2014/4/7

道真公の足取り  短歌

菅原道真公のゆかりの地は全国にたくさんある。そしてそれらの多くは、道真公を慕い敬う人たちによって天満宮として祀られていることが多いようである。中でも京都から大阪をとおり九州に至る道筋には天満宮や道真公ゆかりの場所が多いのが特徴である。

それもそのはず、その道筋とはまさに政争に敗れた道真公が福岡の太宰府へ左遷されて行ったルートだからである。その中でも特に多いのは、現在の枚方市や寝屋川市そして守口市あたりであろう。これらの町は京都と大阪のちょうど中間くらいに位置する。

先ず寝屋川市には「菅相塚(かんそうづか)」という地名が残されているが、これは九州へ流される途中の道真公自身が京都の方を振り返って名残を惜しんだと言われる場所である。また枚方市の「蹉跎(さだ)」という地名は、道真の娘である刈谷姫が父を見送るために京都から追いかけてきたのだが追いつくことができずに、蹉跎(けつまづく、または足ずりをするの意)をしてしまい、とうとうこの地であきらめたという伝説が残る場所である。

また船に乗る大阪の港までもう少し近づいた守口市には、「佐太(さだ)中町」という地名や「佐多(さだ)天満宮」が残されているが、これらはどれも枚方市の「蹉跎」が変化したものだと考えられている。

このように見ていくと、大阪から九州までの海路は別として、陸路をたどった道真公の足取りがかなりはっきりと残されていることがわかる。それはとりもなおさず、彼がいかに多くの人達から慕われていたかということであろう。

彼を慕っていたのは娘や人々だけではなく梅の花もそうだったらしく、道真公を慕って京都から九州まで飛んで行った「飛び梅」の伝説もまた有名であちこちに残されている。今はもう桜の季節とはなったが、花のことを考えていたらつい梅との関わりの深い菅原道真公のことを思い出した次第である。

「おちこちに伝説残す管公のゆかりの土地をいずれ訪ねむ」

「人々に惜しまれ去りし管公は飛び梅にまで慕はれしとは」
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2014/4/4

三室山の花見  短歌

関西でも桜の見ごろとなってきた。あちこちから花便りがたくさん届いている。その中で、ハーモニカ同好会の会長をしている方から会員達に三室山の桜の写真がメールで送られてきた。どうやらご自宅のすぐ近くにあるらしい。

三室山は、奈良県生駒郡斑鳩町にある高さ82mの小さい山であるが、平安の昔から在原業平や能因法師など多くの歌人が和歌を詠むくらい親しまれてきた場所である。この山は聖徳太子が斑鳩宮を造営するにあたり飛鳥の産土神をこの地に勧請されたのが由来で、古来から神の鎮座する山とされている。

我が家からもそんなに遠くはないので早速出かけてみると、山のすぐ横を竜田川が流れ、周辺一帯は県立竜田公園となっていて、たくさんの人が花見に来ていた。竜田川は我が家のすぐ近くも流れているので、ここはその下流ということになる。

秋は紅葉、春はソメイヨシノの名所として知られている三室山の桜は、我が家の近くの桜よりは樹齢が長いようで、どれもみごとな枝ぶりであるのと、何とはなく落ち着いた風情を醸し出している老木が多いようである。

生駒に転居してからほぼ6年半になるが、我が家の周辺には行ったことのない名所がまだまだ残されていることを知り、もっと地元を知る努力をせねば、と思いを新たにした。

「爛漫の三室の山の花に酔ふ いにしへびともかく眺むるや」

「春や春からくれなゐの昔より三室の山に咲く桜かな」

   見ごろの桜をまとった三室山の近景
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   反対側からの満開の桜
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タグ: 三室山 お花見 和歌

2014/4/1

「反転授業」の試み  短歌

NHKのテレビ番組で小学校での授業の改革の様子が報じられていた。中でも佐賀県の武雄市で実施されている「反転授業」に興味が惹かれた。反転とは、従来の「家庭では予習や復習、学校では」という役割を、「家庭で学習、学校で確認と教え合い」に変えていく試みのことで、ICT(情報通信技術)を活用した学力向上策でもある。

科目的には理科や算数で取り組まれている例が多いようで、例えば生徒に1人1台のタブレット端末を配布して、5分程度の動画教材を見て自宅でノートを作ってくることを予習として課し、教室ではその結果に基づいて学び合いを行う、という形式がその典型例のようである。この結果、家庭学習の時間が大幅に増えることのほか、理解できた生徒もそうでない生徒も一律的に進めていた授業が、生徒の理解度に合わせて個別指導しやすくなったという成果も報告されているそうである。

欧米では1990年代からコンピュータによる支援を用いた指導によって、「講義」ではなく「指導(コーチ)」することが可能になることが注目され、以来多くの教師が独自の教材を作成したり授業の進め方をそれぞれに工夫したりしてきている。日本でも2012年以降NPO団体や私塾、個人の教師によって様々な試みが行われてきたようだが、2014年度から本格実施することになった武雄市の取り組みは地方自治体単位で実施するものとしては日本で初めての例だそうだ。

この方式が生まれた背景には、タブレット端末という先端機器が安く使えるようになったことやYouTubeなどで授業の動画を簡単にアップロードできる環境になったこともあるようだ。しかしそれは単に授業のための道具や手段の問題であり、大切なのは教育のあり方を見直す取り組みが大学だけでなく小学校にまで押し寄せていることが明確になったことである。

日本では以前から学力低下が問題視され、特に自分で「考える力」の不足があちこちで指摘されているが、この反転授業によってそれが少しでも改善されるかもしれない。予習教材の作成に相当な時間と労力がかかるなど課題も多いようだが、授業スタイルの変革によって教師の役割が「学びを促すコーディネーター」に変わってくる、ということも注目すべき点である。

21世紀に入って早や14年、ようやくこの国でも本質的な課題に積極的に取り組む試行の動きが生まれてきたようだ。

「この国の未来を担ふ生徒らの鍛は方にも起こる革新」

「教へ方の変化はそれをつかさどる教師の役割変化を誘ふ」
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