2018/7/22

文科省は一体何をしているのか!  短歌

文科省幹部の子弟の有名医大への裏口入学が見つかった。甚だしい公私混同と言わざるを得ない。若者に対する教育、育成を司る役所のしかも幹部として、国民の期待と付託を裏切った行為は許せないものである。文科省と言えば天下り問題でも世間の批判を受けたばかりなのに、まだ懲りないのだろうか?こうなるともう彼らの神経がマヒしているとしか思えない。

その文科省が大学に対してはえらそうに強力な指導を行っているのはちゃんちゃらおかしい。少子化対策の一つとして進める文科省の施策は、86ある国立大学の再編統合を進める01年の「大学の構造改革の方針」としてアンブレラ方式と呼ばれ、様々な形での再編統合を目指している。この一環として、04年には国立大学の独立行政法人化が施行された。しかし現実は、法人化してからのほうがそれまでより一層文科省からの縛りは強化されているのが実態である。

確かに少子化が現実のものとなり、何らかの対策が必要なことには間違いはない。しかしこの少子化は何も最近になって急にわかった問題ではない。「2018年問題」などと呼ばれ、ずいぶん前からわかっていたことではないか。なのに文科省は大学や学部の新設や定員増を許可し続けてきたのである。こうした実態を引き起こしておきながら、今さら再編統合もあるまい。その政策には一貫性が微塵も感じられない。

矛盾だらけの文科省こそ、一旦解消して再編すべきではないのか?日本航空に学ぶわけではないが、例えば民間企業での真の経営者経験のある人物をそのトップに迎えるなどにより、再出発を図ってもらいたい。

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2018/7/17

NHKは必要か?  短歌

先日の新聞で、NHKによるテレビ番組のインターネットを通じた「常時同時配信」について総務省の有識者検討会が「一定の合理性、妥当性がある」との判断を示したということが報じられていた。その新聞の社説では、これについては理解できるもののNHKの業務範囲が野放図に広がっていくことを心配していた。

新しいことに取り組むことを認める一方で、NHKはその業務の範囲を見直して時代の変化に伴って役割を終えた事業は思い切ってやめるべきだ、というのがその主張である。現に、日本のお手本となった英国では、2016年、BBCがネット事業の拡大に合わせてテレビのチャンネル数を減らしたそうだ。

私も全く同感である。そもそもお役所の基本的な発想というものには「スクラップアンドビルド」の考えがなく、「ビルドアンドビルド」だけであることが許せない。これが民間企業なら「選択と集中」の精神から何かに集中投資や新規投資を行う際には、他の何かを縮小したりやめたり売却するのが一般的である。従業員の数も減らすべきだろう。

NHKにそれができないのは、私は「受信料」制度があることが大きな要因だと考える。税金でもなく利用料でもなく、NHKを見ていない人からも徴収するというNHKの受信料の曖昧さと、毎年の事業計画を法律や政府の許認可で縛っていることが、企業でありながらお役所のような体質を生んでいる。結果として上記のような甘い判断や事業運営がなされている大きな要因となっている。

「公共放送」というものの存在価値を全面的に否定するつもりはないが、NHKの番組を見ていて「さすがこれはNHKにしかできないな」と思われるものは極めて少ないのが実態である。お笑いやバラエティや歌番組など、民放各局も含めて溢れているではないか。そこにNHKまでが競争するように取り組む必要がどこにあるのか? 

単年度会計、予算至上主義で、国会で承認が必要なため経営環境の変化にも即応できない経営体質のままでは適正な経営判断ができるはずがない。国は、NHKという組織のあり方そのものを思い切って見直すべきだと考えるがどうだろうか?

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2018/7/12

企業と事業の進化  短歌

昨日の新聞に、パナソニックが重点事業の一つである住宅事業の中で、リフォームの部材を一括管理するという記事が出ていた。普及タイプのドアや冊子といった住宅のリフォーム部材の管理を効率化するシステムを導入するということらしい。

従来は部材メーカーが、リフォームを手掛ける住宅各社に担当者を配置して投入する新製品や既存品の廃止などに関する情報を伝えていたのだが、今後はパナソニックの担当者がリフォーム現場でタブレット端末などを使って即座に部材の発注が可能になり、顧客対応が迅速になるそうだ。

これはIOT技術の進展と言えばそれまでだが、単にそれだけではないものを感じた。というのは、他の住宅メーカーに対しても普及タイプのリフォーム部材の共通化を働きかけて、商品点数を減らすことによって住宅メーカーに安く長く供給できるようになるそうだから、これはもうビジネスモデルの変更あるいは進化と言えるのである。

先般は、AIの進展に伴って働く人たちの役割や仕事の中身が変わっていかなければAIにとって代わられるということを述べたが、今回のケースはその企業版、事業版と言える。企業や事業も進化しなければ顧客や世間から取り残され、廃退の道をたどるしかないのである。

進化論を著したダーウィンは、「生き残るのは強いものではない、変化に対応できるものである」と言ったそうだが、これは個人にも組織、企業、事業にも当てはまるものではないだろうか。
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2018/7/1

席を譲られることが増えたなあ  短歌

ここ数ヵ月の間に電車内で座席を譲られることが急に増えた気がする。つい先日は、いつも断るのは申し訳ない気がしてありがたく受け入れて席を代わってもらった。日本の若者のマナーが急に向上したのだろうか?いやそうとも思えない。ではなぜか?どうやら半年前の腰椎圧迫骨折のせいで私の腰が曲がっているからのようだ。

骨のほうはかなり良くなった気がするのだが、骨折のせいで腰骨の形が前のめりというか前傾していることもあって、自分では背筋を伸ばしているつもりでも自然に前傾姿勢つまり腰が曲がった形になるのである。これはどうしても老人特有の姿である。

単に年齢だけのせいではなく、そういう姿勢が私を真の老人に見せているのであろうと推察される。これは嘆くべきことだろうか?それともやむを得ないこととして受け入れるべきことなのだろうか?う〜ん、難しい。現実を認めまいとする気持ちと認めなければいけないだろうという気持ちが交錯する。

これまでは歩く速度も、どんな年代にも負けないものであったのが骨折以降はグンと遅くなり、一時は女性にさえ追い越される程度にしか歩けなかった。しかしながらそれも随分回復して、最近ではほぼ元どおりの速度で歩けるようになったのだから、もう少し時間をかければ姿勢にしても元どおりに近くはなるだろう。

それを信じて、今は素直に席を譲ってもらうことにしよう。

 「若者に席を譲られ梅雨明ける」
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2018/6/27

民営化の効果かな?  短歌

4月から民営化された大阪の地下鉄「大阪メトロ」を利用していて、以前とは何か変わったような気がする。それもいい意味においてである。乗務員の愛想がよくなったし、車内アナウンスの声もハキハキとしてきたようだ。

その理由が何かを考えてみた。まず浮かぶのは、民営化されたことによって赤字を出しても税金からの補填がなくなるので会社をつぶさないため、つまりは自分が失職しないために必死な気持ち、つまりは危機感が呼びこされたのかもしれない。次に、経営者が変わったことである。それによって、社員に求めるものが明確になったのかもしれない。

思えば30年くらい前に中国に出張した際、北京である国営のホテルに泊まったら、食事のあとのコーヒーが飲みたくなってカップを掲げて注文したそうな行動をしたのだがレストランのスタッフは気づいているのかいないのか、全く私のところには来なかった。翌日は国道を挟んだアメリカとの合弁のホテルで食事をしたところ、私がビールを飲み終えるかどうかという時点でスタッフがニコニコと近寄ってきて「もう一杯いかがですか?」と話しかけてきたものである。

つまりは、当時の中国では「サービス」という概念がなく、色んな努力や工夫をしてもしなくても同じ給料であるため、お客に対する接し方が全くなっていなかったのだが、その5年後にまた北京に行ったときには、新しい空港でカウンターに長蛇の列ができていたところ、空港スタッフが私の便名と出発時刻を確認したうえで閉まっているカウンターを開けてくれて手続きをしてくれた。全く別の国に来たような感じがしたものである。

そも人間というものは、どのようにすれば評価されるのか、役割は何かを明確に示されればその実現のために努力をする生き物なのであろう。顧問先である中小企業の人事評価基準の見直しをしている昨今、ふとそんなことを考えた次第である。


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