2009/12/13

友人の小論文  短歌

昨日の東京出張の際、ある資料を持参していたので、新幹線の中で一気にそれを読んだ。それは大学時代の同期生達との先日の懇親会のときにある友人からもらった資料で、彼自身が書いたものである。A4に小さな文字で18枚も書かれた小論文ともいえるもので、管理職から経営後継者層を対象として、マネジメントの要諦について自論を述べたものであり、それは「事業のマネジメント」と「人のマネジメント」に大きく分けて述べられていた。

「事業のマネジメント」の項では、トップマネジメントにある人は「志」を示さねばならないこと、夢を示しその実現をするためには方向性やビジョンの共有化が大切であり所謂「見える化」が必要であること、売り上げや利益は社会的存在意義のバロメータであること、経理とは「経営の理屈」のことでありその実現のステップを具体化した「事業計画」が重要であること、「仮説」を立てそれを検証していくことの大切さなどが述べられていた。

「人のマネジメント」の項では、人は情の動物だが情だけでは動かないこと、サラリーマンではなくビジネスマンを目指すべきこと、手段の目的化や部分最適に留意すべきこと、そして「欲求の5段階」説に対して彼はその上に「他人に対していい影響を与えたい」という「影響欲求」があるのではないかという自論を展開していた。

彼の仕事とは直接は関係ない内容だがビジネスマンであるかぎりいつかは直面する重要なテーマについて自分の体験に基づいて書かれたその小論文は、中身もそうだがいつまでもそういう探究心を持ち続けている友人がそばにいるとわかったことも、私にとって新鮮で大いに参考になるものであった。

彼は40年前の学生時代からも仲間内では勉強家で理論家の方であったが、私と同じ電機業界の企画部門に籍を置いていた彼が企業内にあってもその姿勢を貫いていたことを改めて知って何となく嬉しくなり、新幹線の車中から早速所感を送っておいた。私も彼のように、いい意味での「書生っぽさ」を持ち続けたいものだと思った。

「還暦を過ぎて送れる日々の中無くしてならぬあの書生っぽさ」

「いつまでも勉強続ける姿勢こそ若さを保つエネルギー源」
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2009/12/12

絶妙のコラボレーション  短歌

昨日は東京で2件の新規ビジネスの打合せを行なった。1件めは、ある個性分析のアセスメントツールを用いて就職活動をする大学生を支援するセミナーの企画検討会である。おまけとしては、就活学生の親を対象とした子離れ促進のためのセミナーも検討している。この仕事は東京中心に始めて、ひょっとすると全国でも展開するかもしれない。

2件めは、全国20数ヵ所でサービス産業を展開する企業の本社での検討会を行なった。2年半前に親会社である超大手の商社から出向してきた社長から熱っぽくこの会社をさらに元気に活性化させるための人事制度改革などのお手伝いを要請された。こちらの仕事は、場合により数年がかりとなるかもしれないビッグテーマである。社長の退席後は、人事部門の部長、課長とも詳細打ち合わせを行った。

これらの仕事は、いずれも我が敬愛する先輩社長が依頼を受けたが私も協働でやるように巻き込んでくれたコラボレーション事業である。同席した今日の検討会の中で感じたことだが、2件の打ち合わせを通じて、我々の役割分担のようなものが何となくできあがってきた気がする。

例えば今日の場合だが、彼が持ち前の「かまし」でパワフルなプレゼンをやる、相手の理解度を見て私が違う表現や事例で補足したり確認したりするという役割分担が、事前の打合せなく自然のうちにできあがっているのである。

まさに絶妙のコラボレーション、コンビネーションである。もちろん、いつの場合もこのパターンというわけではなく、今後はいくつかのパターンが必要となるだろうが、両社のコラボレーションのあり方と大きな可能性を確信できた一日であった。また今日も先輩社長に大感謝である。

「新しき事業を拓く検討会阿吽の呼吸みごとなコラボ」

「先輩の社長の導きみごとにてついつい乗せられ力んでる我」
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2009/12/11

知的刺激の多い研究会  短歌

昨日から東京に出張で来ている。昨夜は、人や人事に関わる人達とでつくっているHRD研究会の例会であった。会場は、メンバーの一人が勤務する、港区芝の会社の会議室をお借りした。隣の会議室の窓からは、オレンジ色にライトアップされた東京タワーが真正面に見えている。ロケーションは最高で、いかにも東京で仕事をしているという気になってくる。今回の出席メンバーは先輩社長を含む4人である。

今回の課題提起者はある役所に勤務する女性公務員である。参加者からの質問や意見に遮られたりするので事前に準備されたレジュメから時々外れたりしながらも、彼女の課題意識は適切かつ深刻なものがあり、それを何とか解決したいとの熱い思いがビシビシと伝わってきた。この人の勉強熱心さにはつくづく感心させられる。

また、もう一人の女性メンバーからは、今年一杯で外資系の会社の執行役員を降りて来年からは新たな立場で仕事をするという電撃発表があった。この人は一旦は夫のヨーロッパ転勤に合わせて現役を引退した形となるのだが、持ち前のパワーがそのまましぼむわけはなく、いずれ起業でもやりかねない人物である。

研究会のあとは、業務の都合で参加できなかった2人を加えた6人での忘年会である。ここでもまたそれぞれの近況の報告や最新情報の交換が始まる。2ヵ月に1回のこの会に参加すると、毎回新しい発見やメンバーの身上異動が報告される。世の中の変化は早いということと、東京では様々な情報や知的な刺激に出会えるということを改めて感じた研究会であった。

「仲間との垣根の低い研究会歳の差超へて悩み述べ合ふ」

「いつ来ても刺激の多き東京よ今夜は人生語る官僚」
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2009/12/8

社名入り封筒に見入る  短歌

昨日の昼、我が家にあるプレゼントが届けられた。それは当社の社名入り封筒である。しかもサイズはビジネスで一番よく使われる角2(A4資料がそのまま入るサイズ)と長3(A4資料を3つ折りして入るサイズ)の2種であり、それぞれが段ボールに1箱ずつという大量が届けられた。当社の事業規模では当分の間は不自由しないであろう。

実はこの封筒は、この11月から私が人事顧問契約をさせていただいている大阪の中堅封筒メーカーからのプレゼントである。事前にサイズやデザインの希望も聞いていただいていたので予測はしていたのだが、実際に手元に届いた社名入りの封筒を見てみると、会社を作ったんだという実感が湧いてきて、改めてこの会社のご配慮に感激し嬉しさがこみ上げてきた。

思えば事業をやるうえでの必要なツールとして封筒は、会社案内や事業企画書などの重要書類をお届けしたり郵送する際にはなくてはならないアイテムであり、事業を行う者にとっては名刺と同等かそれ以上に重要なツールである。しかしながら私のような「ひとりビジネス」をやる者にとっては自社専用の封筒を作成することなどは全く想定していなかっただけに、この感動はひとしおである。しばらくはその封筒に見入ってしまった。

聞けば、今日のような封筒で現存する最も古いのは、フランスの公文書保存所で発見されたもので1600年頃のものとされており、わが国で今日のような封筒が使われるようになったのは江戸時代の文化・文政期からで、1871(明治4)年に郵便制度がスタートしてからは官製封筒が普及したそうである。以来、日本の高度成長とともに封筒事業も大きく成長してきた。

しかしながら最近では履歴書を入れたりする白封筒や汎用封筒よりも、クレジット会社や携帯電話会社などの請求書や各種の通知書などのダイレクトメールの方が圧倒的に需要が大きく、この業界も時代の流れとともに大きく変容しているのだそうである。私の会社もこの封筒を存分に使いこなして、社会のお役に立ち発展していきたいものである。

「起業して2ヵ月経ちて専用の社名の入りし封筒届く」

「封筒はものを送れるだけでなく夢と希望を届ける手段」
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2009/12/7

鬼か仏か  短歌

昨日は我が名山会の12月例会で、京都東山トレールの一部を歩いた。一部とはいえ京阪七条駅から阿弥陀ガ峰、清水山、将軍塚を経て一旦粟田口神社に出た後、そこから日向大神宮、大文字山に登り返し、銀閣寺に降りてくるコースで、大体12kmくらいある。メンバーは、今回の担当リーダーのS医師、通称古希マンのM氏、コンサルタント会社幹部のH氏、先輩社長のI氏、そして私の5名である。

七条駅から東へ5分あまり歩くと京都女子学園の門前に出る。そこからが豊国廟に向かってのいきなりの階段登りである。リーダーのS氏によれば、全部で550段くらいあり、元広島カープの衣笠祥男氏が平安高校時代に昇り降りして足腰を鍛えたという言い伝えからS氏が「衣笠階段」と命名した石段である。さすがに一気に登ると息が切れアゴが出る。しかし一服してからは快調に緩やかなアップダウンのコースを進む。

2時間あまり歩いて坂上田村麻呂を祀った将軍塚に着き昼食をとる。3つあるテーブル付きのベンチはまだ1つしかふさがっていない。ラッキー。5人で向かい合って缶ビールと弁当を広げる。と、Sリーダーがやおら日本酒のボトルを取り出し、私の起業祝いにと全員に振舞ってくれたのである。しかもそのお酒は伏見で350年前から続く「玉乃光」酒造の大吟醸酒である。酒米は有機肥料を使用した備前雄町100%とある。早速味わわせていただくと、コクのある辛口のお酒で私の好みの味である。貴重品であるだけでなく重たいものをあの階段も含めて持ち上げ祝意を表わしてくれたことに涙が出るほど嬉しかった。

その後はさらに私が持参した焼酎のお湯割りも皆で分け十分に休憩した後、粟田口に降りる。I氏と私は、ほろ酔い状態なのでもうこれ以上登るのはやめようと懇願するがS氏は全く耳を貸さない。思わず「鬼!」と叫んでしまった。仕方なく標高466mの大文字山まで登り返した。しかし山頂からの眺めは最高で、すぐ近くには比叡山、西の方には来月登る予定の愛宕山、そのほか大阪市内のビル群や、わが生駒山、そして大和葛城山まで一望である。やはり登ってきてよかった。

下山後は、四条駅前のロシア・レストラン「キエフ」で忘年会である。所用で例会には参加できなかった大学幹部のK氏、生保会社顧問のS氏、税理士のY氏が既にお待ちかねで、8人での忘年会が始まった。コース料理のあとは、お決まりの馬乳酒クムイスで締めくくりをする。身体をほどほどにいじめた後のお酒で昨夜はぐっすりと寝ることができた。Sさんは鬼ではなく仏様であった。

「本年の登り納めの東山いつものキエフで締めくくるかな」

「差し入れの玉乃光の大吟醸 友情詰まりし味の深さよ」
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