2010/2/12

視点の違いと景色の変化  短歌

当然のことかもしれないが、視点が変われば見える景色も変わるということを再認識した。それは日ごろ乗り慣れない路線の電車に乗って、平生よく見ている山の反対側の景色を見たときのことである。電車の動きに伴って山の景色はどんどん変わり、それだけでなくその山の反対側に出ると、山の姿は全く変わって見えるのである。

同じことは、その山を飛行機から見たときも同様であって、電車よりもスピードの速いのと高低差が加わるので、一層山の姿の変化は激しい。何やら子供じみているかもしれないが、そういうときは「ああ、山というものは立体的なものなんだなあ」と改めて感じるのである。

ややこじ付け的だが、これを人に置き換えてみてみると、ただ立体的であるばかりでなく、そこには感情というものが混じり込んでいるために見え方がもっと多様である。また天候というか、周囲の状況によってはその姿が見えない時があるから、人間というものは実にややこしい。しかし、だからこそ面白い存在だともいえるのが人間である。

先日来、EQのプロファイリングの勉強や、CDA(キャリアカウンセラー)の資格取得の勉強にどっぷりとつかっているせいか、人間というもの、そしてそれが持つ感情というものの難しさと面白さに魅かれ、ついわけのわからない禅問答のような、ループしてしまいそうな感覚にとらわれているような気がした。人間観察、人間分析の勉強はまだまだ続くのである。

「山々も視点変へれば様々に姿を変へて目を楽します」

「人間の感情理解を学ぶればそこには深き観察眼あり」
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タグ: 視点 景色 変化

2010/2/10

道修町を歩く  短歌

今日は知人達との会食で淀屋橋まで出かけた。その前に、クライアントの会社のベテラン男性社員が相談に乗ってほしいということなので、谷町4丁目交差点の近くにあるスタバで会った。予定どおり1時間くらいでその仕事が終わったあとは、待ち合わせの時間まで十分に時間があるので、通常は電車で2駅の距離だが淀屋橋まで歩くことにした。あいにくの小雨混じりの悪天候だが、幸いにも昨日からの春のような温かい天候なので寒くはない。月形半平太よろしく「春雨じゃ、濡れていこう」(古い!!)という心境である。

目標の店は淀屋橋から2筋ほど南に下ったあたりなので、谷町4丁目から少し北へ上がった谷町2丁目あたりから西へ進んで行くとちょうどいいくらいである。夕暮れではあるが、時間があるのでゆっくりと歩いて行くと釣鐘町とかいくつかの懐かしい町名を見つけて嬉しくなる。さらに西へ進んで行き、高麗橋を過ぎると「道修町」(どしょうまち)という町名が目に入ってきた。

言うまでもなくここは全国的に有名な、製薬会社の密集している地域である。昔から番頭はんと丁稚どんを主人公にした数々のドラマが生まれた土地柄でもある。町並みは、黒塀の木造の建物もまだ少し残っているが、今は多くは10階建て前後のビルになっている。注意深く会社名を見てみると、第一三共製薬、大日本住友製薬、田辺三菱製薬など、かつてのライバル同士が合併してできた長ったらしい社名がやたらに多いことに気づく。

折しも、昨日はサントリーとキリンホールディングスとの統合が断念されたとの報道があったが、製薬業界に限らずどの業界においても国際競争力強化の名のもとに多くの企業同士の合併やM&Aが取りざたされることが多い。これからも企業を取り巻く経営環境は大きく変わっていくのだろうな、20年後、30年後には現在の社名を維持して隆々と発展し続けていられる企業はいくつあるんだろう、などとふと考えてしまった街並みウォッチングのひと時であった。

「製薬の業界育てた道修町今は社名もビルも新し」

「番頭と丁稚のドラマの舞台との面影残る板塀黒し」
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2010/2/9

恒例の霧氷見物の登山  短歌

一昨日は霧氷目当ての登山のため、名山会の2月例会として、大峰山系の一角にある「観音峰」(1347m)へ行ってきた。メンバーは、最年長のMさんをはじめ、常連のSさん、今回のリーダーHさん、そして私の4名である。先輩社長のIさんは今回は珍しく欠席であった。目前に迫っている奥さんとの南米旅行のため、またもや骨折などしてはたいへんなので自重されたらしい。近鉄電車で奈良県の一番南部にある吉野を越え、下市口という駅まで到着すると、そこには「霧氷号」と名づけられた季節バスが待ち構えている。バスはグングン南下して、まさに大峰登山の登山口である「洞川(どろかわ)温泉」の手前にある登山口まで進む。

登山口の四阿(あずまや)で足元にスパッツを装着する。先日来の大寒波のせいか、道はカチンカチンに凍てついているが、積雪は意外に少ない。滑らないように慎重に足を進めていく。途中でアイゼンを付け、1時間半ほどで展望台に到着する。ほぼ360度の眺望があり、眼前には、大峰山系の稲村ガ岳や大日山、その右手には主峰の弥山(みせん)と八経ガ岳も真っ白にそびえている。背後には、金剛山や大和葛城山、二上山、そして我が生駒山まで見えている。我々はさらに先の最高峰を目指していく。

この辺りになると登山者も少なくなり、代わりに積雪量が増え、また木々には待望の霧氷が見られるようになる。思わず銘々に記念写真を撮り始める。最高峰は眺望はよくないが、一面の銀世界である。ここで予定どおり積雪の上に広げたシートの上に腰を下ろし、持参した焼酎のお湯割りをなめながらつまみやおにぎりを頬張って空腹を満たす。30分も座っているとさすがに体が冷えてくるので、早い目に下山を開始する。

ところで、ここへ来るまでは「樹氷」と言っていたのだが、どうやらこの辺りで見られるのは「霧氷」が正しいらしい。「樹氷」というのは、およそ氷点下5℃以下に冷却した水蒸気や過冷却の水滴が吹きつけられて樹木などに吹きつけられ凍結してできた氷のことであり、元の樹木の形が分からないくらいに様々な形になるものだそうである。
そういう氷が付着した樹木そのものを樹氷と呼ぶこともあり、蔵王が有名だが、近畿では伊吹山などでも見られる。一方「霧氷」というのは気温が氷点下のとき、樹木や地物に空気中の水蒸気や過冷却の水滴が吹きつけられて昇華または凍結してできる氷のことで、元の樹木の枝葉の形状がそのままの形で見られる。

なるほど、我々が見たのは確かに「霧氷」であったが、いずれにしても都市部やその近郊では見ることのできない厳冬期の風物詩に十分満足し、登山口近くの洞川温泉でひと汗流して自宅へと向かう4名であった。Iさんは来年までお預けなのでさぞや残念なことであろう。

「厳寒の中を進みて山頂へ着けば見事な霧氷群なり」

「白銀の世界をいっそう引き立てる霧氷は今が花盛りかな」

(観音峰山頂付近の霧氷です)
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タグ: 霧氷 大峰山 観音峰

2010/2/7

環状線を停めた若者達  短歌

昨日は久々の、霧氷目当ての登山で大峰山の手前の観音峰(1347m)まで出かけた。その夜のことである。環状線を停めた若者達を見かけた。発車しようとした電車の最後尾の車掌に向かって大声で「電車を停めて、停めて」と叫んでいる数人の若者男性がいたのである。

その異様な雰囲気に対応して、車掌は数メートル動きかけた電車を停め、ドアも開けた。しかしその若者達は、電車に乗り込むわけでもなく何かをするわけでもなく、相変わらず訳のわからないことをわめいているだけである。乗客だけでなくホームにいるほとんどの人々が、何が起こったのかと彼らに注目している。それに対する照れ隠しかどうか知らないが、彼らは奇声を発しながら互いに飛び蹴りのような動作をしたり笑い声をあげたりしている。

ようやく電車はドアを閉め走り去ったのだが、その間およそ2分間くらいだろうか。乗客だけでなく周囲の一般市民にも大きな迷惑をかけて彼らは平気なのだろうか。おそらくは酒に酔っていたのだろうが、大の大人が酒のせいにできることではない、酒のせいで許せることではない。

一部かもしれないがこういう若者達を見ると、日本の将来が本気で心配になるのは私一人ではないと思う。昔からよく言われるとおり、酒に飲まれるくらいなら飲まないほうがいい。「公衆道徳」はどこへ行ったのだろうか?そういうことをこそ、各家庭や学校では教え、学ばせることが重要であると痛切に感じた。

躾についてさらに言えば、よく母親が「そんなことをすると○○さんに怒られるからやめなさい」と言っている場面を見かけるが、あれも考えものである。怒られるからではなく「よくないことだからやめなさい」と言うべきであろう。

「若者の特権あるを頭から否定はせぬが自制は望む」

「いつからか日本の公衆道徳は世界の中で後進国化」
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2010/2/6

プロファイリングの難しさと面白さ  短歌

昨日までの4日間の上京目的の一つは「EQプロファイリングセミナー」という、EQプロファイラーの資格取得のための2日間のセミナー受講のためで、3月と4月にもこのために上京の予定である。今回はその導入編のようなものだが、これがなかなか手強いがしかし面白いものであった。

「プロファイリング」というのは、FBIで犯人像の絞り込みなどに使われている手法のことで、把握されているいくつかの事実を重ね合わせて犯人像を推定いく技法である。
本人がチェックした200問前後の質問への回答から24項目の「素養」、8つの「能力」、3つの「心内知性」という観点から分類して、本人の行動特性を定量的に判定するのだが、その結果を様々に組み合わせて分析することによって本人の「情動」(感情の動き)の特徴を判定して人物像を推定していくのである。

プロファイリングの難しさは集計された各素養(因子)の数値をどうみるかや、それらの組み合わせからどんな人物像であるかを推定していくところである。そして面白さもまたそこにある。しかしながら本当の難しさは、そのプロファイリングの過程で事実と仮説がごちゃ混ぜになりやすいことかもしれない。しかし、自分の判定・推定がピタリと当たった時の爽快感、達成感は想像以上に大きい。私にとってはこれが一番大きな醍醐味かもしれない。次回の受講が楽しみである。

「会はずとも人の行動特性の分析により人物像へ」

「経験と勘だけでなくその人のデータと理論で人物理解」
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