2011/3/9

コメの輸出は農家を鍛える  短歌

NHKのクローズアップ現代という番組で、日本のコメが中国などの外国への輸出が増え始めているということを報じていた。味の良さや品質だけでなく食の安全にも目覚めた中国の富裕層は価格が4倍でも日本産の米を買うそうである。

一方、既に企業化が解禁された日本の農業もようやく目覚めつつある。様々な計測器を使って稲作のどの工程でどんな問題がどの程度あるのかをデータで確認しながら改善改良を進める企業も出てきた。また細かく区切られた個人毎のたんぼでは機械化の効果も低いので、たくさんの農家に、仕切りとなっている畦道を取り除くことを呼びかけ、効率化により得た収穫を分け合う提案をしている企業も出てきた。

そして一部の意欲的な農家は、コメの輸出にも積極的になってきているそうである。そこには既成概念を打ち破って様々な工夫や挑戦をする農家の姿があり、旧態依然とした日本の農家のイメージはない。以前からも感じていたが、日本の農業や農家は手厚く保護され過ぎてきたのではないかと思う。その結果、自ら何とか窮地を打開しようとする農家が減ってきて、そこに高齢化も加わって、農家は「攻め」の姿勢を忘れてきていたのではないかと感じる。

本当の優しさとは、一時しのぎではなく長期的な観点から真にその人のためを考え、嫌がられるとわかっていてもあえて本人に真実とあるべき姿を伝えることではないだろうか。ところが失業者向けの制度や助成金にしても生活補助にしても、日本の行政の施策の多くは、大衆迎合とまでは言わないが、対症療法的な優しさ止まりになっていたように感じる。それによって当該者の意欲や基礎体力をかえって弱めてきたのではないだろうか。

そう考えると、日本のコメも輸出されるようになってきて初めて実力で勝負することが経験できるわけであり、農家にとっては厳しいだろうが力をつけるチャンスでもあると思う。これは人材育成とも通じるものがある。是非とも日本の農家も国際舞台で実力勝負を挑みそれに乗り越えて、真の力を身につけてほしいものである。

「中国へコメの輸出の始まりて国策農家の真価問はるる」

「くだらない仕分けごっこはやめにして農家弱める規制見直せ」
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2011/3/6

「現代仮名遣い」が知られていない(その2)  短歌

仕事柄、色々な文書を読むことが多いが、そこで感じるのは、「現代仮名遣い」が使われていないということである。昨年の7月にも書いたのだが、「現代仮名遣い」というのは、1986年の内閣告示第1号により定められた公式文書における共通ルールである。

それは、法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など一般の社会生活において、現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを示すものであり、明治以来の「歴史的仮名遣」とそれを表音式に統一するために終戦直後の1946年に制定された「現代かなづかい」とを踏まえて、現実的な形に統一されたルールである。

この中では、1946年の「現代かなづかい」ではあいまいになっていた歴史的仮名遣の一部のルールについて明確にして、「こんにちは」など、助詞の「は」「を」「へ」だけは「わ」「お」「え」とはせず歴史仮名遣を容認したことが主な改定点であるが、そのほかに送り仮名や漢字表記の範囲についても定めている。

漢字表記でよく間違われる例としては、「〜の様に」「〜の程」「〜の通り」「〜の事と」「〜の上」「〜して頂く」「〜して下さい」「致します」「参りました」「片付ける」「出来る」「御座います」「(申し)上げます」「大変」「言葉」「又」「尚」「宜しく」「〜が無い」などがある。これらはすべて、漢字ではなく「かな」で表記することになっている。だが、この内容は各級の学校においても、また大企業はおろかほとんどの企業でも教えられていないのが実態である。

前回も書いたが、守るべきルールならばその周知徹底には国も官公庁も団体も学校も各企業も全力を挙げて取り組むべきなのだが、実態は必ずしもそうはなっていない。この点では、政府の号令一下ですぐにまとまり、今や日本以上の急成長ぶりを見せるかの国にも学ぶべきことが多いのではないかと危惧を感じた。

またビジネス文書にはビジネス文書なりのルールがあるのだから、それに関わるビジネスマンたる者はやはりそのルールを守った正しい文書を作成したいものである。

「人々の会話促す日本語の正しきルール乱るを嘆く」

「日本語の乱れを嘆く声あれど正しき仮名のルールを知らず」
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2011/3/3

ある研究会の30周年記念行事  短歌

先日、私がある地方都市の事業所に勤務していた時代に属していた人事労務研究会の30周年記念行事に出席してきた。それは地元の商工会議所の傘下の研究会である。その研究会は今でも続いており、今回はその現役会員と共に記念講演を聞き、そのあとの懇親会にも出席した。

懇親会の席上で皆さんから口々に出てきたのは、こういう研究会が30年も続いていることと、30年前にこういう研究会がスタートしたということへの驚嘆の声であった。そして、その研究会を始めた当時の商工会議所の事務局長に対する賛辞が次々と述べられていた。それは、中堅・中小企業が単独では手に負えない人事労務課題についてフランクに情報交換をしたり相談しあえる仕組みができたことへの感謝のことばでもあった。

確かにそのとおりであり、今でこそ各種の研究会はたくさんあるが、30年前と言えばまだ昭和の時代で、人事や労務の分野でこういう研究会はきわめて少なかったと記憶している。その時代に、しかも大都市周辺の一地方都市の商工会議所の一職員がそういう構想を打ち出して、熱心に地域の企業を説いて回り設立にこぎつけたというのは、絶賛に値することである。

何ごともそうだが、最初にのろしやのぼりを上げたり行動を起こす人は偉いと思う。その目的や理念に共鳴してその構想の実現を推進する人も偉いが、やはり最初の「言い出しべえ」はたいしたものである。その人の場合は、30年間のうち21年間に関わったというのだから、まさに産みの親だけでなくその後の育ての親としても役割を果たされたことになるからすごいことである。

ご本人とも久しぶりにじっくりとお話をしていて感じたことであるが、こういう成功のために必要なことは、ひらめきや着想だけではなく、こういうものをつくり上げたいというきちんとした構想力と、自分だけでなく関係者の力を巻き込んでいく組織力、少々の試練や壁があってもめげない執念力などがうまく噛み合ってこその産物であることを再認識した。人材の育成や組織風土の改革についても同じことが言えるなあと、しみじみと感じた次第である。

「人材や組織のあるべき姿をば求める視点は現場にこそあれ」

「人々の悩みを察して解決のしくみをつくり動く尊さ」
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