2010/7/25

犬の散歩法の要諦  短歌

犬の散歩法なんて、どんなやり方でも同じではないかという見方もあるかもしれない。しかし私はそうではなく、やり方次第で効果的であったり逆効果であったりすると気づいた。散歩の時間やコースや歩く速さなどは、犬の気持ちに合わせたものでないと、犬のストレスを解消するどころかかえって増大させてしまいかねない。ところが現実には犬ではなく連れて歩く人間の都合とペースで散歩していることが多いのではないだろうか。つまり、この場合の主人公は犬なので犬の都合やペースで散歩することが大切なのだが、そうはなっていないことが多いということである。

例えば我が家の場合でも、これまでは朝の散歩はNHKの連続テレビ小説を見てから出かけていたのだが、この時間帯になると最近ではもう陽が高い。ということは人間にとってもそうだが、ふさふさの毛皮をまとっているパピヨン種のチャッピーにとってはなお一層暑苦しそうだ。年令のせいもあるのだろうが、歩き方がよたよたしてきたり、途中で路上に座り込むことが多くなったのでそれに気づいた。犬はしゃべれないので態度で気持ちを表現していたのである。その後は、まだ陽射しも柔らかく風も涼しい6時台に散歩に行くことにし、歩くペースも犬の気ままに任せてみた。それから数日間たったところだが気のせいか犬の体調も従来より良さそうである。

実はCDA(キャリアカウンセラー)の勉強の一環である人から勧められた「プロカウンセラーの『聞く技術』」という本にも同じことが書かれていた。カウンセラーの基本は、聞いた悩みを解決することではなくてひたすら聞くことにあると書かれていた。解決するのは話し手である相談者本人であって、そうなるように話を聞くことが聞き手の役割なのである。つまり相談者が主人公であり主人公主体でカウンセリングは進めなければならない、とも書かれていた。たまたまかもしれないが私の中で2つのことが結びついたのは、もしかしたら2次試験を4週間後に控えた私に、飼い犬が教えてくれたのかもしれない。

「愛犬の散歩は彼が主人公それを踏まへてこその散歩か」

「話し手の心を開くカウンセラー相手の立場に立ちてこそ聴く」
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2010/7/23

後継者に恵まれる喜び  短歌

先日は、三ヵ月に1回の血液検査のため、元の職場である健保組合が管轄する病院へ出かけた。採血が終わってから検診までは血液の病理検査の結果が出るまで約1時間かかるため、元の職場の後輩の皆さんに会いに行くことにした。後輩の皆さんは、予告もなく急に現われた先輩を温かく迎えてくれた。それは何よりも嬉しいことである。

それにも増して嬉しかったことがある。それは、私が担当していた業務の中でもある意味で一番思い入れの強かった健康づくりと保養事業をまとめて担当してくれている後輩幹部と会えたことであった。彼は、私の時代は施設部門というハード担当部門にあった保養事業を、これまたその会社での私の最後の業務であった健康づくりというソフトウェアの立場から担当してくれていることがわかったからである。

もちろんそれは彼だけの発意ではなく、同席してくれた専務理事など関係者の判断によるものであろうし、また担当していた部長が東京へ転勤したことにより双方を担当できる人材がいなくなったことも関係しているのだろうが、それにしても前向きな形で文字どおり発展的に継承してくれていることを知って、目頭が熱くなる思いであった。私がある女性担当者と共に始めた「イキイキ健康教室」が今も好評で、そのお陰で保養所事業もまずまずの活況であることを知ったからである。

さらには、私の退職直前に締結したEAP(Employee Assistance Program:従業員支援システム)が今も継続され定着していることも知って、心強く感じた。メンタルヘルスの重要性が年々強く叫ばれる時代にあって、他社や他健保に先駆けてその礎を築く中心的役割を果たせたことは記憶にも新しい。そういうことどもが志ある後輩たちによってしっかりと引き継がれていることを知ったのが何よりのことであった。これでこそ、後を託すことができたというものである。その日もまた私には心地よい酔いが待ち受けてくれていた。

「あのときの修羅場の中で守りたる事業を若き後輩の継ぐ」

「世の中に先駆け入れし従業員支援システムいま機能して」
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タグ: 後継者  託す

2010/7/22

生物に声をかける効用  短歌

私は毎朝デスクの前のブラインドを開ける時に生駒山に向かって「生駒さん、おはようさん」と声をかけることを日課にしている。それ以外でも、桜や様々な花が季節ごとにきれいに咲いていたら「きれいに咲いてくれてありがとう。来年もまたきれいに咲いてね」と声をかけることにしている。桜なら、声と同時に幹を撫でることにもしている。そうすると、確かに翌年もまたきれいに咲いてくれるから不思議なものである。

私がこういうことを習慣にしたきっかけは、動物だけでなく生物や自然も人間のことばを理解する力を持っているという話を聞いたことがあるからである。何年間も実行してみてその効用を実感している私は、毎朝起きた直後に寝室のカーテンと窓を開ける時に「お天道様、おはようございます。今日もいい天気をありがとうございます」と声をかけている。当然ながら寝る前にデスクの前のブラインドを閉める時には「生駒さん、おやすみなさい」と声をかけている。

そういえば昔は、長い間乗ったバイクやマイカーを乗り換える時にも「長い間お世話になったね。ありがとう」と声をかけることにしていたのを思い出した。生物だけでなく物品にもお礼や感想を伝えていたのである。もちろん、太陽からも生駒山からも花々からもマイカーからも返事の声はないが、何かしらの形で返事があるように感じられるから不思議である。

「もの言はぬ木々や花にも声かける返事なくとも季節に反応」

「季節ごとみごと咲きたる花々に思はず声をかけるは変人?」
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タグ: 生物 声かけ 返事

2010/7/20

「現代仮名遣い」が意外に知られていない  短歌

最近付き合いのあるビジネスマンに「現代仮名遣い」を知らない人が多いことに気づいた。それも、色々な場面で講師や先生などをしている知識人クラスの人達の中でも見られる傾向なので驚かされる。

「現代仮名遣い」とは、法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを示すものであり、1986年の内閣告示第1号により定められた公式文書における共通ルールである。簡単に言ってしまえば、新聞(広告は除く)に使用されている表記法であり、不必要に漢字を使い過ぎないことである。これが制定された背景としては、明治以来の「歴史的假名遣」とそれを表音式に統一するために1946年に制定された「現代かなづかい」とを踏まえて、現実的な形に統一されたルールなのである。

しかしながら、我々の周囲にはそれを無視した仮名遣いが氾濫している。「〜の様に」「〜の程」「致します」「頂きます」「〜の通り」「及び」「下さい」「御座います」「宜しく」などがその一例であり、これらはすべて漢字ではなくかなで表記すべきものである。ものごとにはルールがあり、最低限のものは守らなければならない。もっとも、そのルールが大切なものであればあるほどその周知徹底にも意が用いられなければならないのだが、大企業においても案外こういうことをきちんと教えたり指導していない会社が多いし、国や学校でもこの普及徹底に注力していないのは気になることである。

「現代の文書伝へる仮名遣ひそこには守るルールのあるを」

「人々の知らぬ現代仮名遣ひ知らせる努力足りぬを嘆く」
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2010/7/19

聴く耳をもっている人  短歌

先日、ある有名企業の役員さんを訪ねてきた。業績はともかく、最近その会社の評判が一部ではあまり芳しくないし私自身もいくつか気になることがあったので、その会社のファンの一人として提言したいと考えたからである。しかし厚顔無恥な面をもつ私にとっても、その行動をとるにはかなりの躊躇があったし勇気が必要であった。自分の会社のことをとやかく言われて気分のいい人はいないだろうし、こちらも人から嫌がられることは言いたくないからである。

しかしそれは杞憂に終わった。ある会合で知り合って以来お付き合いをしているその役員は私の話に真摯に耳を傾けてくれ、30分の予定を延ばして1時間近く聴いてくれた。しかも、私が指摘した実情とその原因と思われる事象については、自覚があると素直に認めたうえで、既に手を打っていることと今やろうとしていること、手が打てていないことを率直に説明してくれた。

私が指摘したのは、その会社の幹部らの考え方や言動が狭く小さくまた縦割りとなり他責になってきており、結果として会社の気風や風土が官僚的になってきていること、社内には一体感が希薄になり総合力が弱まっていることである。またそれらは行き過ぎた「効率至上主義」と「人材育成の気風の欠如」が主因ではないかという点であった。

さすが、20世紀の日本企業を代表してきた会社の役員になるくらいの人は違う。聴く耳をもつ人には思い切って意見を述べる価値があることを再認識し、久しぶりに清々しい気持ちになれたことは言うまでもない。

「直言も相手次第でその人の心を変へて喜ばるかな」

「辛きこと厳しきことに傾聴をできる人こそ真の友なれ」
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