2018/8/8

奈良県のことを少しは見直した  短歌

「知事は県民のほうを見ずに中央ばかり向いている」と日ごろは批判している私だが、先日の新聞報道を見て少しはその考えを見直した。その記事は、先の国会で成立した「改正医療法・医師法」についてであった。医療の地域間の偏りを是正し、都道府県ごとに病院や医師の配置を見直すのが狙いだそうだ。この課題に対して、奈良県は病院の機能分化にいち早く着手したというのである。

それは2006年に、複数病院から受け入れを断られた妊婦が亡くなった事故がきっかけである。当時は県南部には3つの公立病院に医療資源が分散し、拠点機能が曖昧であったのだが、県は機能を集約した「断らない病院」を新設して診療成績を改善した。そしてその他の病院は急性期の患者から回復期の患者や療養向けに切り替えた。拠点病院の立地や人事の調整、資金調達などの課題は市町村と協力して乗り越えたのである。

あの奈良県もやればできるではないか。少しだけ見直した。しかしながらまだまだ課題は残るようだ。例えば、民間病院の機能分化も残されている。理由は、これまでは国の医療政策が急性期の診療報酬を上げてきたため、中小病院の多くが迅速な処置が必要な急性期を中心とした医療を行っているからである。また医療には需要も提供体制も地域差が大きく、現場の知恵が欠かせないという側面がある。医療だけでなく介護や生活支援を一体で考え、地域実態に応じて支えるのが行政の役割である。

観光行政の不備など何かと不評な奈良県であるが、これを契機として県民、住民のほうを向いた施策を更に進めてもらいたいものである。
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2018/8/5

2つの花火大会  短歌

今年は例年になく2回の花火大会を体験した。1回目は和歌山市の港まつりである。昨年の高校時代の学年合同同窓会でお世話になった印刷会社から花火の観覧席の入場券をもらえたので、大学時代の友人夫妻を誘って三人で出かけた。

花火は19:30からだが、混むと聞いていたので17:30には最寄りの和歌山港駅に着いたが、なるほど既に浴衣姿の若者を中心に見物客で埋まっている。とぼとぼとしか進めない道の両側には、ここぞとばかりに各種の屋台が軒を連ね、食欲をそそるいい匂いを放っている。

この花火を観るのは、学生時代以来だから何と50年ぶりである。しかも今回は本来は有料の特等席である。数百メートル先の船から打ち上げられる花火は文字どおり眼前に迫るし、音も含めて大迫力そのものである。大満足で帰途に着いた。

2回目は、全国的にも有名なPL花火芸術(PL花火大会)である。こちらは私の顧問先である富田林の会社の招待会である。毎年お誘いをいただくのだが、食べ放題、飲み放題にお寿司弁当と羽曳野ブドウのお土産付きという贅沢三昧の行事なのでここ数年はご遠慮していたが、今年は久しぶりに参加させていただいた。

しかしながらこの花火大会はここ数年で大きく様変わりしていた。開始時刻は19:30でなく20:00からになり、20:30に終わる。しかも途中に2回くらいの中休みがあるから正味は25分くらいしかなかった。資金不足のため数年前から規模を縮小しているとは聞いていたが、あまりにも昔との違いが大きいのには驚いた。

アゴアシ付きの立場だから贅沢は言えないが、私の中ではこの花火大会の魅力は急速に低下しつつある。減ったとはいえ大阪にはまだいくつもの花火大会が残っているが、それぞれが少しずつ痩せ細るよりは大会の数を減らしてでももう少し満足のできる花火大会を開催してほしいものである。

和歌山市の「港まつり」の花火
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PLの花火
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2018/7/30

伊勢志摩日帰り一人旅  短歌

先週の木曜日は日帰りで伊勢志摩への一人旅をしてきた。目的は賢島での海鮮料理である。きっかけは、近鉄の株主優待の無料乗車券の有効期限が今月末なので、無駄にしてはもったいないためその利用をしたものである。

読みかけの本を2冊リュックに入れ、最寄りの一分駅から大和西大寺へ、そこからは乗り換えなしで賢島駅に向かう。自宅からは約2時間半の旅である。乗り換えなしというのは思いほか快適で、薄い文庫本ながら往きに1冊、帰りに1冊読むことができた。こういう体験もまんざら悪くはない。

半年くらい前にも妻の節子さんと同じように賢島に行ったことがある。今回もその近くだがまた別の店を訪ねることにした。前回は海に筏を浮かべた上に据えられた店だったが、今回はきちんとした店である。しかも2階だから見張らしもよい。

昼の定食は1日10食限定2000円というのもあったが、せっかくわざわざ来たのだから、やはり基本の4000円の定食にする。結果的には大満足であった。

店内は決してきれいとは言えないし、板前のほかは70〜80代の無愛想なフロア担当のおばさんがいるだけだが、何しろ焼ガニから始まりトレトレのお造り、ホタテ、大アサリ、地魚の焼き物と、次々と出されてくるからとても追いつかない。「焼酎お代わり!」のピッチもどんどん上がる。

結局は、約2時間かけての昼食となった。食後は、2階から見えていた古びた喫茶店でアイスコーヒーを飲んで、次の特急電車待ちをする。夕方にはちゃんと我が家に着いていた。

たまにはこういう馬鹿らしい一人旅も悪くないものである。

お目当ての海鮮料理の一部
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海鮮料理店2階から遊覧船乗り場を見下ろす
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2018/7/22

文科省は一体何をしているのか!  短歌

文科省幹部の子弟の有名医大への裏口入学が見つかった。甚だしい公私混同と言わざるを得ない。若者に対する教育、育成を司る役所のしかも幹部として、国民の期待と付託を裏切った行為は許せないものである。文科省と言えば天下り問題でも世間の批判を受けたばかりなのに、まだ懲りないのだろうか?こうなるともう彼らの神経がマヒしているとしか思えない。

その文科省が大学に対してはえらそうに強力な指導を行っているのはちゃんちゃらおかしい。少子化対策の一つとして進める文科省の施策は、86ある国立大学の再編統合を進める01年の「大学の構造改革の方針」としてアンブレラ方式と呼ばれ、様々な形での再編統合を目指している。この一環として、04年には国立大学の独立行政法人化が施行された。しかし現実は、法人化してからのほうがそれまでより一層文科省からの縛りは強化されているのが実態である。

確かに少子化が現実のものとなり、何らかの対策が必要なことには間違いはない。しかしこの少子化は何も最近になって急にわかった問題ではない。「2018年問題」などと呼ばれ、ずいぶん前からわかっていたことではないか。なのに文科省は大学や学部の新設や定員増を許可し続けてきたのである。こうした実態を引き起こしておきながら、今さら再編統合もあるまい。その政策には一貫性が微塵も感じられない。

矛盾だらけの文科省こそ、一旦解消して再編すべきではないのか?日本航空に学ぶわけではないが、例えば民間企業での真の経営者経験のある人物をそのトップに迎えるなどにより、再出発を図ってもらいたい。

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2018/7/17

NHKは必要か?  短歌

先日の新聞で、NHKによるテレビ番組のインターネットを通じた「常時同時配信」について総務省の有識者検討会が「一定の合理性、妥当性がある」との判断を示したということが報じられていた。その新聞の社説では、これについては理解できるもののNHKの業務範囲が野放図に広がっていくことを心配していた。

新しいことに取り組むことを認める一方で、NHKはその業務の範囲を見直して時代の変化に伴って役割を終えた事業は思い切ってやめるべきだ、というのがその主張である。現に、日本のお手本となった英国では、2016年、BBCがネット事業の拡大に合わせてテレビのチャンネル数を減らしたそうだ。

私も全く同感である。そもそもお役所の基本的な発想というものには「スクラップアンドビルド」の考えがなく、「ビルドアンドビルド」だけであることが許せない。これが民間企業なら「選択と集中」の精神から何かに集中投資や新規投資を行う際には、他の何かを縮小したりやめたり売却するのが一般的である。従業員の数も減らすべきだろう。

NHKにそれができないのは、私は「受信料」制度があることが大きな要因だと考える。税金でもなく利用料でもなく、NHKを見ていない人からも徴収するというNHKの受信料の曖昧さと、毎年の事業計画を法律や政府の許認可で縛っていることが、企業でありながらお役所のような体質を生んでいる。結果として上記のような甘い判断や事業運営がなされている大きな要因となっている。

「公共放送」というものの存在価値を全面的に否定するつもりはないが、NHKの番組を見ていて「さすがこれはNHKにしかできないな」と思われるものは極めて少ないのが実態である。お笑いやバラエティや歌番組など、民放各局も含めて溢れているではないか。そこにNHKまでが競争するように取り組む必要がどこにあるのか? 

単年度会計、予算至上主義で、国会で承認が必要なため経営環境の変化にも即応できない経営体質のままでは適正な経営判断ができるはずがない。国は、NHKという組織のあり方そのものを思い切って見直すべきだと考えるがどうだろうか?

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