2018/4/6

黒いマスク  短歌

日本人特に女性がほとんど一年中マスクをする姿は違和感がある、というのが日本を訪れた外国人の感想らしい。確かに、風邪や花粉の時期ならともかくそれ以外の時期に見るマスク姿には戸惑うことがある。しかしながら、様々な病気やアレルギーのため、やりたくなくてもやらざるを得ない人のいることも事実である。

ところが最近は街を歩いていてまたまた首を傾げることがある。それは黒いマスク姿である。まるで天狗の弟子のカラス天狗を思わせる。そういうマスクはこれまではほとんどが外国人が使っているものであったのだが、最近では日本人の若者にも見かけるようになったからややこしくて仕方がない。
 
黒いマスクしかない国やそれが主流の国の人がしているのは許せるが、日本の若者までが黒いマスクをするようになったのはなぜなのか? ファッション性?そうかもしれないが、果たしてそれだけであろうか? 外国人風を装うのがカッコいいのだろうか?

ファッションなら何も言わないが、もしそれが自己主張や自分の個性の主張だというなら、ちょっと待てと言いたい。自分の個性は何も見てくれだけのことだけではないはずである。もっと他のことで自分の個性は表現でき主張できるはずである。何かをはき違えてはいないのだろうか?少し気になる現象ではある。

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2018/4/2

「空海」という人物はものすごい  短歌

この歳になって初めてのことだが、最近は空海にはまっている。空海とは、そうあの弘法大師のことである。最近読んだ本としては「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(巻1〜4、著者:夢枕 獏)がある。私は知らなかったのだが、数年前に映画にもなったらしい。

空海に興味を持ったのは高野山のある和歌山出身だからという訳ではないのだが、弘法太子たる空海という人物については以前から関心があり、司馬遼太郎の「空海の風景」(上下巻)は読んだことがあったが、それと対比して読むのもまた面白い。

これらによると、空海という人物は司馬遼太郎をして「日本史上初めての普遍的天才」と言わしめたほどの人物であり、遣唐使として唐に渡った時点で既に漢語をよくし唐の相当な学者や詩人以上の漢文、漢詩を作れたそうである。当然ながらことばのほうも、漢語はもちろん彼の最大の目的である「密教」を極めるために必要な、伝来国であるインドのことばや、さらに西方の中東のことばも渡唐後にたちまち修得してしまったそうである。

「空海の風景」の後半で語られていた最澄(空海が私度僧であったのに対し、宮廷の侍僧として同じ遣唐使の別の船に乗っていた)との対峙についてはこの「沙門空海〜」では全く触れられず、密教や道教などによる様々な秘術についての記述が多い。だからこそ映画化もしやすかったのであろう。

この本ではまた、玄宗皇帝と楊貴妃の物語も伏線に置かれ、それを「長恨歌」として後の世に出す白居易らとのかかわりが描かれる場面もあり、「へえ、こんなことがあったのか」と、別々に知っていた人物が同じ場所でつながるのまた楽しいものである。

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タグ: 空海 密教 大阿闍梨



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