2010/7/26

「天神祭」考  短歌

昨日は毎年恒例の大阪「天神祭」の本宮の日で、ハイライトの船渡御と奉納花火大会の見物客は今年も112万人と報道されていた。私もそのうちの一人として祭を楽しんだ。というのも、ここ15年間ずっと河畔のほぼ同じ場所で船渡御と花火を楽しんでいるグループの一員として見物をさせてもらったからである。世話役の3人くらいは今年も朝9時くらいから場所を確保して、暑い日中でもじっと我慢をして約20名の参加者のために準備をしてくれていたのである。お蔭で、今年も一等地で祭の見物ができた。

この祭の歴史は古く、平安時代の中期に大阪天満宮が鎮座された2年後の951年に始まるというから1000年を優に超える長期にわたり続いているそうだ。しかしながらこの祭を毎年ずっと見てきた世話役さんに言わせると、今年の祭はさっぱりで、天神祭らしくなく、今後が非常に心配であると言う。確かに、船渡御の数も例年よりは少なく感じたが、その人の指摘は数だけではない、参加者の姿勢に憂いと危機感を感じたと言うのである。

曰く、昨年までは船渡御の乗船客と河畔の見物客の間には声のかけ合いや大阪締めの手拍子合わせなど、コミュニケーションが成立していたが、今年の船とその乗船客にはほとんどそういう気持ちや姿勢が見られず、お互いの船同士での掛け合いに終始していたという。結果として、乗船客たちは河畔の見物客には背中を向けたままとなっていたのである。思えば、祭の主役はもちろん花火であり船渡御の乗船客であろうが、祭であるかぎりは圧倒的多数の見物客があってこそ祭として盛り上がるものではないだろうか。

まして毎年、早朝から場所を確保し続けている熱心な見物客を抜きにして行事が進んでいくようでは見物客の熱意も失せるというものである。祭の関係者は内々の楽しみや顔色に気を配るだけではなく、早くこういう熱心な見物客の心境の変化に気づいて何らかの手を打たないと、それこそ『あとの祭』ということにならいだろうか。

「熱心な見物客のマナーよし祭のあとにごみひとつなし」

「熱心な見物客に意見あり耳傾けなば後顧に憂ひ」
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