2011/9/20

最大の責任は国民自身にあり  短歌

先日の国会中継のテレビ放送を観ていて、政治家達の志のレベルの低さお粗末さに呆れ返ってしまった。そこでは最大野党の党首が新しい首相に対して代表質問をしていたのだが、その内容があまりにも国民多数の期待とはかけ離れたものであったからである。それは党利党略のためのもの政局ねらいのものであり、真に国民のことを考え将来の日本をどうするかという視点に欠けたものであった。言い換えると今のマスコミが喜びそうな話題が大半を占めていた。まさに「大衆迎合」そのものではないか。

ある雑誌の記事に、「日本ではマスコミが権力者の取り巻きになってしまい、『何をするか』ではなくて『誰が権力者であるか』が重要であると考えるようになっている。これが政治指導者の資質を低下させている。」という意見が掲載されていた。あるシンクタンクの顧問である著者は「マスコミは国民に代わって政治家に対し『ではあなたはどうすべきなのですか?どうするのですか?』と聞くべきである。それを続けるだけで政治指導者たちの質は格段に高まる。マスコミ自身がその問いを自分たちにも向けるべきである。」とも書いていた。全く同感である。

ところがマスコミがそれをできないのは、そんなことを聞けば政治家たちが不愉快になり政局のネタを喋ってくれなくなるから、だとも書いていた。マスコミも政治家たちと同罪で、国民の幸せを考えず自分たちのことを優先して考えていることにほかならない。その結果、政治についても経済についても「三面記事」「週刊誌的な記事」が横行する現実に至っている。

また最近読んだ「街場のメディア論」という本では、一般国民の主要な情報源であるテレビや新聞などのメディアの凋落ぶりを訴えていた。国民に代わって命がけの知を発信するのがメディアなのに、それが後退していると嘆いていた。そして、そういうテレビの姿勢をせめて新聞が指摘し批判すべきなのにしていないのは、「メディアミックス」などという美名のもとにほとんどの新聞がテレビキー局の傘下に組み込まれているから、とも指摘していた。

そういう枠組みの中で政治だけでなく経済や教育まで論じるものだから日本全体がおかしくなり、「クレーマー」や「モンスターペアレント」が大量発生するのも頷ける。マスコミの責任は極めて大きい。しかしながらそういう報道に興味深く群がったり、そういう政治家を選んできたのはほかならぬ国民自身である。ここらで国民が「自分たちが望んでいるものはそんなものではない。」という意思をはっきりと示すべきではないだろうか。

「世の中のあるべき姿マスコミが見ずに政治と迎合すとは」

「許されぬ今のメディアの無責任 彼らの評価基準つくらん」
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