2018/12/25

電車の座席の座り方の不思議  短歌

ふと気になったことだが、始発電車が入線して乗客が我れ勝ちに座るのは、なぜかシートの端の席であることである。寒いこの時期では多少は例外もあるようだが、ほとんどの季節においてこの傾向は変わらない。その理由は何だろうか? すごく気になった。

両側を他人に挟まれるのが嫌なのか、降りる時にドアから近いからなのか、他の人がそうしているから何となくやっているのか、またはその他の理由なのだろうか?とにかく気になるのである。私の知る範囲では、この傾向は関東でも関西でも違いはないようだ。

地域差がないとすれば、人間としての本能というか感覚的な理由なのだろうか?しかしながら男性と女性による違いも感じられないから疑問はますます深くなる。

こんな他愛もないことに関心を持ったのは、最近「考えるとはどういうことか」という哲学の本を読んでいたせいかもしれない。「0歳から100歳までの哲学入門」という副題のこの本は、身の回りの些細なことに対してでも素直な疑問を持ち、その理由や背景について考えることを推奨していた。

何の役にも立たないことではあるが、考えるトレーニングにはなったかもしれない。
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2018/12/19

声音と発声について  短歌

ある居酒屋で一人で飲んでいたとき、背後から聞こえた声が昔の上司の声に似ていたので、思わず振り返った。しかしそこにいた人は全くの別人であった。不思議なこともあるものである。

よく似た声を出すためにはその発声方法もよく似ている必要があるだろう。しかしながら、同じ発声方法だからと言って同じ音声になるわけではない。もしそうでないなら、世の中には同じ声が溢れるはずだからである。

だとすれば、音声の要因には発声の方法だけでなく、その人の口の形や骨格、体格なども関係しているのだろうか?

その関連で言えば、顔や体格などの見た目とは全然違う声を出す人もたまにはいる。あれは聞く側の人が、見た目で予めその相手の声を予測しているからだろうか?あるいは、人の見た目で、こういう声だろうと決めつけや思い込みを持っているのかもしれない。

いずれにしても、人の声というものはなかなか奥が深いようだ。
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タグ: 声音 発声

2018/12/14

「ゆとり教育」の意義を見直そう  短歌

大親友から教えられた「アナザーストーリーズ」というNHKの番組を楽しみに観ている。その最新の秀作は「ゆとり教育」についての物語であった。20002年度から9年間続けられた「ゆとり教育」の評判は総じて悪いが、このドキュメンタリーを見てこれまでの認識は思い切り変わってしまった。

「ゆとり教育」の特徴は「総合学習」にあることがわかったが、どうやらこれをきちんと理解して実践できる教師が少なかったこと、一部の学者やマスコミが「日本の子供達の学力が落ちる」というキャンペーンを張ったこと、一般の国民がそのキャンペーンを信じてしまったこと、が誤解を生む原因であったようである。

「ゆとり」というネーミングのまずさも災いして、数々の誤解を生んだようだ。文科省からの「学習指導要領」に定められたレベルも最高基準(上限)ではなく最低基準であったそうだが、大半の受け止め方はその逆であったそうだ。それを正しく理解した人達は、上限がなくなったのだから画一的でない教育のやり方を模索し実践していったが、サラリーマン化した教師の大半はこれを勘違いして、自分達の仕事が増えるという恐怖感からキャンペーンを増長させたきらいがある。

「ゆとり教育」の目的の一つはそれまでの「落ちこぼれ」をなくすことでもあったが、明治以来の、国力強化のためそして欧米に追いつくための「詰め込み教育」から脱皮し、「生涯学習」を目指すという目的があったことも知った。それは、国力を上げるという国のための教育から個人のための教育であり、「知識を得る教育」から「考える教育」への転換でもあったのだが、マスコミはそれにはほとんど触れなかった。

文科省やマスコミは、今回のNHKのように今こそ「ゆとり教育」の正しい総括を行い、反省すべきは反省して、今後の教育のあり方を見直すべきではないだろうか?
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2018/12/10

身長2センチ短縮を実感した  短歌

昨日から今日にかけて、城崎温泉に来ている。メンバーは高槻の事業所勤務時代の近隣の企業の総務部長、人事部長の面々である。目的は、言わずと知れた温泉とカニである。

これまではこの会の旅行といえばマイカーの相乗りが多かったのだが、新年会の時の私ほかの提案により、今回は長距離路線バスの利用となった。梅田からバスで3時間余りで城崎温泉に着く。便利なものである。

久しぶりの城崎温泉なので、七湯めぐりを楽しむことにした。とはいえ時間の都合もあるのでとりあえずは一番大きい御所の湯に入った。湯船に浸かって床に尻を着くと意外に湯の深さが深いことに気づいた。

しかしながら次の瞬間にはその考えが間違っていたことに気づいた。湯船が深いのではなく、私の身長特に座高が低くなったせいで、危うく湯を飲みそうになっただけなのである。

1月の腰椎圧迫骨折のせいで身長が2センチ短くなったことはわかっていのだが、短くなったのは座高であることを忘れていたのである。温泉水があわや口から入りそうになり、顎を上げてその事態を避けながら、ふとそのことに気づいたのであった。骨折の影響は様々なことに表れている。
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2018/12/2

11ヵ月ぶりの生駒山  短歌

3日前に親友たちで編成する4人会で久々に生駒山に登ってきた。この山は今年の1月4日に同じメンバーで登ったのだが、山頂での新年バーベキュー会の後、下山途中のケーブル駅の階段で12kgを背負ったまま尻もちをつき腰椎の圧迫骨折をした因縁の山である。

とはいえ山には何らの責任はない。それはその通りなのだが、骨折をしてからというもの、ほぼ半年で骨折そのものは治ったものの、その間の運動不足からか腰痛は起きるわ坂道は怖くなるわで、憶病になったというか慎重になっていたのは間違いない。

しかしながら、先月中旬に大学OB会の歩こう会で兵庫県の三田市まで出かけて標高差300mくらいのアップダウンを2回、合計距離で約10kmを歩いてきたのだが足にも腰にも何らの違和感がなかったので、親友たちの励ましに応えて生駒山へ挑戦したのである。

ゆっくりのペースであったことも幸いしてか、結果としては今回も何にも違和感はなく登れたし、下山後3日経つが足も腰も痛くはない。ということで、11ヵ月ぶりの言わばリベンジ登山は大成功に終わった。下山後の駅前居酒屋での忘年会では、新春恒例の京都・愛宕山登山を決意できたし、来夏には北アルプスの黒部五郎岳への遠征のプランも浮かび上がってきたほどである。

やはり持つべきものは友・・・。毎月の私の健康のリバイバルプランにも付き合い、何かにつけて励ましてくれる親友の存在は大きいし、ありがたいものである。今回は特にそのことを再認識した。焦らず、しかし着実に北アルプス用の体力を取り戻したい。
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