road to truth

ひとりの人間の「真実の生き方」への模索の記録

 
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人は変わる!

まどか(仮名)、小学4年生。
彼女は今日算数の時間、目を輝かせて「楽しいな〜」「算数たのしい!」と、クラスのみんなに聞こえるほどの大きな声ではしゃいでいた。
こんな時がやってこようとは、4月の頃の僕には想像することすら出来なかった・・・

昨年の三学期。まどかは、たとえ学校に来ても授業は受けずに運動場で一人で遊びまわっていたという。
家庭の事情により(母子家庭で、母は夜のお勤め。まどかは母が仕事から帰宅するまで起きていて、明け方の4時頃に母と共に寝るという)勉強に身を入れることも出来ず、したがって授業についていけない。そんな彼女にとって、「勉強することはただただ苦痛を強いられること」だと感じたのも当然であったであろう。

現在の担任の先生の尽力もあり、(毎日のように朝、彼女を迎えにいっている)少しづつ力をつけてきた彼女。
算数も、僕が「九九」のマンツーマントレーニングをして、少しずつ覚えた。そこには級友の励ましもあった。

ところが、2学期途中頃になって、まどかは突然攻撃的に僕をはねつけるようになっていた。「うるさい」・「こないでいい」などなどの言葉が僕に投げつけられた。
そのころの彼女の感情はとても不安定だったので、彼女に対応することはかなりむずかしくエネルギーの必要なことだった。
僕は、嫌われながらも懸命になって彼女のめんどうを見た。自分を受け入れない相手のためにエネルギーを注ぎ込むことは正直言って苦痛だった。与えられた苦痛は受け入れたが、同時にまた、このままではいけないとも思っていた。

転機は、社会科の発表会のための準備の時間に訪れた。

いつものように「むつっ」とふくれっ面したまどかの前で、僕は他の子どもたちと一緒に、発表会のための「指示棒づくり」を笑い転げながらやっていた。手作りの指示棒づくり・・・アイデアいっぱい出しあいながら、お気に入りの作品を子どもたちと共につくった。
心底楽しみながら・・・思い通りのものを創りだした。
「わぁ〜、やったぁ〜やったぁ〜!」と喜ぶ僕を、まどかは「ヘンなの〜」とおもしろがって見ていた。
「先生、子どもみたい」と笑顔をみせた。子どもなのに子どもらしくないまどかにそう言われた。
そこに希望を見つけた。

「自らの姿勢ひとつで、生活は楽しくできるもの」

それがその時の、僕からのあの子へのメッセージだった。

何かが変わりつつあった。
理科の実験の時。マッチで火をつけることを恐がるまどか。手を貸しながら、言葉をかけながら、何度もチャレンジさせて・・・とうとう自分の力で出来た時の彼女の満足そうな笑顔。

今日の算数の時間、まどかは何度も「丸つけて、丸つけて」と問題に答えるたびに僕に催促してきた。
「特別扱いはよくない」は一般論。まどかへの丸つけは別だ。
現に、彼女の喜ぶ姿をほほえましくクラスメートも見つめていた。
それは、彼女にとって、今までに味わったことのない自己肯定の感触だったのかも知れない。

「おもしろい!算数たのしい!」今日、まどかは目を輝かせてそう言った。
クラスメートのみんなが笑顔でそれに答えていた。

「人間は変わる。」

人の持っている可能性のなんと幅の広いことだろう!
まどかから僕が学んだこと。
授業をさぼって遊びまわっていたあの子も、実は「勉強が好き!」っていう気持ちを持っていた。
条件さえあれば、いつでもどこまでも人は変わる。

(「やってみよう」という主体的な姿勢。その結果、「できた」「わかった」と感じられる応答性。そして、「よくがんばったね!」「すごいね!」って認められる人の(関係性の)存在。)

そして、それは決して子どもだけのことじゃない。
僕もまた、自分の可能性に自分で限界を設定しないようにしたいものだと思う。












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投稿者:eudaimonia

ゲバラの夢

この国が沈んでゆく。
この国の孤立化は、すでに相当に進んでいる。

靖国参拝をごり押ししたこの国の首相(名前も呼びたくない)が、「批判しているのは韓国・中国だけだ」と言った矢先に、シンガポール元首相の「日本は過去を反省せよ」の発言。
政権内だけでなく、たとえば、この国の書店では「大東亜戦争はアメリカからの侵略戦争」などという本が平気で売られているという恥知らずな現実。
(さすがに「中国からの侵略」とは云いたくても云えないらしいが・・・
でもドイツで、たとえば「第二次大戦はフランスからの侵略戦争、ナチスは自国を防衛しただけ・・・」などという本が販売できるのだろうか?)

世界の常識からますます離れ孤立化するこの国の「常識」
底なしの淵に沈みゆくこの国の知性と良心

だがしかし、我々の見る夢はやがて必ず・・・

今、南米では続々と、アメリカの「新自由主義」に対抗する対米自立、民主政権が誕生している。ベネズエラで、そしてボリビアで・・・

チェ・ゲバラ・・僕が尊敬してやまない人。
彼は、キューバ革命政権内において築きあげた地位も名誉も、安定した生活もなげうって、虐げられた南米の民衆のために、革命のために身を捧げる。
キューバでは成功した革命であったがボリビアでは・・・彼は当時のボリビア独裁政府の、アメリカの特殊部隊によって訓練された兵士たちの手によって捕らえられ惨殺された。
しかし今、その地で、初の先住民出身のモラレス政権が誕生した。アメリカのあやつり人形にならない、民衆を代表する政権の誕生だ。

ゲバラの見た夢が、40年の時を越えて彼の最期の地において、実現しつつある。その目を世界に向けさえすれば、歴史は着々と前へと進んでいることは一目瞭然であろう。


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投稿者:eudaimonia

「かどや」にて

一人で酒を飲んでいると不思議な出会いというものがある。

いつものようにメモ帳にメモを書きながら飲んでいると、隣の若いお兄さんが、「失礼ですが作家の方ですか?」と聞いてきた。そこから話になり、次第に深くつっこんだ対話となった。
聞くとその人、精神の病が重く、病院暮らしが長いという。
最初の原因となったのは、小学校2年の頃にあったいじめ。それから彼は学校に行かなくなり、彼の今に至る苦闘の人生が始まった・・・

彼を本気で救おうとする大人がいなかったという事が悔しくてならなかった。彼を追いつめていった彼を取り巻く全体に怒りをおぼえた。
僕は感じたことのそのままを彼に話しながら、いつのまにか涙をこぼしていた。焼鳥屋の丸く囲まれたカウンターで泣きながら話している光景は異様だったであろう。でも、僕は恥ずかしくはなかった。
純粋に真っ直ぐに僕に向き合ってくる彼に、自分もまた純粋に真っ直ぐに向き合う以外に彼と対する方法はなかった。

「病んでいる」という彼の心の方こそがまともで、そしてピュアで、彼を取り巻く(つまり僕らを取り巻く)社会の方こそが病んで、どす黒くなっているとしか僕には思えなかった。

優しい心の持ち主たちが、この社会では辛く苦しい思いをしている。
傷つき打ちのめされながらも、彼らは彼らのものである優しさを守りながら生きている。


彼が、飲み屋で酒を飲むのは一年ぶりだと言った。思い切ってやってきた、とも言った。
そして何度も何度も「来て良かった」と繰り返した。
「あなたと出会えて本当に良かった・・・」と言ってくれた。

なぜか、不思議な巡り会いに最近よく導かれている。


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投稿者:eudaimonia
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