2019/10/23

母の納骨式を終えて  短歌

一昨日は和歌山市内の妙法寺で、年末に満93歳で亡くなった母親の納骨式を行った。私と弟のそれぞれの夫婦だけの寂しい納骨式であったが、無事に終えることができたので、今はホッとしている。昨日会ったある人からは、「葬儀の時も当然寂しさは感じるが、納骨式を終えるとそれ以上の寂寥感を感じるものですね」と言われたが、まさにそのように感じる。

法要を行った妙法寺というのは、和歌山市内の寺町というお寺が密集した町のほぼ中央に位置し、紀州藩の学者であった祇園南海師のお墓があることでも知られている。ここのお墓は、父親が生存中に自分で見つけてきたお墓である。だからこれまではお墓には29年前に亡くなった父親だけしか入っていなかったのだが、この度やっと2人目が入ったことになる。

法要と納骨のあと、住職としばらく話し込んだ。先ずは、葬儀は大みそかであったため菩提寺であるこのお寺ではなく葬儀場から紹介してもらったお寺さんに頼んだのだことのお詫びを申しあげ、その後も長らく正式な連絡をしていなかったこともお詫びした。住職は、この前電話で話した時ほど怒ってはいなかったが、それでも「連絡だけは当初の段階から欲しかった」と繰り返し苦情を言われた。

落ち着いて考えればその通りで、これからも一周忌などの法事をやるときにはこのお寺のお世話にならなければいけないのだから、先ずはここへご連絡をしたうえでその都度はどこに依頼するかを決めればよかったかもしれない。

次に、「お盆の生駒の仏壇へのお参りに来ていただくことついては遠隔地のためご遠慮したい。お盆にはこれまでも我々がここのお墓に参りに来ているので、それでよしとしてほしい」と述べると、それについては快く了承が得られた。というのは、大阪や奈良などからの依頼も減ったし、お盆というのは時期が集中しているため、数件のために1日を費やすとほかのお宅へのお参りの時間が少なくなるので、今年からは和歌山以外のお宅へのお盆参りは辞退することにしたそうである。それを聞いてホッとした。

お互いにわだかまりがなくなったところで、一周忌の日時の予約をして解散となった。実家も引き払った今、地元とつながるわずかな機会が法事である。これを疎かにせず、ついでに菩提寺の住職を怒らせることのないようにうまく付き合っていかねばならない。また葬儀の折は大みそかのことなので、親戚のほとんどには連絡もせずに執り行ったが、今回の一周忌にはその不義理もお詫びしつつ主な親戚へは案内も出すようにしようと、弟夫婦と話し合った次第である。
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