2019/2/12

母の四十九日法要を終えて  短歌

先日、年末28日に満93才で亡くなった母・保子の四十九日法要を自宅で無事に終えることができた。12月31日の葬儀の時と同じく今回も交野市のお寺から住職に来てもらい、骨折で入院中の妻の節子さんが一時帰宅したのに加え、同居の長男・和也、それに和歌山市内に住む弟夫婦が加わった5人が参列して行ったものである。予め作ってあった正式な位牌に入魂してもらったので、それを正式な仏壇へ移して法要は終わった。

それにしても、近日は不思議なことが起こったものである。四十九日法要までの仮の仏壇でのこと、ある日いつものように巻き線香に火を点けてお参りをしていた時、その線香がボーっと燃え上がったのである。いつもどおりに線香の端に着火ライターで火を点けただけなのに線香全体が急に燃え上がったので驚いて消し止めた。

その時は、仮仏壇の両側に置いていた生花への水やりが十分でなかったせいか萎れるなど手入れが不十分なことや、仮仏壇を本来の仏壇と向かい合わせに設置していたためそれぞれにお参りする際は一時的にお尻を向けることになるのを気にしていたのだが、母親がそれらのことに腹を立てて怒りを示したのかなあ、と考えていた。

ところが四十九日法要の前日に、その準備のため、気になっていた仮仏壇を正式仏壇の近くに寄せ90度の角度の位置に移動し、併せて萎れた生花を新しいものに交換してからお鈴を鳴らすと、それまでは短くコーンとしか鳴らなかったものがその日からはチーーンと気持ちのよい響きを残すようになったのでこれまた驚いた。もちろん翌日の法要時もそのあとも気持ちよい響きは続いている。私はそれで、ああ母親も「それでよし」と納得し満足してくれたのかなあと感じたものである。

法要のあと弟たちにそのことを話したら、皆も「そうかもしれないね」と同意してくれた。弟とは、「我々を産み育ててくれ、大人になってからも様々な形で心配をかけたにもかかわらず見守ってくれた母のことを忘れずに、これからも仏壇やお墓をきちんと守っていこうな」と誓い合った次第である。

非科学的な受け止め方であることは承知しているものの、亡き母親に対する我々の接し方を改めて考え直させるには十分なできごとではあった。合掌。
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2019/2/8

「まんぷく」と「いだてん」  短歌

NHKで今放映されている朝ドラは「まんぷく」である。主人公のモデルは、即席ラーメンを発明した日清食品の創業者、安藤百福だそうだ。一方、日曜日の夜のいわゆる大河ドラマは「いだてん」で、日本人が初めてオリンピックに出場した時のマラソン選手、金栗四三がモデルと言われている。

今のところどちらも観ているのだが、この2つのドラマには大きな違いがある。はっきり言って「まんぷく」のほうは前作などに比べても面白くて引き込まれるほどなのだが、「いだてん」のほうは観ていて全然楽しくも面白くもない。その理由は、脚本のうまさと出演する俳優の違いではないだろうか。

「まんぷく」のほうは、特に主人公の福子役の安藤さくらがいい。映画「万引き家族」に出演していた彼女は暗くてつかみどころのない人物を演じていたが、今回は徹底して明るく楽観的な役を素で演じているように見えるから楽しい。ちょっとしたしぐさや表情も他の女優にはない自然なもので新鮮味がある。そこに、何ごとも悲観的にとらえて「問題だ、問題だ」とばかりわめく母親役の松坂慶子の演技が対照的で面白い。そこが脚本の冴えなのだろう。

一方「いだてん」のほうは、「東京オリンピック物語」というサブタイトルから見て、日本で2回目となる来年の東京オリンピックへの関心を期待してのドラマなのだろうが、時代があちこちへ飛び過ぎて展開がわかりにくく、落ち着いて観ていられないので面白くない。その理由は、古今亭志ん生役のビートたけしも主要な役割を演じていてまるで主人公が二人もいるように感じられる点が大きいだけでなく、たけしの存在が浮いているのである。さらには志ん生の若いころを演じている俳優がたけしとはイメージが違い過ぎるから視聴者としては混乱するばかりである。

この脚本家は朝ドラ「あまちゃん」も手掛けた人で、あのときはそのハチャメチャぶりも結構人気を呼んだものだが、今回はそれに味をしめたのか、前回を上回るハチャメチャぶりである。恐らくは、視聴者が朝ドラに求めるものと大河ドラマに求めるものが違うのに、脚本家たちはそれをきちんとつかみ切れず勘違いしているからではないだろうか。これでは出演する役者たちもかわいそうである。

この印象を、顧客の心理や期待をつかみ切れないまま経営方針を出す経営者と、その指示と要求に沿ってがんばる社員たちになぞらえて見る私の感じ方はうがちすぎなのだろうか?
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2019/2/4

北アルプスが見えてきた  短歌

昨年初めに腰椎の圧迫骨折をしてから早いもので1年が経過した。昨年1年間は治療に専念したため、ほとんど山らしい山には登れなかったが、11月には大和葛城山にロープウェイで登り下山は徒歩で降りた。その後は12月に骨折記念(?)の生駒山にリベンジ登山したほか、近くの矢田山や交野の山、三田の山、和歌山の名草山など近畿の低山をいくつか歩き少しずつではあるが、自信を回復してきていた。

そういうある日、大親友達が計画している京都の愛宕山行きの人数が3人しかいないということを知り参加者を募集していると聞いたので、思い切って申し込んだ。これまで数ヵ月の山はどれも標高差が500メートル以下であったが標高921メートルの愛宕山のそれは800メートルくらいあるので躊躇していたのである。

いざ本番。当日は今季一番の寒気が来て京都や大阪市の市内でも積雪が見られた日であった。登山口周辺から軽い積雪があり、3合目からはアイゼンを着ける。やはり例年よりは積雪量が多いようである。だが、できるだけ荷物を減らして軽くしたおかげで身体は軽い。

例によって親友達と軽口を交わしているうちに山頂に着いた。愛宕神社で「火の用心」の古いお札を返却し、新しいお札を買い求めたらあとは下山である。しかしその前には、神社手前の防寒小屋で軽いアルコールと行動食で身内から身体を温める。ほんわか気分と達成感満載で軽い足取りでの下山後は、お決まりの柚子風呂と、地鶏と京野菜と嵯峨豆腐の水炊きである。

さあこうなるとムクムクと自信が蘇ってくるから不思議である。大親友たちからは、昨年だけ行かなかった北アルプスへまた行こうではないか、と復活登山を強く誘われた。もちろん大いに行きたい気持ちになっている。親友とはありがたい存在である。
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2019/1/30

警官を励ましてしまった  短歌

今日は近くの交差点の陰の坂道で隠れて待機(いわゆるネズミ捕り)をしている白バイの警察官に激励をしてしまった。というのは、最近は信号無視をする車があまりにも目に付くので、安全のためにそれを取り締まってほしい、と感じたからである。

若い警察官の答えは、「たまたま昨日、ついその先の交差点で信号無視による交通事故があったので、こうして違反車両を見張っているところです。」とのことであった。「ああ、やっぱり!」という感想である。私は「その交差点も危ないが、この先の大きな交差点は渡りきるのに時間がかかるのに黄色になってからでも平気で交差点に入ってくる車が多い。早く渡りきろうと焦ってスピードを出しているので、よけいに危険である。」と要望しておいた。

ついでに「事故があってすぐにその場所で対策をとってくれるのはありがたい。もう一つ気になるのはウィンカーを出すタイミングが遅い車が増えています。曲がり始めてからウィンカーを出すか、下手をしたら出さない車もありますよ。あれも危ないです。期待していますので、バリバリと取り締まってください。」と激励している私がそこにいた。

私の人生では、白バイや警察官を見ると、何も悪いことをしていなくても何となく緊張したり敵対視することが多かった気がするが、今日は逆に激励をしてしまった。不思議なこともあるものである。何が私にそうさせたのだろうか?
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2019/1/28

韓国ドラマの限界  短歌

最近は妻の節子さんがすっかり韓国ドラマにはまっている。私もそれに付き合って観る機会が増えている。観ていて感じるのは3点ある。

先ずは「恨(はん)」の文化である。時代劇にしても現代劇にしても、主テーマは「恨」で構成されている。だから「恨み」とか「仕返し」とか「かたき討ち」とかのことばがしょっちゅう出てくるので、聞いていてこちらが辛くなってくる。だから登場人物には「敵(かたき)役」が必ず必要で、それがあたかも生贄のような役割を演じている。「勧善懲悪」が主テーマの日本とはこの点が大きく異なると感じる。
 
もう1点は照明技術がお粗末そのものだということである。照明が一方からしか当たっていないことが多いので、人物や景色が実に不自然な場面が多いのである。観客や視聴者もそれでよしとし、制作スタッフもそれで満足しているようだが、その程度の情緒性しか持っていないのではないかと思えるほどお粗末な技術力である。

3点目は、登場人物(特にヒーローやヒロイン)が追いつめられるのは、たいていが断崖絶壁だという点である。そして矢で撃たれたり、足を滑らせて自ら千尋の谷底の川へ落ち、もう死んだと思われたのに助けられて生き返り仕返しに及ぶのである。要するに、ワンパターンの典型である。

こうして見てみると、先日来見苦しく聞き苦しい応酬を繰り返している韓国艦船のレーダー照射事件についても、彼らの考え方が理解できる気がする。自らの文化には乏しく「創造」の力が弱いためか、歴史的に見ても大国である中国の顔色を窺いその真似をしているくせに、一方ではその悔しさをどこかにぶつけたいために「敵役」を日本に求める、という思考構造が見えてくる。

また国民に迎合するリーダーと政府の偏った考え方は、外交的に約束を交わしたことでも平気で破ったり、堂々とこれまでとは逆のことを主張するなどを繰り返しているが、そんなことでは国際社会からの信頼が得られないどころか、既に信頼を失い世界中の笑いものになっている、ということにもうそろそろ気づき自覚すべきであろう。困った隣国である。
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