2013/2/13

空気の研究  短歌

少し前の話になるが、山本七平さんの著書「空気の研究」を読んだ。この本では、日本人に特有の「空気」について、数多くの事例をはさみながら述べられている。

この本の中では第二次大戦での重大な局面における旧日本軍の判断とその誤りの原因について詳しく分析されているが、特に説得力のあったのは、ほぼ勝敗の見えたあの時点での戦艦大和の出撃の決定プロセスについての部分である。

総責任者である伊藤長官は当初は大和の出撃を躊躇していたそうだが、副官である三上参謀の「陸軍の総反撃に呼応し、敵上陸地点に切り込み、ノシあげて陸兵になるところまでお考えいただきたい」ということばにより、この一言の意味するところがわかりそれがもう議論の対象にならぬ空気の決定だと理解し、即座に出撃を決意したそうである。それまでの科学的・論理的な考え方がその場の空気によって一変した典型的なケースであろう。

相手のアメリカ軍が科学的・戦略的に戦いを進めていたことに対して真逆の意思決定のやり方であり、まさに戦略なき戦いであったのである。

日本人がこういう「空気」を重視することの背景には、様々な物質や物体に感情移入し何らかの「臨在感」を感じそれに支配されることがあるからだと山本氏は述べている。

この考え方は、人の霊がその遺体や遺骨の周辺にとどまり、この霊が人間と交流しうるとする記紀万葉以来の伝統的な世界観に基づくものであり、西欧にはないものであるとしている。つまり西欧では、肉体を牢獄と見、そこに霊が閉じ込められているが死はこの霊の牢獄からの解放であり解放された霊は天界の霊界へ登って行ってしまうと考えられ、残された「牢獄」は物質にすぎないと考えられているのである。

ただしこの本によれば、空気を読む習慣は日本だけのものではなく中国にもあるらしい。しかしながら、空気を読む力の使い方は日本人と中国人ではかなり違うものがあるように思えてならない。それは、一時はやったことばの「KY」も、元々の「空気が読めない」人を指すのではなく「空気を読むことしかできない」日本人が増えていることを指す「新KY」と無関係ではないように思えるのである。

「KYは空気が読めない人でなく空気しか読めない人のこと」

「大敗をわかりて進む日本軍 大事なことこそ空気で決めて」
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