2010/8/15

この国には「惻隠の情」はなくなったのだろうか  短歌

この国には、「惻隠の情」ということばや概念は消えてなくなってしまったのだろうか。そう考えさせられることが最近あまりにも多い気がする。

例えば地下街の交差点などで、お年寄りや怪我人とすれ違いや交差をする際にはひと昔前ならほとんどの人は彼らに道を譲ったりうまく避けたりしていたものである。ところが最近は、若者を中心にそれをできない人が急増したような気がする。相手が年寄りだろうが怪我人だろうが、お構いなしに突っ込んでくる。まるでそれを避けられないほうが悪いとでも言わんばかりの行状である。それは地下街だけでなく、身近な様々な場所で同じようなことを体験することが多い。

これは最近の若者が、体力低下に伴って歩くのが下手になったことも一因であろうが、それだけではなく弱者を守るという考え方が希薄になったことのほうが大きいのではないかと思われる。いわゆる「自己チュー」と言ってしまえばそれまでだが、果たしてそれだけであろうか。

新田次郎の息子である藤原正彦さんの「国家の品格」にも書かれていたとおり、戦後の日本では道徳を教えなくなった影響の一つが惻隠の情の欠如となって表れているように感ずるのは、私だけなのであろうか。

「惻隠の情はいずこへ失せたるかこれぞ日本の印とせるに」

「年寄りや弱者に諸手さし延べるそれが日本の国技でなきや」
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タグ: 惻隠の情 譲る 弱者



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