2016/2/21

司馬遼太郎を見直した  短歌

友人の勧めで司馬遼太郎の「空海の景色」上下2巻を読んだ。それは1300年前に高野山を拓いた弘法大師の若いころの物語である。彼の足跡は全国のあちこちに残されているが、中でも彼が生まれた讃岐にはより多くの史跡があるし、西国八十八ヵ所はその代表的な例であろう。

この本の特徴は、残された文献が少ない中で、司馬の想像力が遺憾なく発揮されていることだ。つまりは、まるでそこに居合わせたかのような表現がそこここに見られるのである。もちろん、確率の高い想像や推定とそうでないものとは表現に微妙な違いはつけている。司馬の表現力は素晴らしく、あたかも彼がその時代にいて見たままを表現しているかのような錯覚にとらわれるほどである。司馬遼太郎を見直した。

中でもこの本で初めて知り驚いたことは、密教を修得するため唐に渡った空海が桁外れの語学力と記憶力を発揮して密教のすべてを極めて短期間で引き継ぎを受け、通常なら20年かかっても得られないほどの成果を携えてたった2年で帰国した、という事実である。またもう一つは、空海と同じ年の遣唐使船で唐に渡り密教のごく一部だけを修得して一足先に帰国した最澄に対して尋常ならざる嫌悪感を持ち言動に表した、ということである。

弘法大師としてその名前や数々の伝説は聞き知ってはいたが、ここまで深い空海像の分析と紹介に出会ったことはない。まさに、空海の「人間像」が生々しく語られている。空海自身もまるで戯曲のような書物を書き残したとこの本にもあったが、司馬もまたその技法を意識したのかもしれない。いずれにしても、記憶に残る一冊であった。

「如月の日ごとに変はる気温差は三寒四温と笑ひて済ませず」

「また一つ春の気配を感じつつ襟立て進む弱き歩みを」

0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ