2018/2/26

独裁は排除せねばならない  短歌

今朝の新聞に、中国共産党の中央委員会が国家主席の任期を撤廃する憲法改正を提案した記事が掲載されていた。私のような政治音痴でさえ、そのことが習近平氏の続投を目指したものであることはすぐにわかった。だがこれはどこの国のことであっても、断固阻止せねばならない。それはその国を混乱させるばかりでなく周りの国々へも大きな迷惑や悪影響を与えるものだから看過できないのである。

遡れば、文化大革命で中国が大混乱に陥ったのは、建国の父と呼ばれる毛沢東氏への権力集中が行き過ぎたためである。改革開放で国を立て直した讃・浸瓩脇韻姑畄爐魴・衒屬気覆い燭瓩了伝箸澆鮑遒辰拭・修譴・崕乎鳥愼蛎寮・廚任△襦・修譴・覆い・靴蹐砲気譴燭蕕匹Δ覆襪里・」

およそ古今東西、どこの国でも独裁や個人崇拝が悲劇を生んだ例は枚挙にいとまがない。それは国レベルの問題だけではない。企業においても、その他の組織においても同じである。企業の場合なら、隠ぺい体質を生んだりした結果企業の存続さえ危うくしたケースはたくさんある。

リーダーやトップたるものは、そのことを特に念頭において経営や運営を行う責任があるだろう。


※筆者注:上記の数行で文字化けがあるのは、ある国の歴史に関することを書いた部分である。(天安門のこと、とうしょうへいしのことを書いた。)
それがある国の専門機関によって検閲され妨害されているのは間違いない。これは実に恐ろしい現実である。
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2018/2/16

母校の危機に立ち上がる  短歌

母校の大学から依頼され一昨年から基金室の仕事を仰せつかって早や2年、この3月末でようやくその任務を終える予定となった。そんな折、基金室長でもある副学長から呼び出されて面談をした。用件は「大学の規定どおりなら満70才までなので3月末で任期は終わるのだが、北村さんの場合は4月以降も引き続き来てもらえないだろうか?」というものであった。

私は「ありがたいお話だが、既に私の後任者は決めている。その人物の推薦理由は4点ある。先ずは私より5才若い65才なので5年間は勤務できること、次に自宅が大阪府南部なので大学へも近いこと、出身が和歌山市内なので和歌山のことをよく知っていること、そして4月からは私の後任者として同窓会の幹事長を担当する予定者であるから今後も同窓会とのパイプ役が果たせること、である。」と答えた。

副学長は一瞬ためらいながらも「それはそれでありがたい。しかし、ならばそれとは違う立場で、またこれまでのように毎週1回とは言わず毎月1回でもいいから大学へ力を貸してもらえないか。」との重ねての要請であった。何とありがたいことではないか。この年になって、自分が頼りにされ必要とされるありがたさは何ものにも代えがたい。

折しも、全国の国立大学は14年前に法人化され、国からの運営交付金は年々減少の一途にある。また「2018年問題」とも呼ばれるように「18才人口」は今年から減少に転じ2031年には今よりも入学者数が10万人減ると言われている。入学者1000人規模の大学が100校消滅する勘定になる。さらには地方の国立大学の危機は、とりわけ厳しいものがある。

受験時代も大学在学時代もほとんど勉強をした覚えがなく、クラブ活動と麻雀に明け暮れていた私ではあるが、ふるさと和歌山のことが大好きで、母校のことも大好きであることに関しては人後に落ちない。ここはひとつ立ち上がってみようではないか。こんな劣等生でも何かのお役に立てるのなら報酬もいらない、表彰状も勲章もいらない。精一杯の努力を尽くすのみである。
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2018/2/12

女性たちよ、何とかしてくれ  短歌

電車の乗り降りの際に、改札機の前まで来てから急に立ち止まりやおらバッグの中を探して定期券や切符を取り出す光景をよく目にする。その後ろにできているちょっとした行列や舌打ちをして別の改札機へ移動する乗客のことなどお構いなしに、である。そういうことをしているのはほとんどの場合、女性である。

同じような光景は、ほかでも目にする。コンビニのレジの前で金額を言われてから財布やICカードを取り出す、電車のホームできちんと整列せぬままおしゃべりをしている、地下街の人混みで周りを気にせず急に向きを変える、車を運転中に右左折や車線変更をする際にウィンカーを出さない、車で道路沿いの店に入るときに歩行者のことを考慮しないようなスピードで突っ込んでくる、バイクで歩道上を走行したり一方通行の狭い道路を逆行する、などなどである。

これらもほとんどの場合、主役は女性であることが多いように感じる。これは一体どういう理由によるものであろうか?女性が大半だということは、やはり女性の特性によるものと考えられるのではないだろうか。気遣いが下手またはやる気がない、自分が常に主人公であるという意識、自己中心だから自分が多少の無理を押しても相手や周りが避けてくれるまたは許してくれると考える、などであろうか。

でも、そのことで迷惑をしたり気分を害している人(主に男性)がいることをもう少しでいいから理解し、気遣う心を持ってもらえないものだろうか。日ごろ身の回りでもどんどん外国人の姿が増え日本からも外国へ行く機会が増えている中、そういうエチケットを備えていることが国際人としての最低限のマナーであり資格であると思うのだが、いかがであろうか?

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2018/2/10

見られることの大切さ  短歌

昨日の夕方、母校の和歌山大学からの帰路に、南海電車の特急サザンの車窓から海の方を眺めていて、あることに気づいた。それは、電車沿いには公園がたくさんあるが、それらは皆きれいに刈り込みや掃除が行き届いている、という点である。ちなみに反対の山側を見てみると何ともないだらっとした風景である。

ということは、電車の車窓から見られていることを意識しているかどうかの違いが見事に表れているのではないだろうか? つまりは、他人から見られていると感じたら人はきれいにするし、そうでなければきれいにするという気持ちにはなりにくいのではないのではないか。

人についても同じことが言える。高齢になっても講師やその他の仕事をしている場合には、人から見られていると感じるからどうしても身綺麗にするようになる。仕事を離れ、これという趣味もなくなった人は反対に一気に年を取り身綺麗にする努力をやめるから、余計にみすぼらしくなる。

ああ嫌だ、そうはなりたくはない。つい先日古稀を迎えたが、幸いにも私にはやりたいこと、やるべきことがたくさんある。当然、人前に立つ場面も少なくはない。だとすれば、南海電車の沿線の海側の公園達のように、私も身綺麗にすることだろう。うん、そうしよう。そんなことを考えさせられたひと時であった。
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2018/2/7

私の英語力  短歌

年末年始の大掃除のおかげで、私のTOEICのスコアカードが出てきた。受検日は2013年の1月13日となっているから、今からおよそ5年前65才の時のスコアである。それによると私のスコアは505点であった。

TOEICと言えば、松下電器時代に課長への昇格条件の一つとしてTOEICで何点以上というのが挙げられたことがあった。昇格候補者にそれを求めるだけでは人事責任者として申し訳ない気持ちから、自分自身も初めて受検したのは40代、人事課長から部長になったころのことであったと思う。その時のスコアは大体450点くらいであったから、20年後に受けた試験で50点も上がっていたのはちょっとした驚きである。もちろん2回目の受検の前にはスピードラーニングで英語を聞き流す勉強もしていたから多少の自信はあったのだが、それにしても60才を超えて500点以上あったのは喜ばしい。

一方、ここ数年は京都や大阪や奈良や和歌山を歩くと、外国人旅行客いわゆるインバウンドの姿をよく目にする。おかげで日本、特に関西の経済はかなり潤っているとも聞く。そういう外国人(アジア人だけでなくヨーロッパ人も)が町中や電車内で困っている様子を見かけると捨ておけずすぐに声をかける癖があるのだが、そのことも英語力の向上と維持に役立っているのかもしれない。

先日も大阪から高槻へ向かう快速電車の中で、台湾から来たという若い家族に声をかけたら、滋賀県へスキーに行くところだと言う。他愛のない会話を楽しんでいて高槻の手前で別れの挨拶をしかけたら、若いお母さんから「日本人はシャイなのか、英語で話しかけても慌ててしまい返事もしてくれないが、あなたは話しかけてくれた。しかもあなたの英語は正確でわかりやすい」と言ってくれたのである。おかげでその日は何となく明るい気持ちで過ごせた。

相手が何人であっても、チャンスのある時は話しかけてみる勇気は必要なのかもしれない。
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