
それでも彼は、節を曲げなかった。
その強靱な精神力、その強さ。その理由はいったいどこにあるのか?ずっと考えつづけてきたことであるが、その秘密は、彼のたぐいまれなる優しさにあるのではないか・・・と、今日、綾子のエッセイを読み確信した。

人に対する「優しさ」、それはそのまま己を支える「強さ」となり、自分に対する「精神の強靱さ」、それはそのまま人に対する「優しさ」につらなるのであろう・・・
真実に生きた二人から、今日教えられたことである。
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投稿者:eudaimonia

チャレンジ

「もっと○○を出来るようになりたい」という旺盛なチャレンジ精神。
子どもたちを見ていると感動させられることが多い。

「1から19まで、一つ飛ばしで出来るだけ速く数えてみよう」と一年生達に挑戦させる。最初は言い間違えたり、30秒もかかったり・・・でも彼らは挑みかかる。
そのうち、「おうちで4時間練習したよ!」(本当?)って云う子が現れて、現実に彼女は12秒というタイムを記録する。
やがて(きっとみんな一生懸命になって負けじと練習したことだろう)、ほとんどの子が6秒以内に云えるようになり、ついには2秒で云える子達も次々と出現した。
可能性を現実性に変える、子ども達のもつエネルギーは本当にすごい・・

さて、僕も負けじと昨日「はじめてのマラソン」に挑戦した。
たった10kmのコースだったけれども、僕にとっては不安いっぱいのチャレンジだった。でも挑戦することは、わくわく・ドキドキという心地の良い緊張感を僕にくれた。
今まで1.5kmが屋外で走ったことのある最長距離だった。
3年ほど前から室内のランニングマシンで走ってきたものの、最初の頃は時速7kmの20分でグロッキー。距離にしてわずか2kmそこそこしか走れなかった・・・
たばこをやめ、週一日のランニングを続け、そしてついに昨日10kmを完走できた。
「人間は変わる。人間のもつ能力は自らの挑戦によって伸びてゆく。」
そのことを己の身をもって知らされた体験となった。

マラソン大会の参加者には70才を越える高齢の方々もいた。僕より速く走ってゴールした年上の方は何人もいた。「可能性に限度はない」っていう事を教えられた。まだまだ自分の可能性にチャレンジしていきたい。そんな気持ちに目覚めさせられた昨日の「挑戦」だった。
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投稿者:eudaimonia
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