2021/10/30

変化を嫌う日本の教育  短歌

日経新聞の朝刊で、今週は「教育岩盤〜変化を嫌う〜」と題して日本の教育について特集をしていた。入学が4月で卒業が3月など日本の教育が世界各国と大きく違っていることは既に広く知られているが、今回の特集では学校教育の改革が停滞して、その結果として科学技術の研究や先端技術開発で日本が世界から大きく後れを取ってきていることや、優秀な頭脳が海外に流出している背景が分析されていた。

5日間の記事からキーワードを拾ってみると、日本の教育制度の「硬直性」「履修主義」「平等主義」「同調圧力」「枠にはめる」「前例主義」「変化を嫌う体質」「固定観念」「暗記中心」「詰め込み主義」など後ろ向きなことばが並び、まさに「お役所主義」がここでも深くはびこっていることがわかる。この面における文科省の時代遅れ感は厚労省のそれとも並び称されるほど明白な事実である。

世界がものすごい勢いでグローバル化し、IOTなどを中心として高度技術化し、様々な意味でのボーダーレス化している中にあって、明治初期に作られた枠組みを死守して改革や挑戦をしていないものだから、それらの変化に対応しきれず、国力という意味でも日本の立場はどんどんと後退している。

世界中のほとんどの国が「他ではやっていないから取り組む」という基本姿勢であるのに対して日本は「他で実績があることしか認めない、取り組まない」という姿勢のため、コロナ禍への対応でも何かにつけて後手後手に回っていることは自明の理なのだが、こと教育の面においても同じことが起きていることは間違いない。

新聞でも強調されていたが、この実態を切り拓くために大切なことは、どういう日本をつくっていくのかという「長期ビジョン」であり、国家百年の大計に基づいた骨太な未来図である。ところがそれを為すべき日本の政治と政治家は目の前の政局にばかり目を奪われて選挙戦を戦っている。政府与党や中央官庁も国益よりは省益や党利党略を優先し、派閥の論理で総理大臣が選ばれていく構図はここ100年近く変わっていない。

いっそのこと、我が日本も総理大臣は国民の直接選挙で選ぶとか大統領制を導入するくらいのことをしないと日本の将来は危ういのではないかと、真剣に悩んでしまうのである。
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2021/10/24

孫たちの成長に驚く  短歌

昨日から孫たちの内の二人が母親と共に来宅している。昨日は昼前に私がクルマで迎えに行ったのだが、玄関でインターホンを押したら「はーい。ちょっと待ってください」との応答があったのだが、大人びた男性のその声には覚えがなかった。

ドアが開いて出てきた孫を見てもう一度驚いた。1女1男の弟のほうで小学6年生なのだが、夏休みに会ったころから大きく背が伸びているではないか。たった2〜3ヵ月でこんなに伸びるとは驚き以外の何ものでもない。そのあとに出てきた姉(長女)も同じ年代では大きいほうだが、どうやらこの数ヵ月で身長は逆転したようだ。それに伴って声変わりの最中らしい。

自宅に着いて並んでみたら、何と私とほとんど変わらない、というより私よりも少し高いくらいである。ということは160cm以上あるのである。6年生でこれだけの背であれば、あと10年で180cmくらいには確実に到達するに違いない。

そういえば今はドイツに出向中の父親も180cmくらいの長身だから、その点から見ても間違いなく長身の人になることだろう。今も時々は足が痛いと言っているから、まさに伸び盛りなのである。

私自身もそういう時期があったことを覚えているが、彼ほどの急成長は経験したことがない。驚きと共に嬉しさと一抹の寂しさも感じたひとコマであった。
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2021/10/9

昭和の残像と決別する時  短歌

先日の日経新聞の「大機小機」という欄に「昭和の残像と決別する時」と題した記事が掲載されていた。一読して大いに納得し共感した。筆者によると、日本の税制や社会保障制度には「昭和の残像」を残しているものがまだまだ多く、それが日本経済の停滞の一因ともなっている、というものである。

例えば、「第3号被保険者」とは専業主婦と子供2人という「標準世帯」を前提として、会社員らの扶養配偶者に国民年金を支給するための制度であるが、その「標準世帯」は今や現実離れをして久しいのに、税制や社会保障制度は未だにそれを前提にしている、というものである。

考えれば、この他にも雇用に関する法律もそうだし、押印や紙ベースの役所文化が邪魔をしてこの国のデジタル化が世界に後れを取っている実態も、同じく「昭和の残像」を背景にしているからではないだろうか。

筆者はさらに「持続可能な国家を実現するためには、新しい制度のあり方が問われている。近現代の日本が明治維新と敗戦後の経済復興という過去2回全く新しい制度作りに成功したように、今こそそれに取り組むべきだ」としている。因みに、明治維新から敗戦までが77年、来年は敗戦から同じ77年にあたる、そしていずれのケースもリーダー層の交代とセットだったとも指摘している。

明治維新から既に150年余。もうそろそろあのころの社会・経済・生活環境を背景とした制度や仕組みや法律から脱皮するべきだと、私も強く感ずるが、いかがだろうか?
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