2011/12/14

生活保護制度を考える  短歌

13日の日経新聞に厚労省が生活保護制度の改善策をまとめたという記事が出ていた。働く能力があるのに職業訓練を受けない人は生活保護の停止を検討することになったようだ。当然のことだと思う。記事によると、8月末時点の生活保護受給者の数は約206万人と過去最多を更新し、その額は3.4兆円、うち半分は医療扶助が占めるそうだ。

かねてから感じてはいたが、戦後の政府の施策は国家として初めての手探りのことが多かったとはいえ、余りにも勘違いの施策が多すぎたのではあるまいか。また近年はTPPの話題がニュースを飾ったが、よくよく考えれば、農業や漁業に対する政府の施策、特に数々の助成策が結局は農業や漁業の体力を弱めてきたことは否めない。

かつても述べたが、中途半端な愛情は人をダメにするのである。やるならとことんやるべきだが、戦後から最近のそれは中途半端だと言わざるを得ない。生活保護について見ても、社会環境が大きく変わっているのに制度や基準がついていっていないから、仕事をするより生活保護を受けたほうが収入が多い、というようなおかしな歪みを生んでいる。

それはとりもなおさず、庶民の実態や真の声に耳を傾けずに「これくらいしてあげたら助かるはずだ、喜んでくれるはずだ」という、上から目線で独りよがりな感覚で制度をつくったり運営しているからではないのだろうか。

一方では、一時的な助成金ではなく、世界で一番貧しい国の成長のために将来を見据えた新しい事業の種を見つけてその開発と定着のために奔走された日本人女性の話が日経ビジネス誌に掲載されていた。

要は、彼らが必要としているのは「助成金」ではなくて彼らが「自立」していけるための基盤づくりなのである。そのほうが長期的、構造的に見てかの国の役に立つのである。

改めて問うが、果たして法律は事実を後追いするしかできないものなのだろうか。法律が先回りをすることはできないのだろうか。そうではないはずだ。そう言っているのは、自分の権益を守るために本来あるべき努力をせず現状の延長線上でしかものを見ない人達の言い訳としか思えない。要は、何も努力や工夫をしていない人達の遠吠えでしかないのではなかろうか。

「人々の生活保護する制度なら人々の声広く問ふべし」

「おざなりの上から目線の制度では真の解決遠ざかるべし」
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2011/12/11

ピアニッシモということ  短歌

前回に続いてテレビのBSの話題であるが、BSプレミアムの音楽番組を観ていて感じたことがある。それは、懐かしい歌を歌う歌手の中でも、今でも朗々と歌い上げる人もいればそうでない人もいることである。

歌い方の違いはそれぞれの曲のサビの部分に明確に表われる。それは主にピアニッシモの部分に顕著に表われるのである。声量に余裕のある人はピアニッシモの部分を余裕をもって歌うからきれいに歌い上げることができるが、そうでない人はピアニッシモの声しか出せていない。

つまり、同じピアニッシモでもそれだけしか出せない人と余裕をもちながらわざとピアニッシモで歌っている人とは聞こえかた、伝わりかたが全然違うということである。マイクの性能がよくなった今でも、いやマイクが高性能になったからこそ、その違いがより明確にわかるのかもしれない。

高齢になっても今だに朗々と歌える人は、それなりに努力をしてイザという時に備えているのであろう。そういう本物のプロは、マイクの性能に頼り切るようなことはせず、日ごろの鍛錬を忘れていないのであろう。そうでない人との差はそこに表われるのである。

これは、歌の世界以外でも同じことが言えるのではないだろうか。

「似たやうなピアニッシモの声量も精一杯と余裕で異なり」

「細々とピアニッシモの声響き語るやうにぞその声届く」
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2011/12/7

戦場に架ける橋  短歌

我が家でも最近ようやくBS契約をし、時々BSシネマを観るようになった。そこでは懐かしい名画を録画して楽しんでいる。

先日は「戦場に架ける橋」を放映していた。この映画は第2次世界大戦時代にタイのバンコクとビルマのラングーンを結ぶ泰緬鉄道の建設のため両国の国境付近にかかるクワイ河を渡る鉄橋を建設する日本軍とその任務を共生させられた英米捕虜兵士との関わりを描いた1957年の英米合作の映画である。

もう54年も前の映画でこの映画は日本でも何度も放映されたことがあるため多くの日本人にもファンはいるし、私自身もこれまでに何度か見たはずなのだが、今回ほどじっくりと見た記憶はないのが正直な感想である。

この映画の中での見どころの一つは冒頭と橋の完成時に英軍捕虜たちによって口笛で演奏される「クワイ河マーチ」(ボギー大佐)であるが、私はそれを中学と高校時代のブラスバンド部で演奏したことを思い出していた。一方映画の中では、極限状態におかれた人間の尊厳と名誉、戦争の悲惨さなどが見事に表現されており、改めて名画であることを再認識させられた。

命を賭けてでもルールや筋を通すこと、どんな環境にあっても組織の秩序を守ることや、求められた役割や使命を果たすことの難しさと高邁さを、この映画は描いていたのだが、皮肉なことに、武士道を説く日本軍大佐よりも英軍大佐のほうにそれは感じられた。「サムライ」というものは特定の人種には関係なく、どこの国にもいるものであることを思い知らされた気がした。

「戦場に橋を架けるは敵方を利すると知れど筋を通せり」

「クワイ河マーチの所以を知らぬまま演奏しゐた若き日の我」

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2011/12/4

本年度の「キャリアマネジメント研修」を締めくくる  短歌

今年の7月から始まったある大手企業の「キャリアマネジメント研修」の第8回めが昨日無事に終わった。これで今年の分はひとまず終了した。このうち私がメイン講師を担当したのは4回である。

他人が作ったストーリーとテキストで講師を担当するのは実にやりにくく、当初は手こずったし受講者アンケートの結果も芳しくなかった。しかし2回めからは何とか自分のペースがつかめてきたし、それは受講者アンケート結果にも如実に表われた。

しかも、次回からはテキストの一部も私の提案を受け入れて改良することになり、ありがたいことに事務局からの信頼度も確実に上昇していることを実感している。

研修講師の仕事は私の本業とは考えていないものの、要請された役割は期待以上に果たさねば気が済まないのが私の性分である。

幸いなことに、この企業での研修は来年度も担当させてもらえることが確定した上、私が本業と考えている中堅・中小企業への「助っ人・人事部長」の顧客もまた一社現われそうな状況である。ありがたいことだと思う。

本年の仕事はあと2件、26日の検討会で終わるが、今年は実に手応えのある年であった。来年はさらに手応えのある一年としたいものである。

「手応へを感ずる仕事に巡り会ひこなせることのありがたきかな」

「やうやくに己の居場所見つけたりこれ天職と人の言ふなり」
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