2010/7/11

利き手封じの生活の不自由さ  短歌

昨日書いたように、右手首骨折から一晩が過ぎた。ようやく丸一日経ったところだが、添え木付きで患部を固定して三角巾で右手を吊している。患部の痛みは寝られないほどではないのだが、利き手を封じられた生活は想像以上に不自由であり不便なものである。平生なら何でもないような動作ができないので、困ることが多い。

例えば、食事の時に箸が使えないので、左手でスプーンやフォークを使っている。明太子や餃子をフォークで突き刺して食べるのは何とも不思議な感覚である。パソコン操作も左手指でポチョンポチョンと一文字ずつ打っている。幸い、このブログについては携帯電話からも入力できるので、今は携帯から入力している。他にも靴下が一人では履けない、顔が洗えない、風呂に入っても身体が洗えないなど、日常生活のほとんどの場面で不自由をしている。

人間、利き手封じの生活がこんなに不便だとは思わなかった。これが今から2ヵ月間近く続くのである。こんなことなら、日ごろからもっと左手を使う練習をしておくべきだったと悔やまれる。しかしながら、ものも考えようとかいうことだし、少し休みなさいという神様からの啓示・警告かもしれないと考えて、この機会に左手の機能を高めるなど、ここはひとつじっくりと臨むことにしよう。そして今回のできごとをCDA(キャリアカウンセラー)の世界で学ぶ『プランド・ハプンスタンス』とするようにしたいと思う。

「平生は何気もなしに使ひたる利き手使へず募るイライラ」

「なくなりて初めてわかる親の恩 利き手封じの今も同じか」
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