2021/9/18

カモメの水兵さんを見たことがありますか?  短歌

カモメの水兵さんを知っていますか?そうです。「カモメの水兵さん、並んだ水兵さん」で始まるあの童謡です。私はそれを、和歌山市の北西端にある加太の海で見たのです。

それは釣り好きの後輩に誘われて出かけた釣り船の上でのことです。船は、早朝4時半に港を出て友ヶ島を抜け紀淡海峡を北上して、深日港や多奈川発電所と反対側の淡路島の黒岩水仙鏡を結ぶくらいのところまで漕ぎ出ていました。

後輩や副学長が大きな鯖や形のいいハマチを次々と釣り上げる中、私だけがいわゆる「ぼうず」の状態が続いていたのです。引き上げ時間の間際に一度だけ鯖が釣れたのですが、タモで掬いに行ったところで逃げられてしまいました。

そんな5時間近くの退屈な船上から何気なく海面を眺めていたら、波間に何かが浮かんでいました。「木のクズかゴミかな?」と思いながら眺めていたら、その物体が急に空へ飛び立ったではありませんか。

そうです、その物体はカモメだったのです。それまでは童謡の歌詞にあるように、「波にチャプチャプ浮かんで」いたのです。それは私にとっては初めてのできごとでした。

おまけに、その日は背びれだけを海面上に出して悠々と泳ぐサメの姿も見かけたのです。73歳の今までこんな経験はありませんでしたが、そんなできごとが同じ日に2つも重なったのです。

人生にはこんな一日もあるものなんですね。釣果はゼロでしたが、珍しい体験ができた一日ではありました。
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2021/9/5

骨髄異形成症候群について  短歌

落語家の笑福亭仁鶴が84歳で亡くなった。死因は骨髄異形成症候群であった。芸能人では、かつて歌手の本田美奈子も同じ病気で亡くなっている。

私がそれを気にするのは、実はこの私も骨髄異形成症候群を抱えているからである。詳しくは、血液の中の白血球と血小板の量が基準値より少ない病気のことである。免疫力が弱くなるので一般の人より感染症に留意することが肝要である。血液を造る骨髄に機能不全があることが原因だとされている。

私の場合は、それが判明したのは今から20年くらい前のことである。ただし自覚症状はなく、飲酒や激しい運動などを禁じられる行動制限もなく、投薬も受けていない。

だから、日ごろは病気のことを意識することはほとんどないのだが、この病気で亡くなったという報道に接する度にやはり思い出してしまう。また、3年前の腰椎圧迫骨折の後遺症で未だに腰痛が治り切らない現状も、私の弱気に繋がっている気がする。

今さらながら、健康管理の重要性と人生の無常を感じる今日このごろである。
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2021/8/30

大学生のグローバルネットワーク  短歌

今春、母校大学の後輩である30代の若手教員の男性(カナダの大学院へ留学中)と今年卒業したばかりの女性教員から相談を受けて、「グローバルネットワーク」を作ることになった。とはいえ、作るのも運営するのも彼ら若手が中心であり、私は同窓会の会長としてそのバックアップをすることとそのグループを公認して支援の意思を表明することくらいである。

このグループの設立の趣旨は、海外留学を経験した若手がその経験を活かしてこれから留学をしたいと考えている若手や現役学生達を支援しようとするもので、将来的には海外から日本に留学に来ている外国人も対象に加えて現実的で具体的な交流を深めていこうとするものである。

若手が作るグループなので世間の信用を得るために同窓会の公認がほしいとの相談を受けた時、私はほぼ即座にそれに賛同すると共に、同窓会のネットワークで多くの人たちにこのグループのことを広報させていただいた。併せて、彼らとは大学側でこれを支援する教員も含めたオンラインミーティングをカナダと日本を繋いで開催してきた。

4月の発足からしばらくは音沙汰がなかったこのグループだが、ここにきてようやく第1回目のイベントの構想ができたようで、昨日、カナダの彼からメッセンジャーを通じて同窓会のZoomの利用の要請が来た。今朝は、時差も考慮した時間帯を選んでZoomで接続テストを兼ねた打ち合わせを行った。

3週間後にはその第1回イベントが開催される。現役学生を含む若手の後輩たちの活動を温かく見守りたいものである。
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2021/8/27

やはり文科省はおかしい  短歌

先日のニュースで、2009年度に導入された教員免許更新制度を23年度から廃止する方針を文科相が表明していた。廃止の理由は、この制度の講習時間や受講料や講習内容に8割の教員が不満を持っていたからであるという。何かが間違っていると感じる。

そもそもこの制度は、教員の質の向上を目的に導入されたもので、10年ごとに期限前の2年間に大学などで30時間以上の講習を受けることを義務づけたものである。教員たちの不満は、受講料3万円が自己負担負担であることや、講習の実施が授業がない夏休み期間中なのだがその貴重な時間が何日も取られてしまうことなどだそうだ。それに加えて、30時間を埋めるために各自で選ぶ講習内容はとても概念的でつまらないものが多いことが一番の理由だそうだ。実践的なものは定員がすぐに埋まってしまうため、申込みに取られる手間がかかることも不満の理由らしい。

この制度の実態はたぶんそうなのだろう。だが事実はそういうことであっても、だからそれを廃止するという判断、決断はいかがなものだろうか。一方ではこの講習を評価する受講者の意見もあるし、制度の必要性は多くの人が感じている。なぜなら教育すべき内容も年々変化や付加されるし、その手法も毎年のようにどんどん変化しているから、十年一日のような教え方では子供たちに「考える力」を付けることはできないからである。また教員の中には「教員の世界は、身銭を切ってスキルアップしたり、見識を広げよう!という人は少ないように感じる。」という意見もある。

つまり、受講者側である教員に不満が多いからと言って、それに迎合して「では、やめます」という短絡的な判断をするのではなく、不満が多いのなら、講習方法や講習内容の見直しをするとか、申込み方法の改善をするなど「できるための工夫をする」という方向になぜ行かないのだろうか。研修を強いるのではなく、学びの楽しさや必要性に気づいてもらう制度設計をすべきではないのか。またそのためには、この10年間実施後に講習の成果の検証は十分にしていたのだろうか。

10数年前に法律を作ったものの、本気で制度設計をしていないから、つまりは本気では取り組まずいやいやの姿勢で始めたからおざなりの内容と運営になっていたのではないのか。子供たちに対して傾聴しましょう、子供たちの自主的な学習を促しましょう、と指導している文科省自体が教員に対してそのことを実践できていないことが教員の不満の根源ではないのか。

コロナ対策でミソばかりつけている厚労省と共に官僚の中では行政能力の低さを指摘される文科相だが、この制度への対処の仕方をみても全く世間の指摘の通りだと改めて感じる。一旦廃止した制度はもう二度とは復旧できないだろう。せめて自分の無能さに気づけば、民間や外国など他の力を借りてでも、制度の目的を達しようという行動が生まれるのだろうが、それすら期待できるとは思えない。情けないことである。
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2021/8/9

「優先座席」の功罪  短歌

公私の鉄道で「優先座席」が導入されてから久しいが、最近よく見かけるのは、若者が先を競って優先座席に座ろうとダッシュしたり、いかにも老人らしい人が前に立っても席を譲ろうとせずスマホに夢中になったり居眠りをしている若者男女が多いという現実である。

そこで感じるのは導入時の精神というか目的が忘れ去られているような気がすることであり、あの制度や仕組みによって却って公衆道徳の心が失われているように思えてならない。なぜこういう現実が発生しているのだろうか?電鉄会社などが優先座席の存在をもっと強く訴えることが必要なのだろうか?

いや、私はそうではないのではないかと考える。今から40年以上前の20代後半に初めてアメリカに長期出張した際に感じたことだが、そもそもこの種のマナーや交通道徳において、アメリカは大人扱い、日本は子供扱い、というのが特徴である。規則でいちいち細かく決めないで、いざ何か事故やトラブルが起こった時にはマナーやルールを守っていない人には厳しい罰が待っているのがアメリカで、事故やトラブルが起こらないように事前に事細かく決めておくのが日本である。

どちらが大切なのか?どちらが子供や若者の教育のために有効かつ有益なのだろうか?と考えた時、日本という国もそろそろ欧米のように大人扱いの国に成長してもいいのではないか、と私は思う。法律やルールブックで細かく決めておこうとしても、実際には法律では想定できないような稀有なケースがよく発生するものである。

それよりも、基本となる考え方を子供のころにきちっと教え込む教育、つまり「道徳」や「マナー」の基礎教育を幼い時期に身につけさせることが重要なのである。そうすれば、「優先座席」などの制度や表示がなくても、老人が乗車してきたら座席を譲る、社会的弱者が身近にいればそれを助ける、という行動が自然に行えるのではないだろうか。

予め決めていることによって、決められていないことであれば何をしてもいい、というような「誤った自由」がまかり通ることになっていないだろうか。これには戦後の変な平等教育や知識偏重の教育も影響しているかもしれない。豊かさを考える場合も、数字で見える経済的な豊かさではなく、目には見えないが大切な心の豊かさ、精神的な豊かさが今こそ求められている気がしてならない。
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