2010/6/22

この国から「辛抱」ということばは消えたのか?  短歌

最近、この国からは「辛抱」ということばは消えてなくなったのか、と思うことが実に多い。それは各企業における人材育成もそうだし、毎年のようにコロコロと顔の変わる総理大臣の人事についても同様ではないかと感ずる。いずれも、一朝一夕に成果の出るものではなく何年間も、場合によっては何十年間もかかるものである。にも関わらず、企業は即戦力という訳のわからないことばで中間採用に走り、じっくりと自社で育てるということを放棄したかのような体である。また、国家百年の計ということばも一体どこに消えたのだろうか?

思うに、両者に共通している原因の一つは、「大衆迎合」ということではないだろうか。言い換えれば、目先の短期的な戦力や人気取りにうつつを抜かしてばかりいて、本来「やるべきこと」や「あるべき姿」を求める努力をしていないということである。一番大切なことは、この国やその企業にとっての「やるべきこと」や「あるべき姿」もを明確にもちそれをみんなにわかりやすく説明し、一旦合意ができたらその具体化計画を立て愚直に実行することである。

その実現には長い期間が必要なので「辛抱」や「待つ」姿勢が必須である。薄っぺらいマスコミにだまされて、ウロチョロとしてはならない。政府も総理大臣も、一時的な支持率や人気に一喜一憂せず、この国のために真に必要なこと大切なことや「あるべき姿」を考え訴えて国民の理解を求めるべきである。いい加減にしないと、他の国々から相手にされなくなる、いやもうされ始めている。長くかかることや難しいことこそ、早いめに着手し何があっても粘り強くやり続けることである。これは企業における人事部長も社長も同様である。「即戦力」は採用するものではなく育て上げるものであることにそろそろ気づかねばならない。

「国づくり時間がかかるものゆへに先見て計画的に取り組め」

「企業人即戦力は求めずに自ら育てる人づくりこそ」
1
タグ: 辛抱 待つ 人材育成



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ