2016/3/6

五木寛之の素晴らしさを再認識した  短歌

短歌の会のメンバーから紹介されて、五木寛之の「大河の一滴」という本を読んだ。五木寛之というとすぐに思い出される作品には「青春の門」「親鸞」などがあるから小説家だとばかり思っていたら、随筆家でもあることを思い出した。そういえば、昨年だったか「下山の思想」という随筆も読んだことがある。

「大河の一滴」にしても「下山の思想」にしても、彼の作品には人間の生き方だとか人生観についてのものが多い。もちろん随筆とは本来そういうものではあろうが、彼の書いたものには一つのビシッとした考え方が貫徹しているように思われる。それは、他人とは一線を画した自分なりの考え方や行動があるということである。

例えばそれは、世の中やものごとには常に二つの側面があって、光があれば影があり、日があれば夜があある、プラスがあればマイナスがあり、生があれば死がある、我々はその両方を生きているとする考え方である。そう考えれば、自分の身の上に何が起こったとしてもそれを受け入れられるというのである。

彼のそういう考え方は「下山の思想」にも遺憾なく発揮されており、今の日本と日本人は、戦後から60〜70年間のようにやればやった分だけ右肩上がりで伸びたり増えたりする、という幻想から離れて、あたかも山歩きのように登りもあれば降りもあると考えようではないか、と投げかけてくる。確かに、今後は従来とは違う「ものさし」を当てないと現状を正しく捉えられないかもしれない。

これらの考え方は、長野県を日本一の長寿県にした鎌田実医師にも共通するものを感じさせる。彼の考え方も、世の中に正解は一つだけではなく無数にある、今後は一つの正解を探す生き方ではなく自分なりの正解を探す生き方がますます重要になる、というものである。これらに共通するのは、お手本や先例がない時代にあっては「自分自身で考える」「自分自身で切り拓く」ということではないだろうか。まさに時代を先取りする考え方であると感じた。

「これまでの延長上に未来なし切り拓きてぞ先の明るき」

「春やよひ三寒四温の今朝の雨 伊達の薄着の首をすくめて」

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