2011/9/22 | 投稿者: SHOJI

SHOJIです。
           @芸術の国 ロシア
           Aシベリア鉄道の事実

 私は、ロシアといえば、赤の広場など共産圏のこと、太平洋戦争末期の満州などへの参戦,ゴルバチョフのペレストロイカによる大統領の共和国となった政治の世界を思い出します。一方で世界的なピアニスト、ドフトエフスキーなどの大文豪、バレリーナ、サーカスやモスクワの美術など芸術国ロシアは知っている。観光案内で雇ったロシア人通訳の話しにも、日本人は映画監督の北野武(ビートたけし)、アニメ、建築家黒川き紀章の名前が飛び出してきて、この国の文化は、芸術に深い関心があるらしいことがうかがえた。現代ロシア美術館も見応えがあって、芸術の国という認知は、確認された。さらにその感触が深まったのは、修道院近くにある有名な文化人、政治家、などの墓地を案内してもらった時である。墓地というと、銅像など威厳、恭しさなどを連想していたら、なんと、あえて言えば、「野外美術館」の感じなのにびっくりした。土葬なので、一区画が広く、敷地には緑があふれ、お花を手にのんびりと散歩している人たちに出会った。ゴーゴリー、ショスタコビッチ、エリツィン ロシア初代大統領などたくさんの墓を見た。墓の作りが、彫刻、大きな写真などで、銅像スタイルは少なく、個人中心スタイルで、個人の面影が分かるような創り方であった。例えばロシアサーカス団の創始者の墓は、鳥打帽の出で立ちで、愛犬も足元にゆったりしている。サーカス小屋から今にも出てきそうな風情であった。いわば人間中心的な墓である。芸術はイデオロギーを超えて、心に訴えるので、人類はを結びつける共通の非言語の絆である。
 つい先日、SMAPが中国政府から招待されて、人民広場で「世界に一つだけの花」などを熱唱する大公演が開かれたとTVは報じた。世界でイデオロギーを超えた個人主義の動きが生まれてきているのかも知れないと感じた。
 このエッセイは「群盲、象をなぜる」の類だが、これで終わりにする。

A シベリア鉄道の事実  百聞一見に如かず
 今回、14日にわたって9250キロ(日本の鹿児島から北海道までが約3000キロとか)を個室2人部屋のコンパートメントで、日ごろ忙しくしているわれわれ夫婦には、ゆっくり話しながら過ごすことができた。この部屋は、テレビ、冷暖房、テーブル付きで快適であった。ウラジオストクからモスクワまで直行すると昼夜7日間の列車の旅である。歴史的には、1875年に建設開始で、なんと30年近くかけて1904年に開通した。ロシア人は息が長い。
 乗ってみるとなんと平均時速60キロ(最高時速120キロ)超スロー列車である。だから写真にあるようなシベリアの景色を十分に楽しめた。素晴らしい体験だった。日ごろ忙しくしているわれわれには、このゆったりした列車の旅は最高だった。しかし、このスロー振りは、モスクワに到着するまでの駅の停車時間は総計でなんと12時間15分である。停車駅に20分、15分、10分などざらで、30分停車も何回かある。何のためかは分からないが、実にのんびりしている。時間的にはものすごい贅沢な旅だった。
 しかし、ロシア号は、残念ながら日本で想像するような「オリエント特急、キャビアを食べながらの超豪華観光列車」ではない。
 事実を示そう。列車は16〜19両編成、1等2名個室、2等4名個室、3等は開放式の寝台車になっている。観光路線ではなく、シベリアとモスクワを結ぶ人と物資を運ぶ大動脈なのである。一等車は少なく、現地人なら社長、われわれのような観光外国人、ミュージシャンなどでした。さらにお粗末なのが食堂車。お酒はビールとワイン、われわれが食べられる料理はボルシチとサラダ程度、肉と野菜炒め程度の料理しかない。いつ行ってもお客が少ない。われわれは携帯用の登山食を日本から持ち込んで、何んとか凌いだ。これは大誤算だった。現地人も利用しない代物であった。ロシアの名誉のために、追加しておくが、ロシア号の食堂車以外のレストラン、ホテルのロシア料理は実に美味しい。(料理名は忘れたが)ウラジオストク、イルクーツク、モスクワ何れも、お勧めである。
 各車両には車掌が2名勤務している。トイレ掃除、部屋、廊下の清掃、チケット確認・・、が車掌の仕事。ロシア号ではシャワーが使えないので大変だったが、湿度が低く、温度が23度から27度くらいで涼しく汗をかかないので、何んとか凌げた。もっと大変なのは、トイレである。使用した落とし紙を便器に捨てないで脇の紙袋に捨てることになっている。水洗がつまらないためである。(しかし水洗式トイレにはなっていた。)その水洗の音がまた飛行機のトイレ並み以上の強烈な音がして、車両の外まで聞こえてくる。これも耐え忍んだ。写真に出てくる車掌さんは夜になるとトイレの清掃もこなすおばさんに早変わりする。ウラジオストクで乗車する時、「フクシマ」「フクシマ」と挨拶してくれた愛嬌のある人だった。(原発はロシアでも話題になっていたのである。)

 トイレの話になったので、このシリーズも終わりにする。
 今回の旅では、十分に楽しみ、スリルを味わい、耐え忍ぶ体験もしてきた。しかし、シベリア鉄道のリピーターにはならないと決めた。ただ、モスクワとサンクトペテルブルグにはまた観光旅行で行ってみたい。ロシアは私たちには底知れぬ興味のある国であることは確かである。ロシアが身近になったことも確かである。

 シベリア鉄道の旅(9)まで読んでいただき、心から感謝する。

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2011/9/5 | 投稿者: NAOKO

NAOKOです

           シベリア鉄道の車窓から

 これまでシリーズでここに投稿してきたが、人との関わりやハプニングが中心になって、鉄道の車窓から見た静かな風景については投稿してこなかった。それほど様々なエピソードがあったということになるか。

 車窓から見える風景でやはり圧倒的に多いのは、香月が「それでも絵になる」と言った湿地帯である。それから西に進むに従って針葉樹林帯が目立ってくる。また駅に近づくに従って川や屋並みが見えてくる。(下に代表的な写真をUPしている)
 停車駅においても窓から見える風景がある。駅舎はどれも美しくてかわいい。そこに人々の営みも見え隠れする。興味深かったのは車中不足するビタミン補給のためか、その土地で作った野菜や果物、花束(これはどうもコンパートメントに花を添えてはいかがですかという意図らしい)を何人もの女性たちが売りに立っていることである。そしてわれわれにとって不思議だったのは彼女たちは何の笑顔も呼びかけもなくただ佇んでいたり歩いたりしているだけだった。どうもこれはロシアの文化の一端であるらしい。モスクワにしても、PRや掛け声など全くなく、やる気があるのかなあと思うくらい無愛想であった。下にUPしたイラストは停車中に私が描いたものだが、彼女のそばにあるバケツのトマト、籠の野菜などは結局一つも売れないまま列車は発車した。それでも彼女は無表情に見えた。また他の売り方として商品を持って次の駅まで乗り込むことだ。手編みの羊毛製品を各コンパートメントに訪問販売(?)している女性にあった。私は安価だし記念にと思って細い毛糸のショールを、SHOJIは厚手の靴下を買った。しかし彼女達の暮らしぶりは決して楽ではないのであろう。
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2011/8/30 | 投稿者: NAOKO

NAOKOです

 スリリングだったイルクーツク駅とロシア号の写真、そしてトラブル1,2について

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 帰国後しばらくして当の旅行会社にむけてメールした。トラブル1についてはエピソードとして報告し、トラブル2については、何故計画通りにならなかったのか知りたいと伝えた。

 すぐに現地に問い合わせをしてくれた。
 [駅に出発するための迎いの係員(タクシー+ポーター)が来なかったことについて、○○さまには重い荷物を持って、走って移動させてしまいまして、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。この件について、現地にクレームをあげ、状況の確認をさせていただきます。回答がありましたら、ご報告させていただきます。]
 この翌日に回答があり、
 [送迎手配のお日にちを一日間違えたとの報告がありました。現地旅行社からも謝罪がありました。二度と同じような手配ミスをしないように強くクレームをあげさせていただきました。ご迷惑をおかけしまして大変申し訳ありませんでした。
 送迎の代金として当社にいただいた額を返金させていただきたいと思っています。ご報告いただき誠にありがとうございました。再発防止に努めてまいりますので今後ともご愛顧いただければ幸いです。]
 そして続けて、
 [ロシア地方都市のサービス対応の質に落胆するとともに、○○さまに不快な思いをさせてしまったことをとても残念に思います。いただいたご意見を一つ一つ現地にクレームとして挙げていき、不十分で未発達なロシア旅行業サービスが徐々に改善されるよう努力してまいります。] という返事をもらった。

 しかし、これほど大きな問題は後はなかったにせよ、ロシアではこのあと行った首都モスクワにおいてもまだまだ旅行業として改善していただかなければと思うことはあった。一つは文化的な違いもあることだろうが。

 私にとって今回の事件から感じたことは、
 @旅はやはり非日常。未知の人や事物に出会ったり、次に何が起こるかというワクワク感があったりで、いわばそれを楽しむために何度も行くところもある。しかし想定を超えることもあるので柔軟性が要求される。
 Aかなり以前、アメリカ映画で「普通の人々」?というようなタイトルの映画があった。普通に幸せに過ごしていた家族が一つの事件が起こったことで家族全体がばらばらになっていく様を映ていたが、何か起こった時、家族やグループが協同できるか否かがキーになるようだ。今回の旅行中はちょこちょこしたことだが共にその都度必死だったことが私には心地よくこころに残っている。
 B少しでも足腰を鍛えていたからあの階段を荷物とともに駆け上がれた。ルームウォーキングマシンをこれからも愛用しよう。
 

 
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2011/8/29 | 投稿者: NAOKO

NAOKOです
      
       イルクーツクから再び鉄道に乗りモスクワへ

 昨日バイカル湖への小旅行を終え、今日の夕方には再び鉄道に乗り込む。それまでは時間があるのでホテルをチェックアウトしてから荷物を預けて博物館をはじめとして市内を散策した。
 カールマルクス通り西端にある郷土博物館(1883築)には古代シベリアからの人々の営みについてコレクションがあった。モンゴルとの交流や戦いについても知ることができた。全体に朽ちかけた古い品々が並んでいたが、そこにガガーリン(宇宙へ行った最初の人)に関する大きな部屋が設けられていたのに驚いた。シベリア出身ではないと思われる人でもロシア全体の誇りとして多分どこの博物館にもこの部屋が設けられているのであろうと思った。
 またイルクーツクに着いてからは日本人に一人も会わなかったしSUSHISTUDIO(すし屋)に入ってもスタッフはじめお客にも日本人はいなかったのに、昨日この博物館に一人の日本人男性が訪れていたことが入館者メモ帳で知ることができたのは何か面白かった。自転車と列車を交互に乗り換えて旅行していると記してあった。SHOJIは早速そのノートにわれわれの名前を記していた。
 イルクーツクの町全体は、散策するとゆったりと落ち着き、まだ1,2世紀前の雰囲気が漂っている感じがした。1800年代や1900年代初期の建築物が美しく並び、それより以前のロシア風木造建築も町に味わいを加えていた。ゆっくりと町の雰囲気を堪能してからホテルに戻った。このあとは18:47発のロシア号に乗るため、送迎車が来て17:50にホテル出発の手配になっていた。 

 トラブル2
 このトラブルが起こったわけは今回の旅の組み立てを知るとわかる。旅はこれまでの日記でわかるように、われわれ二人だけで行動をとっていた。しかし事前に旅行会社が列車や飛行機の手配、ロシア旅行のための事前書類の準備、われわれが発着する駅での送迎の手配もしてのパッケージツアーであった。それを基本にして、列車の等級、小旅行などのオプションを組み込んで日程を組んでいた。
 トラブル2は、ホテルからイルクーツク駅までの送迎車が来なかったという事件なのだ。
10分前からわれわれはロビーで待っていた。定刻になっても来ない。10分過ぎまで待ったが来ないので、われわれは慌て始めた。発車まであと47分しかない。SHOJIは急いでカウンターへ行ってタクシーを呼んでもらった。5分後に着くということだった。5分たっても来ない。
今度はNAOKOが「来ない」と訴えに行った。タクシー会社に問い合わせてくれた。答えはもう出たからあと4分で着く、自動車番号は453だということで紙に書いてくれた。しかしまだ来ないので「列車は47分発だ。」とまた言いに行くと「知っている。渋滞だ」と表情も変えずに言ってくれる。先ほど預けた荷物係りのお兄さんは心配してか玄関前までは来てくれたが・・、(日本では普通こんな時にはホテルの自動車を廻してくれるよ、もう間に合わないかもしれない、乗り遅れたらどうしよう。隔日にしか出ないロシア号。日程が狂って予定日に成田に着かないかもしれない。予定を組んでいる次の仕事はどうなる?二人の頭はぐるぐるまわっていた。)
 列車出発まであと25分というときに、そのタクシーが来た。カウンターと荷物係りに挨拶してタクシーに飛び乗った。
 鉄道駅はバイカル湖から流れ出ているアンガラ川を挟んでホテルの向かい側にあり、一見近いように見える。が、橋がかなり遠くにあるし、右側通行のロシアでは、日本流には橋を渡って左折すればすぐなのに交通ルール上曲がれないらしく、右に切りぐるりと大回りする。私はため息。SHOJIは「間に合わないよきっと」と言っている。運転手もわかってるので急いでいるようには見える。3分前頃に駅に着いた。トランクから自分で荷物を下ろし(運転手はしてくれない)私はチップをはずんで、手まねで荷物の手伝いをお願いしたが、彼も手で自分に指差し首を横に振った。もう何も考える暇はなかった。19世紀末に出来た駅は美しいがエスカレーターもエレベーターもなかった。英語と手まねでホームを突き止め、重い荷物を引きずるようにして、先ず階段を下りて地下道を7番線まで走りまた階段を駆け上がった。あっ!そこには赤、青、白のロシア国旗色の列車が待っていた。間に合った!! 1分いや何秒前だったか。もう自分たちの7号車には行くゆとりはなく、階段すぐ近くの12号車の車掌にチケットを見せて許可をもらって乗せてもらった。(13日)
 注 ロシア国旗の客車や駅を写真UPしたかったが保存が消えていたので次にUPします。

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2011/8/23 | 投稿者: NAOKO

NAOKOです。

   バイカル湖自然保護区への小旅行: アニャさん ありがとう!!

 昨夜、鉄道の旅途中のイルクーツクで降りた。今日は乗り物を船に転じて湖上の人となる。旅行会社から派遣されるガイドが来てくれて、3人で4時間余り共にバイカル湖のほとりで過ごすことになる。どんな人なのか?(少しわくわくする)バイカル湖は昨日列車から遠巻きに見た。晴れ間の美しさと急に雲の立ち込める様子の両方を短時間に見ることができた。バイカルは遠い歴史を想うと厳しさも似合う。いやその方がしっくり来る。

 今朝、ホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせをしている間、わくわく感ともう一つ、昨日起こったトラブルの交渉をお願いすることもあり、どきどき感もあった。

 トラブル1
 旅にトラブルは付きものと言ってよい。実は昨夜ホテルに着いて、カウンターで手続き(バウチャーというロシア独特の証明書、パスポート、入国許可書を出す)をしていたら、カウンター嬢がSHOJIの入国許可書がないという。二人でパスポートにはさんであるはずのペラペラの紙を探したが見当たらない。一応カウンター嬢は英語で(助かった!!)「出国の際に必要な書類だけれど、NAOKOのはあるので今は滞在OK」と、部屋のキーをくれた。
 部屋で思い当るところを探したが、すぐにあきらめ再発行してもらうことに決めた。

 そのことをガイドさんに話さなければならない。どんな人だろう。
しばらくしてロビーに来てくれた女性ガイドさんは、静かに聞いてくれて、「そーですか」と携帯をあけて派遣先のオフイスに連絡してくれ「オフイスの方で考えてくれます。今日の旅とは関係なので楽しみましょう」「途中でオフイスからも連絡が入るでしょう」とおっとりとした物腰で、やさしく対応してくれて、われわれは早々に出発できた。

 タクシーの中や船の中で、話して知ったことでは、彼女は通称アニャ(anna)さん。ロシア語ではそう呼ぶらしい。イルクーツク大学で日本語を専攻していて、日本に留学経験やホームステイ経験もあるようだ。そしてこの10月にも国費留学で日本の国立法人のどこかに来る予定で、受け入れ許可をくれる大学からの返事待ちの段階だそうだ。バイトでガイドをしているが日本語を話せるのでうれしいということだ。こちらこそどれだけ助かることか。
 
 バイカル湖畔の自然保護区に着いた。奥深い場所で悪い伝染病を持ったダニがいたりして注意が必要か(日本国の注意!)とびくびくしていたが、先住民の村をそのまま保護していて、ロシア風のログハウスには人が住み、かわいい牛がゆったりといるところだった。そこで3人ゆっくり散歩したり一つしかないペンションでブリヌイと紅茶(これしかない)を食べたりしてこころや胃袋を癒した。ここからの湖の眺めも素晴らしかった。

 少ない国費留学の滞在費を節約しても福岡に旅行したいという彼女に、私は宿泊は提供できると約束したし、イルクーツク出身で福岡でロシア料理店を経営している家族にも会わせようと思った。

 さて、トラブル1については、このあとあっけなく解決した。
 アニャさんとオフイスの計らいで、イルクーツク内で再発行できる場所があり、そこへ案内してくれることになった。バイカル湖とさようならをして、ホテルでパスポートを受け取ってから行くことになった。カウンターでパスポートを受け取ったところ何とSHOJIのパスポートに例の書類が挟まっているではないか??? 昨夜のカウンター嬢とは別人から何事もないように手渡された。(昨夜カウンターの向こう側に落ちたのだろう・・と私は思う)
「とにかく証明書があったのだから、すべてOKよ。」とにこにこしながらアニャさんは今から行く予定の約束先のオフイスに断わりの電話をしてくれた。(12日)
(しかし、もっとスリリングなことが翌日起こるとは予測していなかった。)

 



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