2019/3/31

雑感「センバツ高校野球」  短歌

平成最後のセンバツ高校野球大会が甲子園球場で開催されている。今年は出身地の和歌山から2校も出場しているだけでも関心が高かったのだが、今日から始まった準々決勝の8校の中に何と和歌山の2校とも残っているのには正直驚いた。第1試合の市立和歌山高校は残念ながら千葉県の習志野高校に惜敗してしまったが、第4試合の智辯和歌山高校には期待している。

市立和歌山高校は、私が高校生であったころには市立和歌山商業高校(略称、市和商)という名前であった。53年前には、後に阪神タイガースに入団して2000本安打を放ち名球会入りを果たした藤田平選手を擁した市和商チームは甲子園で準優勝を果たした。

藤田平君は、私とは小学校と中学校で同級生であり自宅も比較的近かったので、よく知っている人物である。小学校時代は狭い校庭で野球をやったら彼の打球だけは外野手の頭上をはるかに超えて校舎の2階の窓ガラスをよく割っていたのを覚えている。それがきっかけで、彼がプロ野球に入ってからはひいきチームを南海ホークスから阪神タイガースに変えたものである。

一方の智辯和歌山高校は、私が和歌山市に住んでいる時代にはまだ存在していなかった。奈良の智弁高校の弟校として後に和歌山市と海南市の境目あたりに設立されたらしいが、今では野球だけでなく有名大学への進学実績も高いと聞いているので、明治の昔から文武両道で鳴らした和歌山中学の歴史を継ぐわが母校の県立桐蔭高校の十八番を奪われた感もある。

いずれにしても、グラウンドやスタンドに溢れる高校生たちを見るにつけ、若いということは素晴らしいなあとつくづく思わされる。そして、自分にもあんな時代があったのだなあと、しみじみと感じさせられる。

人生100年時代。そこまでは無理だとしても80年以上は生きられそうな現代、残された時間をどのように生きるのか、どうせなら悔いのない日々を送りたいものと改めて思い定めた。
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2019/3/26

「量」より「質」に目を向けるべき  短歌

先日のテレビで看護師と保育士達の過酷な勤務実態が報告されていた。その中である看護師は、「国は法律や制度や基準を考える際に、目で見える数字や量だけを見ていて、看護の質というものを見てくれない」と訴えていた。全く同感である。

経営や人事の世界でも同じことが言える。企業の業績は売り上げで評価されることが多いし、個人の業績も売り上げなど数字など目に見えるもので評価されることが多い。短期的な評価の場合など、それでも正しい場合があるものの、真の姿を現しているかどうかは数字だけでは見えないものである。

むしろ、社員のモラールの高さのほうが企業の強さをよく表しているし、チームの業績に貢献したり後輩たちをしっかりと指導育成できたかどうかのほうがその個人の実績・力量を表しているように思う。つまりは「量」よりも「質」に目を向けるべきなのである。

同じことは、国の政治についても言える。景気や物価を表すには主に指数などの数値が使用されるが、それらは国民の実感とは一致しないことがしばしば見られる。実感と一致した数字ならばそれなりに意味はあるかもしれないが、その大元になる毎勤統計などの数字が間違っていたりいい加減な調査方法であったことがわかった今は、余計に数字が信じられなくなってしまう。

今こそ「見えないもの」に目を向け、大切にすることを考えるべきではないのだろうか?
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2019/3/18

NHKはまだ必要なのか  短歌

我が家ではNHKをよく見るが、中でもニュースのほかにはやはり朝ドラと大河ドラマが中心である。現在放映されている朝ドラ「まんぷく」は日清食品の創業者である安藤百福がモデルのドラマである。我が家だけではなく、総体に評判はいいようである。対して、大河ドラマの「いだてん」のほうは、我が家でも世間でももう一つというよりかなり評判がよくない。

両者の違いは、脚本の違いではないかと私は見ている。朝ドラでは主人公の安藤さくらとその母親役の松坂慶子の演技が好評だが、私はそれぞれの役柄をきちっと決め込んでそれをこれでもかというくらいに忠実に再現しているのがいいと感じる。一方大河ドラマのほうは、金栗四三という主人公のほかに古今亭志ん生と言うもう一人の主人公のような存在が出てくるわ、それが目立つ人物であるビートたけしが演じているせいで本来の主人公がかすんでしまっている。

加えて、時代が明治時代であるかと思えば東京オリンピックのあった1964年になったり現代になったりするものだから、視聴者は展開についていけない。思うにこれは脚本の違い、脚本家の違いというほかはない。これは脚本家が視聴者のことをそっちのけで自分が楽しんでいるだけだろう。さらにはその撮影のためスウェーデンへの海外ロケまでやっているのだから、無駄遣いとしか言えない。

その他でも、問答無用で国民から受信料を徴収しているほとんど国営放送としか思えない放送局ながら、やたらに予算を使って民放もどきのバラエティや、くだらない番組を制作しているのは許せない。苦労もせずに収入が入ってくるし、従業員をたくさん抱えていて遊ばせるわけにいかないからくだらないものでも作ってしまうのである。これでは本末転倒である。ましてや、海外向けも含めいくつもの周波数をテレビでもラジオでも衛星放送でも所有しているのは無駄遣い以外の何物でもない。

今こそ、国営放送なら国営放送として税金で運営、経営することにし、その代わりに制作する番組は今の10倍くらい綿密に吟味すべきではないか。それができないのなら、またその必要がないのなら、NHKなどさっさと解体してしまって民営化すべきである。なくてもいい。中途半端な存在は、誰にとってもいいことはひとつもない。明治時代はもうとっくに終わったのだから、根本的にその存在を見直すべきである。
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2019/3/14

交通事故の後日談  短歌

先日、40年ぶりくらいで交通事故に遭ったことはここに書いたとおりである。事故そのものも腹立たしいできごとであったし、相手側の不注意のため愛車が使えず大いに不便を感じていたのだが、関係者のその後の対応については、さらに私を怒らせるひどい有り様であった。

先ずは加害者だが、あれから14日も経つのにハガキや電話の1本もない。普通の神経なら、車の修理中は大好きな愛車に乗れずモータースが乗ってきたポンコツの代車を使っている不便を気遣うとか、ひどい衝撃だったが身体に変調はないかとか、少しくらいは心配にはならないのだろうか?

次に、修理工場のモータースである。マイカーを引き取りに来た時に、「お宅に頼むかどうかは料金と仕上がり時期を確認してからにする」と伝えてあったのだが、「だいたい1週間くらいでしょう」と言っていたにもかかわらず5日経っても何らの連絡がないので電話をしてみたら、「もう部品も取り寄せて修理にかかっていますよ。仕上がりはあと10日くらいでしょう」とぬけぬけと言うのである。

開いた口がふさがらなくなってしまったので、保険会社に電話をして実情を伝えたら、そういう実情は何にも把握していない。思わず大きな声で怒鳴りつけてしまったら、相手は当方の怒りの内容よりも怒られたことそのものへのお詫びだけに終始している。全く頼りないというか情けない始末である。

そんなこんなの末、善処を依頼して待っていたら、ようやく本日愛車を引き取ることができた。修理工場は我が家からは車で1時間かかる場所にあるのだが、たまたま今日は妻の定期検診でいく病院がその近くなものだから、届けに来るのもたいへんだから私のほうから引き取りに行ってあげますよ、と言って、ようやく間に合わせてもらったのである。

引き取りに行ってまた驚くようなことがあった。前後のドアやその後ろのタイヤハウスはきれいに直っていたのだが、右のドアミラーを操作したら下向きには動くが上向きには動かない。それを指摘したら慌てて元の部品に交換して、何とか元どおりに動くようになった。何のために新品に交換したのか、まるで意味がない。

何につけても、こういう三流の人たちとは一緒に仕事はしたくない、とつくづく感じてしまった。
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2019/3/11

女性は好きだが明るすぎる女性は嫌いだ  短歌

一人の男性として私は女性は好きなのだが、世の中にはたまに明るすぎる女性がいて、そういう人は嫌いである。そう感じるのは、例えば居酒屋でのグループの会話などにおいてである。それはどちらかというと若い女性に多いのだが、必ずしも若い人ばかりとは限らない。周囲の人や他のグループには全くお構いなしにけたたましく甲高い声で高笑いをするような人である。

昔、親友が無駄に明るい人のことを「トイレの100ワット」と称したことがあった(トイレの照明は30〜50ワットくらいで十分なのに100ワットの照明をするのは過剰だという意味である)が、まさにそれが当てはまる。昔もそんな人がいなくはなかったが、最近ほど多くはなかった気がする。

そういう人が増えた理由は何だろうかと考えてみた。先ず、お酒を飲むようになった女性が増えたということまたは女性がお酒を飲む機会が増えたということがあるだろう。また最近の若者の特徴として、男女の差を意識することが減ったようで、学生や生徒たちの中でも同級生ならば女子生徒でも男子生徒に向かってため口で話しかけている場面をよく見かける。私たちの世代から見たらとても考えられない風景であり、聞いていてハラハラするくらいである。

さらには、多くの女性に共通する特性として、どうしても自己中心になる傾向が強く、周囲へ配慮することや全体の状況を把握することがどうも苦手なような気がする。このことは、車を運転している時にも、電車の改札口の前まで行ってからチケットやICカードを探し始める人に女性が多いことからも感じられることである。

世の中の女性たちよ、どうかもう少しでいいから周囲にも気を配り、全体の状況にも目を配るようにしてはいただけないものだろうか。もしそうなれば、少なくとも私の場合はこれまで以上に女性が好きになり尊敬できるようになるのだが。
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