2018/8/29

JR北海道の大奮起を望む  短歌

10日ほど前の新聞に国からJR北海道の記事が出ていた。内容は、経営再建中の同社に対して19〜20年度に400億円の財政支援をするというものである。周知のとおり、1987年に国鉄が民営化され、JRが発足してから丸30年が経つ。この間、同社はずっと赤字続きであり、国からは累計で1兆4000億円を超える財政支援が行われてきた。

JRの発足時に、北海道、四国、九州の3社は「JR3島」とも呼ばれ、当初から経営の難しさが指摘されてきた。しかし、JR九州は様々な施策を打つことによって数年前には、難しいとされてきた上場まで果たしている。先日その会長である唐池恒二氏の講演を聞く機会があったが、氏は「JR再建の真のポイントは労使問題である。」と喝破されていた。九州においても同様な課題はあったのだが、適切な危機感を共有することによって乗り切ったのである。

収支改善のためには、コスト削減と増収策が必要となるが、そのいずれもが遅々として進んでいない。例えば最低限の施策である赤字路線のバス転換なども周辺自治体との調整が難航して進んでいないし、九州のような新しい列車や乗車プランの企画なども進んでいない。遊休地を生かした不動産事業や飲食事業など、鉄道以外の事業の企画も耳にしたことがない。

それどころか、いくつかの鉄道事故の原因は従業員の怠慢や連携不足によるもの、つまりは過去の悪習を振りきれないなど労使問題が根底にあることが明らかとなった。やるべきことをやっていないからである。ここは鉄道事業の専門家よりも労務問題のプロを送り込んで従業員の意識から根こそぎ革新するしかないのではないだろうか。JR北海道の大奮起を強く望むものである。

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2018/8/24

人体の不思議な力  短歌

きょうはたまたま居酒屋で一人で飲んでいた。週末の森ノ宮駅すぐの居酒屋はこれ以上ないと思わせる超満員で、注文した品が出てくるまでの待ち時間の間に、何となく右手首を見たことから様々なできごとが頭に浮かんだ。

それらは、若いときのこともあるが、むしろ最近の10年間くらいに起こったできごとのほうが多かった気がする。それらは生駒山からの下山途中に経験した右手首の骨折であり、近所の駅前で転倒して頭を打ち3ヵ月後に発症した硬膜下血腫であり、今年の1月に経験した腰椎圧迫骨折である。

この内、右手首は単純骨折であったため特に手術もせず、ギプスで固定していただけなのに血管や神経の断裂もなく、今は何ごともなかったかのように元どおりに機能している。硬膜下血腫にしても、頭にドリルで穴を開け内出血を取り出すという命にかかわる手術ではあったものの、手術そのものは30分くらいで済んだし、手術直後には親友達に登山のドタキャンの電話連絡もできていた。

人体という機械はよくできたものだなあとつくづく思わずにはいられない。自然治癒力というのか、蘇生能力というべきか、とにかくいつの間にか元どおりに戻るのだから、不思議なことだと思う。

しかしながら、今年の腰椎骨折だけはまだまだ完治せず、後遺症的な症状を引きずっている。これは人体が持つそういう不思議な能力が加齢と共に弱ってくるからだろうか?何にしろ、今回もまた以前のケースと同じように、早く不思議なくらい元どおりになってほしいものである。
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2018/8/18

新幹線のスピードを実感する  短歌

概ね2ヵ月に1回の人事の研究会のため、今日も新幹線で日帰りで東京を往復した。私が予約する座席はいつも山側(北側)のE席である。その目的は当然ながら富士山が眺められるからである。残念ながら今回は厚い雲に覆われて富士はその山頂も特徴ある裾野も見せてはくれなかったが、代わりに新幹線のスピードを実感した。

いつもはJRのジパング倶楽部を利用するためひかり号を利用するのだが、今回はお盆の時期にあたるため久しぶりにのぞみ号を利用した。ひかりなら京都と東京間は2時間40分かかるがのぞみなら2時間20分である。ざっと映画を1本見ている間に東京に着くという感覚である。

514kmの距離を2時間20分で走るということは平均時速は220kmになる。マイカーでの高速道路の平均時速ならせいぜい80kmくらいだからその3倍近いのである。そういう点でも早いのだが、次々と移り変わる窓外の景色を眺めていてもその高速感はものすごいものがある。

当然ながら列車のすぐそばの近景を眺めている時のスピード感は半端ではない。これで事故らしい事故がないのだからさすがは世界一の新幹線である。

窓際の席を予約した新幹線の醍醐味は富士山だけでないこと、スピード感を実感することにも意味があることを改めて感じた次第である。
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2018/8/8

奈良県のことを少しは見直した  短歌

「知事は県民のほうを見ずに中央ばかり向いている」と日ごろは批判している私だが、先日の新聞報道を見て少しはその考えを見直した。その記事は、先の国会で成立した「改正医療法・医師法」についてであった。医療の地域間の偏りを是正し、都道府県ごとに病院や医師の配置を見直すのが狙いだそうだ。この課題に対して、奈良県は病院の機能分化にいち早く着手したというのである。

それは2006年に、複数病院から受け入れを断られた妊婦が亡くなった事故がきっかけである。当時は県南部には3つの公立病院に医療資源が分散し、拠点機能が曖昧であったのだが、県は機能を集約した「断らない病院」を新設して診療成績を改善した。そしてその他の病院は急性期の患者から回復期の患者や療養向けに切り替えた。拠点病院の立地や人事の調整、資金調達などの課題は市町村と協力して乗り越えたのである。

あの奈良県もやればできるではないか。少しだけ見直した。しかしながらまだまだ課題は残るようだ。例えば、民間病院の機能分化も残されている。理由は、これまでは国の医療政策が急性期の診療報酬を上げてきたため、中小病院の多くが迅速な処置が必要な急性期を中心とした医療を行っているからである。また医療には需要も提供体制も地域差が大きく、現場の知恵が欠かせないという側面がある。医療だけでなく介護や生活支援を一体で考え、地域実態に応じて支えるのが行政の役割である。

観光行政の不備など何かと不評な奈良県であるが、これを契機として県民、住民のほうを向いた施策を更に進めてもらいたいものである。
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2018/8/5

2つの花火大会  短歌

今年は例年になく2回の花火大会を体験した。1回目は和歌山市の港まつりである。昨年の高校時代の学年合同同窓会でお世話になった印刷会社から花火の観覧席の入場券をもらえたので、大学時代の友人夫妻を誘って三人で出かけた。

花火は19:30からだが、混むと聞いていたので17:30には最寄りの和歌山港駅に着いたが、なるほど既に浴衣姿の若者を中心に見物客で埋まっている。とぼとぼとしか進めない道の両側には、ここぞとばかりに各種の屋台が軒を連ね、食欲をそそるいい匂いを放っている。

この花火を観るのは、学生時代以来だから何と50年ぶりである。しかも今回は本来は有料の特等席である。数百メートル先の船から打ち上げられる花火は文字どおり眼前に迫るし、音も含めて大迫力そのものである。大満足で帰途に着いた。

2回目は、全国的にも有名なPL花火芸術(PL花火大会)である。こちらは私の顧問先である富田林の会社の招待会である。毎年お誘いをいただくのだが、食べ放題、飲み放題にお寿司弁当と羽曳野ブドウのお土産付きという贅沢三昧の行事なのでここ数年はご遠慮していたが、今年は久しぶりに参加させていただいた。

しかしながらこの花火大会はここ数年で大きく様変わりしていた。開始時刻は19:30でなく20:00からになり、20:30に終わる。しかも途中に2回くらいの中休みがあるから正味は25分くらいしかなかった。資金不足のため数年前から規模を縮小しているとは聞いていたが、あまりにも昔との違いが大きいのには驚いた。

アゴアシ付きの立場だから贅沢は言えないが、私の中ではこの花火大会の魅力は急速に低下しつつある。減ったとはいえ大阪にはまだいくつもの花火大会が残っているが、それぞれが少しずつ痩せ細るよりは大会の数を減らしてでももう少し満足のできる花火大会を開催してほしいものである。

和歌山市の「港まつり」の花火
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PLの花火
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