2017/11/22

企業主導型保育所という知恵  短歌

待機児童問題が国レベルでも大問題になっている。政府が働き方改革や女性の社会進出を主導しようとしても、2万人以上いる待機児童問題が立ちはだかっているのが現実である。そこで国や地方自治体だけでなく企業など民間の力も総動員しようと規制改革を進めた結果、「企業主導型保育所」が誕生したのである。

「企業主導型保育所」には2つのタイプがある。一つは各企業が自社内や近隣に自前で保育所をつくるタイプであり、今一つは保育所がその施設の中で事業を行うタイプである。この2つ目のタイプが最近現れてきた新しいタイプのものであり、私はこれに意を強くした。

それは例えば、既存または新設の保育所内か隣接地にコールセンターなどの事業所を設けるケースである。そういう事業なら大きな工事を伴う設備も要らないし、駅近のビルの中に作れば子供連れでの通勤の問題もかなり楽になる。むしろ街中でなくても、大きな団地などの中か近くに作れば、子供を持つ母親の負担はさらに軽減される。

以前から私も主張しているように、こういう問題に当たっても、政府や自治体は「お上」の意識を捨てて民間の知恵に任せるようにすべきである。自分達の既得権を守ることに汲々とせずに、国民や市民の立場に立って判断すべきである。そうしないと、あちこちの国や州で実際に起こり始めている「自治体業務の民営化」の波に呑まれかねない。

いい加減、欧米列強に追いつけ追い越せの150年前の呪縛から解放されるべきであろう。
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2017/11/15

幻の「大仏鉄道」に行ってきた  短歌

先日は大学のOB会の歩こう会で奈良県の北部で京都府との境界にある「幻の大仏鉄道」の廃線跡を含む13キロを歩いた。大仏鉄道とは、明治31年にJR加茂駅から奈良市の大仏駅までの約10キロをつなぐほぼ直線的なコースとして敷設された鉄道である。京都や三重県方面から大仏殿や奈良市内への人と物資の供給路であった。

しかしその後、木津駅を経由して迂回する現在の関西本線が敷設された。新線は距離は少し長くなるが平坦地の都市部を通過するため乗客の流れは一気に新線のほうに傾いたそうだ。そういう事情により9年間という短い期間しか営業されなかったため、「幻の」と呼ばれているのである。

加茂駅を出て歩き始めると、あたりは実にのどかな田園風景である。日ごろのストレスもスーッと消えていくようだ。畦道を抜けていくと、いくつもの橋台や線路の下をくぐりぬけるための隧道などが次々に現れる。線路こそ残っていないものの、100年前にはここを明治のSLが走っていたのだということがよくわかる。

それにしても、当時としては莫大な資金を投じて建設したであろうに、たったの9年間で廃線になるとは何ともったいないことをしたのであろうか。ある意味では現在と同様に技術革新が目覚ましいスピードで進行していた時代であったから、9年も経つ間には周囲の状況が大きく変貌したのかもしれないが。

いずれにせよ、奈良県に転居してからはや10年・・・。名前だけは聞いたことのある大仏鉄道にやっと行けたことが嬉しい。明治の遺構を間近に見て、何となく豊かな気持ちになれた気がするようだ。


      <大仏鉄道のルート>(青い線)

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2017/11/10

またぞろ臨時のガイドをしてしまったぞ  短歌

先日は大阪市の南部で道を探している外国人カップルに声をかけて生玉神社の案内をして感謝されたが、今夜は梅田の近くでホテルを探している中国人カップルに声をかけて、難波まで案内をしてあげた。こうしてみると、私もなかなかの民間ボランティアガイドの役割を果たしているではないか。

この背景には、大阪だけでなく日本の各地とも、街角の案内図の外国語表示などにおいて、急増するインバウンドへの対応が未整備であることが先ず挙げられる。それに加えて、巷の日本人にも外国人に対して積極的に声をかけるという姿勢が欠けているように感じられる。

かく言う私も、中国語どころか英語でも決して自信があるほうではないのだが、見知らぬ外国に来て困っている人を見たら、黙ってその場を通り過ぎることはできないのである。自分自身が彼らの立場であったらどんなに心細いかと考えたら、理屈抜きでそういう行動になるだけなのである。

現に私も40年以上前に出張先のアメリカで2ヵ月近くの滞在中に、現地の人から何度助けられたかわからない。その時のありがたさは今でも忘れていない。こうしたことは、人種により異なるものではなく、人間同士として等しく共通するものではないだろうか。

言うまでもなく大切なのは、語学力のレベルや点数ではなく、人間対人間として、困っている人を見たら、下手な英語でも日本語混じりでもいいから何とかしてあげようとする姿勢と具体的な行動であろう。

ビジネスだけでなく日常生活においてもどんどんグローバル化している中にあって、我々日本人の意識や行動は大きく変わらなければならないのではないだろうか。
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2017/11/8

初冬の涸沢は暖かかった  短歌

11月初旬の三連休に、50年来の大親友である先輩社長と北アルプスの涸沢に出かけてきた。元々は平日の日程を計画していたのだが、二人の予定を調整したら三連休の日になってしまったのである。混雑を予想はしていたが、上高地は外国人を含む大勢の観光客でごった返していた。それでも、梓川に沿って明神、徳沢と進むにつれて人数は減っていく。

一泊めは氷壁の宿として知られる徳沢園である。今は、石鹸も使える風呂や清潔な水洗トイレ、豪華なステーキの夕食、カプセルホテル風の個室など、山小屋ではなくホテルとして営業していた。二日めは横尾を経由して目的の涸沢に向かう。標高2350mの涸沢は一週間くらい前に降った雪が5〜6cm積もっていると聞いていたが、この日も朝からの雨が途中からは雪となり積雪量を増やしていく。

ヒュッテに着いたらすぐに、お決まりのように相棒との酒盛りが始まる。メインはこの日のために彼がわざわざ持ち込んでくれたあのレアな焼酎「百年の孤独」である。40度の濃いアルコール度が疲れた身体に染み込んでいく。うまいっ!! ここまでの疲れも日ごろのストレスも、瞬く間に溶かして流し去ってくれるようである。

夕飯までには間があるので、屋上のテラスに上がってみる。ヒュッテの回りは先ほどまで降り続いた雪がうっすらと積もり、一面の雪景色である。カールの上方には前穂高岳から奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳の連峰が重量感をもって眼前に迫る。大迫力だ。奥穂高岳の反対側の東方を眺めると、これまた名峰の常念岳が指呼の間に見える。

ヒュッテに戻り談話室でまた飲み直す。外資系IT企業の若手ビジネスマンや50才過ぎの単独行の女性、50代とおぼしきカップルなどと、いつものように会話を交わす。独身と見るや、若手男性にも中年女性にも、結婚せよ、わしが世話をする、と先輩社長の舌鋒はますます冴え渡る。聞いた相手方もまんざらではない様子である。

それはともかく、彼と三日間も同行していると、列車やヒュッテの中だけでなく、山道を歩きながらも、山の話に始まり仕事の話、人生の話、家族の話など実に様々な会話を交わした。いや、今回も私の話を聞いてもらったほうが多かったようだ。何でもよく聞き、ポイントを衝いてくる彼のコミュニケーション力は天下一品である。おかげで我が母校に対する私の悩みを的確につかみ、早速に対策案を立ててくれた。

北アルプスの晩秋を楽しむつもりが早くも初冬となり、気象的には寒い三日間であったが、心の中は実に暖かい三日間であった。
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