2020/11/10 | 投稿者: shoji

SHOJIです。

今回も新聞記事(朝日、西日本)中心に私なりに整理してみた結果を書い          
てみます。
私の中では、今世紀が大転換期であることはこれまで文章化してきました。

コロナで大転換期である特徴が私にもだんだんと見えはじめてきました。

今回は斉藤幸平さん(大阪市大)とエマニエル・ドットさん(フランスの
歴史学者、人口学者)の主張を中心に整理してみました。

ーーー本題に入る前に今回の文章の中に出てくる分かり難い言葉を調べた
ので先ずそのことばの説明からしておくと
新自由主義: 政治イデオロギーの一つ。政府による市場、個人への介入を
      最小限にする思想。1980年代から盛んになった。イギリスの  
      イギリスのサッチャーリズムが有名
グローバリゼーション: 産業の地球規模化    ーーーーーーーー


1,地球温暖化と環境破壊、コロナ拡大はグローバリゼーション、新自由
主義的資本主義が大きな要因である。


2,コロナによって新しい事態が起こったのではなく、内在していたグロ
ーバルゼーチョンの危機が一挙に可視化されただけである。(両者共に主張)

3,コロナ禍と大規模な自然環境破壊はジョルダー(イタリア作家、素粒子
物理学専攻院生)によると、コロナウイルスは「人間が森林など大規模な
自然破壊により新しい病原体と接触する可能性が高まった。動物がどんどん
絶滅し、その腸に生息していた細菌は別のどこかへ引っ越しを余儀なくされ
る。ウイルスは人間を宿主として繁殖する。環境破壊がウィルスを引っ張り         出している。コロナが終息しても別のウィルスが出てくる可能性がある。
と指摘する。

4,斉藤さんによれば、アグリビジネスが原生林を破壊し、乱開発を繰り返
している。
「環境破壊を続ける資本主義的アグリビジネスをやめることしか解決策はな
い。」と主張する。斉藤さんは30歳台の若い気鋭のマルクス研究家である。

5,斉藤さんは他者と自然からの収奪を中心とする資本主義から他者と自然
のケアと再生産に重きをおいた「ポスト資本主義」への「跳躍」に向けた扉
が今開かれている」「新自由主義から決別し地産地消型の持続可能な相互扶
助社会を気づいていかなければならない。」と主張する。

6,トッドさんはコロナ禍により30年間に蓄積されてきた世界に内在してい
る危機を露呈させ可視化させたと主張する。新しいことが見えてきたのでは
なく、内在していたことが見えただけであるとの主張は、新しい生活様式と
か、テレワークと可の生活技術の問題ではない。新自由主義的政策により、
保健福祉体制が互解公衆衛生部門の予算が削減された。
結果としてアメリカ、英国、イタリア、フランスなどのコロナ対応がおくれ
死者が多数出た。

7,国境問題などのため、グローバリゼーションがストップし、たちまち
各国とも経済事情が悪化する。輸入、輸出の交流ができなくなってしまうた
め世界的に経済困難な状態が生まれてきている。

8,トッドさんはドイツ、台湾、日本で死者や感染者が少ない理由は個人
主義と規制を大切にする文化の相異かも知れないとも述べている。

9,グローバルにより「ブルシェ仕事」が高級でエッセンシャルワーカーの
報酬が低い富の分配が不公平となり、コロナ禍でも「三密」「マスク」など
の医療体制の整備がおくれ、米国、ドイツ、イタリアなどで所得の低い層が
多数死亡するデーターが出てきている。

10,トッドさんは、各国が生産拠点を自国に戻し、貿易などを盛んにして
国家の力を回復することを提案している。



整理、

⑴ いずれにしてもトッドさんも斉藤さんも、新しい経済思想、新しい人間
の価値観の創造が問われている。

⑵ ポストコロナ価値観は新自由主義の是正だと斉藤さんもトッドさんも明
確に主張する。

⑶ ではどんな価値観なのかが問われなければならない。

⑷ 地方分権が大事な方向ではないか。

文献 斉藤幸平 新しい社会をつくる機会に  西日本新聞 2020 ➄-24
   エマニュエル・ドット「戦争」でなく「失敗」 朝日新聞 2020 ➄-23
   
  
2

2020/10/17 | 投稿者: shoji

SHOJIです。
  
     「困り事の当事者である私の受けた支援の体験」
    
         困り事はZOOM会議方式の学習です。

<コロナ禍で私が大学教員として直面したこと。私の弱点に向き合う羽目になったこと>


⒈ はじめに

私はありがたいことに、いまだ東亜大学大学院特任教授で、ゼミ、論文指導、
カンファレンスで毎週、大学院生たちと討論、論争、相互理解、相互誤解?
で大きな刺激を受けている。
楽しんでいます。

ところが、突然のコロナ禍で3月下旬から大学封鎖、入学式なし、授業は
すべてZOOM会議方式である。オンラインで実施するよう通達が来た。
「私のパソコン乳児性」でデジタル苦手の私には「降ってわいた災難である」。

4月から8月下旬までほぼ5ヶ月、ZOOM会議の技術の習得に多大のエネルギー
をついやす羽目になってしまいました。

院生や若い教員たちには、全く朝飯前のごとく簡単なパソコンスキルが、私
いはまったくできない。私は乳児のような状況に置かれた。  あるいは
「言葉が全く分からない外国に通訳なしで突然放り込まれた気分」です。

その準備に追われ、やっと最近、緊張から少し開放されてきている。
ご存じのように、パソコンなしには教員は務まらない。長男のアドバイスで
パソコンドクターにお世話になっている。ここ7年近くお世話になっている。

現在、自宅で使用中の大型場面のデスクトップは2台目である。2台ともDELL
社のもので、パソコンドクターが私の自宅からメイルで注文し、送られてき         
たら、設営と使用できるまですべて設定してもらい、私が使用している。
とにかくメイルの通信だけは何とか出来る程度の腕前である。院生・大学と
の公式連絡などは何とかこなせている。この程度のパソコン操作しかできな
いのです。

ところがいきなりZOOM会議方式で授業をやらないといけないことになって
しまった。この数ヶ月、弱点と向き合うプロセスを体験し、焦りや失敗の
体験、それを乗り切る他人の支援の大切さを学んだことを書いておきたい。

高齢化した人間が生きると言うことは、どれだけ他者の支援が決定的に
大切なことかを学んだことが身にしみたので書いておきたい。
プロセスを詳細に書いたのは、「私のような高齢者でパソコン幼児者の支
援には、当事者と支援者の双方にどれほど手間と時間がかかり、双方に忍
耐と寛容がいるか」ということをわかっていただきたいからです。大袈裟
に言えば、高齢者支援の原点のような体験をしたと感じているからです。


2 秘書役Nさんの支援

私は整理や事務処理が遅いので、東亜大学2期目から、きわめてわずかな
報酬で、MURAYAMAゼミ院生の一人に、秘書役(原稿整理、ゼミ連絡、郵便
物処理、研究室の整理など)をお願いしてきている。院生は卒業してしま
うので、3年程度で交替している。現在は4人目のNさんにお世話になっ
ている。

@ 準備出来ないままの初めてのZOOM教室会議の参加準備ーーNさんに赤
坂研究所に来てもらい、いろいろ点検してもらったところ、私の「タブレ
ット」はZOOM使用出来ないことが分かりました。このことすら私には初め
て分かったことです。
そこで、MURAYAMA研究室のパソコンを使用するために、N先生にNさんが
連絡し、N先生所有の補助機械でZOOMができることになりました。Nさんの
Wi-Fi機器のお陰です。これは毎月Nさんが使用量を払って維持している
機械です。私にはまったく初めて知った機械です。こうして翌日の第1回
教室会議ZOOMにはN先生のサポートで参加出来ました。
ちょっと元気が出ます。NさんとN先生の支援です。


3 次男YUJIROにパソコン店に同行してもらい新しいPCを購入
ー家族の支援

@で私のタブレットとPCはZOOM会議方式には使えないことが分かった。
これは大きな前進でした。自力で対応出来ることでした。すぐに対応
出来ます。パソコンを購入し、設定、アドレスの追加、ZOOMの確認など
次男と私の眼前で確認して設定完了でした。「これで全てOK]と想い込
んだのが私の間違いでした。面倒くさいプロセスが待っていました。
何事も「エクスペリメント」(実験)でした。長い試行錯誤が待って
いました。


4 次々に不具合が生まれた ー NAOKOと次男の家族の支援

@ NAOKOの支援 ー NAOKOのパソコンはZOOM会議方式に有効であるこ
が分かりました。福人研月例会がZOOM会議方式でやることが決まったの
で、新パソコンを試してみる機会にしました。我が家の一階でNAOKOが、
私は2階の書斎で試しました。

結果 ー 「私が画面に出ない不具合」が見つかりました。私の操作の
問題かと思っていました。このプロセスでNAOKOとの共同作業は大変助
かりました。
例会に参加でき、ZOOMは疲れるが、可能性ありとの感触でした。


A 顔が出ないことの修正

K電気に持ち込んで、担当者が操作すると、正常に戻りました。3日ほど
してZOOM会議があり、やはり顔が出ない現象が再現しました。次男が
上手くいかない場面そのままをパソコン屋に持ち込んだところ、「修理、
カメラに問題」と出てきました。「新品ノートパソコンの修理が必要」
となり、さすがに本社で1週間かけて修繕し、すぐ自宅に送ってきまし
た。以後正常に作動しています。パソコン屋の責任は問いませんでした。


5 Nさんの支援

@ NTTでDtabにパソコンと同じ新しい機能を持たせる方向の作業を進
めていました。新しいパソコンの修理が入ってきてしまったからです。
これも予想外でした。Dtabは有効に使えるようになってきていました。
ただ、支払いにドコモDカードに入会させるため書類不足で3回もNTT
に無駄足を踏みました。私にはその意味が分かりませんでした。
4回目はパソコンに詳しいNさんに動向してもらいました。「写真付き
証明書」がないので「パスポート」を持ってきてほしいとのことでした。
私はまた来週かと思って約束しようとしていた弱腰の私を制してNさん
は、「すぐに一緒に家に取りに行きましょう。すぐ戻ってきます。」
と告げて、私の家までNさんの自動車で行き、パスポートを持って私た
ちは戻りました。およそ20分程度でした。これにはNTTの担当者も引
き延ばしできず、カードを発行しました。Nさんには、パソコンに弱い
私の通訳、弁護士、運転手の役割を果たしてもらい、やっとケリがつ
きました。これで全て完了でした。
現在ではDtabでも新パソコンでもZOOM会議に参加出来ます。ここで4月
から7月下旬までの緊張からやっと開放されました。


6 まとめ

この事件から私は何を学んだのでしょうか?
ネットワーク論の視点から見ておきたい。

@ コロナ禍で 「私の弱点であるパソコン技術で生きていけない事態
に直面させられた。」

A かなりおたおたした自分がいたことも確かである。

➂ 自分の力だけでこの事態に対応するのはかなり難しかった。

C そこで妻のNAOKOと次男のYUJIROの家族の支援と秘書役のNさん、N先
生の支援をいただくことで当面の危機は何とか乗り切りました。

➄ 私のパソコン操作を少しずつアップしていく面白さも感じている。
弱点があっても、無理になくさなくていい。簡単になくならない。しかし、
支援を受けながら、自分の力を出して取り組んで行くことは可能である。

➅ パソコン業者と長期的付き合いが必要である。ぼちぼちのペースで
学習する。

F 私のような高齢者が新しいことを挑戦して行くには、周囲の多様な
支援が必要なことを改めて学びなおしました。

* この記事は一般財団法人 日本心身医学協会の「セルフ・コントロール」
No.217から転載させていただきました。

3

2020/9/29 | 投稿者: shoji

SHOJIです。

T はじめに

私はこれまで様々なペーパーや講演で、2000年から大転機であることを
表明してきました。
私の世代では1960年代の大学紛争など世界が同時に男女平等、科学観、
人間観、学問観が大変化、つまりパラダイムシフトが起こる体験をしてきま
した。

最近の私は、歴史的、巨視的に世界を理解する人類学や動物行動学、生態学
などに関心を持ち少しずつ読んでいます。


U 広井良典氏の論点(西日本新聞2020/09/15夕刊)を紹介してみます。

広井氏は京大心の未来研究センター教授です。前職の千葉大教授時代から
氏のコミュニティ論、福祉論、生命論などに関心を持っていて読んできま
した。
ドイツなどヨーロッパ系の都市論、福祉論に関心があります。
もう一つ地方分権推進派です。

私はコミュニティ論からいろいろ示唆を受けています。例えば
ロジャーズはエンカウンターグループワークショップをコミュニティと呼
んでいます。広井氏のコミュニティ論では、EGワークショップは「時間コ
ミュニティ」であり、「地域コミュニティ」ではありません。

V 成長から持続可能性への転換

広井氏は人類の進む方向は「成長から持続可能性へ」を提案しています。
以下にその根拠を氏の論に沿って紹介してみます。

⑴ 新型コロナと異常気象による自然災害の共通性

人間の経済活動の規模が自然環境や地球の許容度を超えていることがこの
現象の背景にあると指摘します。
従って「問題の克服は人間の経済活動の在り方を根本的に見直し、発展の
方向を変える必要がある。」が現時点での氏の結論である。

⑵ 
広井氏は人類の歴史を俯瞰すると、人口や経済が拡大する「拡大・成長」
と「成熟と定常化」のサイクルを繰り返してきたことを確認した。
狩猟期後半に「心のビックバン」現象が起きた。つまり、5万年前に絵画、
彫刻など芸術作品などが一気に出現している。もう一つはBC 5世紀前後に
「精神的価値」を志向する思想が同時多発的に生まれた。
インドの仏教、ギリシャの哲学、中国儒教、老荘思想、中東の旧約思想の
出現である。何故か?

最近の「環境史」の研究から、当時はインド、ギリシャ、中国などで、森
林破壊、土壌浸食、などの環境問題が深刻化していたことがわかってきた。

広井氏は、「人間はその生産活動が自然環境の有限性にぶつかり自然争奪
などが顕在化すると、自然や資源の過度の搾取をしない方向への転換を
ポジティブな"文化的イノベーション”として行ってきた。」と主張する。
人類は現在、第3サイクルの成熟、定常期にいる。したがって
「私たち人類は成長より持続可能へと価値転換することが求められている」
が広井氏の主張である。

W 私の感想

ここまで読んでみて、私の感想を述べよう。

⑴ 広井氏は、なぜ「心のビッグバン」が起こったかを説明していない。
これは「人類学」や「環境史」などの研究成果を待つとの姿勢であろう。
しかしこれを説明する仮説には、人間個人の本性を追求した二人を挙げたい。

⑵ 私は仮説として、グレーバー と カール・ロジャーズをあげたい。
人類学者「ブルシット・ジョブ くそどうでもいい仕事の理論」の著者
で有名な デヴィッド・クレーバーがその仮説を出している気がする。
「お互いを理解し配慮するという人間一般のケア的本性が共同体を可能
にする」と説いた。(片岡大右 デヴィット・クレーバーさんを悼む・
朝日新聞2020/09/16)(9月16日59歳で急逝)

⑶ ロジャーズは「人間は実現能力をもっていて、それは、一致、理解、
受容に満ちた人間相互の関係の中で発揮される」ことを「バラバラで一緒」
という一見矛盾する世界を共に生きていることを様々なレベルでエビデ
ンスを提示した。ノーベル平和賞1987年の候補になった。

⑷ 我々が実践している PCA や ODの哲学や人間観は、現在の「すべ
てお金」「幸福もお金で買える」「勝者か敗者の二分性の価値観」に
反し、「自分自身になる」ことを大切にしている。
これはささやかだが、確実に「文化的イノベーション」に貢献している
と考えていいのではないか。
 








         
6

2020/8/14 | 投稿者: shoji

      ー コロナを越えた親子と孫 ー

 登場人物:SHOJ& NAOKO、TOMOMI(我々の長女55歳)、孫(YUSUKE大学生)

   場所:   糸島市二丈 シーサイドヴィラ  村山山荘

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SHOJIです。

毎年我々家族は、正月とお盆休みには3泊4日程度集まってゆっくりとだべる会
をしてきました。TOMOMIの発案と力とNAOKOの協力(母娘連合)でもう30年も
継続している。熊本、黒川、阿蘇、別府などの温泉やキャンプ場に出かけ、ご
馳走を食べて、遊んで、楽しく過ごしてきた。
高速自動車道、航空機、新幹線、マイカーなど交通機関の発達で可能になった
時代の遊び方である。今回はコロナ禍の中でどのようなシナリオになったか。

<事前打ち合わせー TOMOMIとNAOKOの連絡 >

1,スマホで1ヶ月ほど前から二人は連絡を取り合っていた。
毎日のように大阪と福岡の新型コロナ感染状況をチェックしながら、劇場開催
が中止か、ぎりぎりまで検討が続いた。お互いに感染を防ぎ、かつ集いを開催
出来るか検討した。

結論として、期間を一日短縮して3日間とし、TOMOMIと三男の大学生YUSUKEが来
ることになった。TOMOMIが新幹線で大阪から広島へ、YUSUKEが車で待っていて
4時間近いドライブで糸島まで来ることになった。感染予防対策でした。

2,我々の準備
NAOKOがイオンで当座の食品を買い込み、飼い猫キャノンのエサ機器の時間設定、
不在時の対応など我が家の次男YUJIROと打ち合わせをするなどをしていた。特に
飼い猫キャノンは家族メンバーなので旅行不在時の対応は気になることである。
いつも猫は留守番役である。

< 一日目の開幕 >

1,出発、8月8日にYUJIROに見送られて、田島を出発。NAOKOの運転で11時に
山荘に到着。
2,正治の役目は、先ず山荘内のムカデ、大きなクモ、ハチ、カメムシ、
かべチョロなどの退治と家からの追い出しである。今回は15pほどのムカデ
を玄関先で見つけ踏みつけて退治した。ムカデはつがいで棲むそうなので、
周辺や二階まで探したが、他の一匹は見つからなかった。
3,山荘は山の上にあるので、ベランダから深江の市街、山裾の西九州道、
二丈山はじめ背振山系の山並みが見えて、気分が良い。高いところから景色を
展望することは、私にとって癒やしになる。研究にしても、私はその分野の全
体像が見えないと落ち着かない。
4,NAOKOの手料理の昼食、十日町に住む従姉妹から贈られてきた笹だんご、
ちまきを食べながら、これもいただきもののスペシャルブレンドコーヒーを
ゆっくり味わうのが最高である。ベランダから街を眺めていると、空気がお
いしい。福岡市内と味が違う。
5,13時40分頃、広島から到着。マスク姿の二人と正月以来の再開を祝して乾
杯した。手の消毒もした。テーブル席もデスタンスを取った。
食後、私以外の三人はお家ご飯、三日分の買い出しに出かけた。私は留守番役。
好きな赤ワインを注文した。TOMOMIがワイン好きである。仕事柄我が家では
一番の酒豪である。
6,大学生の孫が大好きな肉料理が中心で毎晩ステーキ、焼き肉と博多名物
のオキュート、京土産の野菜の漬け物(カボチャ、山芋など)、十日町の
ちまきと草だんご、漬け物と蕨、防府のくだもの、出雲大社のお茶など全国
からいただいた逸品を田島から持ち込んだ。人間はおいしいものを食べて、
家族などと気楽に話せるときが一番幸せかもしれません。
7,惜しかった西海のサンセットが見られず!
旧制福岡高校の校歌にも西海のサンセットの豪華さがうたわれている。
私の山荘から3分ほど坂道を下ると船越湾と唐津方面の島々が見える展望地点
がある。好天にに恵まれ曇が少ないとどんどん沈んでいく真っ赤な丸い太陽
が見えることがある。今日はその日に恵まれたと感じた。7時10分がサンセッ
トでした。家にいる皆に声をかけて、一斉に展望地点に小走りに出かけた。
なんと、だんだんと雲がかかってしまい見えませんでした。残念!!
その面影だけはYUSUKEのスマホに入っているようです。
8,夕食時に赤ワインをグラスに2杯飲んだら、眠くなり22時に私だけ就寝
しました。

< 2日目午前、YUSUKEとSHOJIの共同作業 薪小屋に冬用薪の整備 >

枯れ木を30pに裁断して山積みにしてある薪を薪置き場に移動する力仕事で
ある。YUSUKEの力には驚いた。薪運び用の空箱に薪を詰め込んで薪置き場に
運ぶ重労働である。15往復した。私は薪小屋でそれを積み上げて整理した。
バイオマス原理によれば、自宅敷地の枯れ木を燃やすのは、空気中のCO2を
増やさないので地球温暖化防止に貢献していることになる。
真夏日の猛暑なので、50分で作業を終了した。熱中症を避けた。
二人とも大汗をかいた。11月から来年4月まで使用する薪ストーブ用薪の準備
が完了した。

< 2日目の午後 白糸の滝観光ドライブ >

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1,糸島名物の白糸の滝まで大渋滞
駐車場までU時間待ちでした。車内では3人がしゃべりまくって退屈はし
ませんでした。しかしあと30分の時点で、TOMOMIが降りて探索に出かけた。
しばらくして戻ってきて、滝からせせらぎまで混雑していること、駐車場は
満杯だとを伝えてくれたが、観光続行を決めた。すぐに決断した4人チーム
の勝利でした。TOMOMIとYUSUKEは運転を交代して、あと3人は車を降りた。
徒歩で滝まで歩き、駐車場でTOMOMIと合流することになった。
2,滝までぶらぶら歩いた。滝の冷気を浴びる。
家族ずれ、カップルが滝の流れを利用した数カ所ある釣り堀でヤマメ釣りを
楽しんでいた。私は釣り好きですが、見た感じで「ここは釣れない釣り堀」
とすぐに分かったので、観察していた。
結局、T時間で30人程度いた釣り人で二人が一匹ずつ二匹釣っただけでした。
ウエブの観光案内(15年現在と書いいる)には「入れ食い」と書いてあり
ました。誇大広告の極みです。
3,釣りより「ヤマメの塩焼き」
滝の冷気を浴びながら、縁台に腰掛けて、NAOKOがかってきたヤマメの塩焼
きを頬張った。とてもおいしかった。栄養たっぷり、小太りの養殖ヤマメ
でした。天然物ではありません。
4,帰途の大雨前線で、耳が大変調、
帰路、道を間違えたが、往路と同じ道ではな、山道のドライブを楽しんだ。
途中で3人の会話が聞き取りにくくなった。キンキンして、声は聞こえるが
意味がつかめない状態が出てきた。補聴器が故障したかと思いました。
波呂北あたりから雨が降り出し、山荘に到着した後すぐに雨風の大荒れの
悪天候に変化しました。あとでチェックしてみると、急激な気圧の低下が
私の聴力低下ををひきおこしたらしいことが分かりました。家に入ると
すぐに回復しました。

< 夕食後、スマホ会議で大阪家族、北九州家族と別々に顔合わせ >
現代の電子機器の発達で、スマホ会議は山荘で初めての体験です。コロナ禍
対応でしたが、それぞれの家族の顔を見てお話が出来ました。みんな元気で
何よりでした。
TOMOMIとYUSUKEは昨日と同じくきららの温泉に出かけたけれど、私は感染を
恐れて遠慮した。山荘の風呂で我慢した。

< 3日目午前 昔と今の話 >

自然に、それぞれが、過去、現在、未来を語ることになってしまいました。
1,私どもの1972・73のロジャーズ研究所留学体験、
1ドル360円の時代に家族を巻き込んだ一大冒険だったこと、NAOKOと
二人で何とか乗り切った。緒方教養部長が「MURAYAMAさん、強制送還制度が
あるから金が無くなっても帰還出来るよ」と冗談混じるに激励してくれた
こと、サンディエゴの日本人コミュニティに支援していただいたことなどが
よみがえってきた。
2,YUSUKEのこれからの話。ゼミを決めること、大学院に進学すること、
研究が面白いこと、就職先は近畿。九州方面を望んでいること、現在を大切
にしながら、将来の方向が固まってきていることを聞いて、素晴らしいこと
と感じました。
3, TOMOMIは30人いる部下の面倒を見たり、副所長業を楽しんでいる
こと、定年後は、実践活動に戻りたいこと、などこれも現在を大切にしな
がら将来の方向がかなり決まっていることを感じさせた。

< 終わりに >
コロナ禍の中で、最大の感染防御をしながらの三日間でした。
生きると言うことは、ひとり一人の進む方向を尊重し、お互いの違いを認め
相互に対話していくことらしい。また、生きることは、人とのつながりで
あることを思い出し、同時に、今、実感していることを確認した三日間でした。 


11

2020/7/23 | 投稿者: naoko

     7月誕生記念で "うきは”へ小旅行に行きました。

NAOKOです。

昨年末から「うきはベース」を立ち上げて、地元の方々から様々な支援
をいただき活動している次男が、誕生日記念に街を案内したいと提案し
てくれた。
こんな訳で、SHOJIと3人は「一泊うきはの町屋泊まり」を楽しむことに
なった。

コロナも幾分落ち着いてきたかのように見えたので実行出来たが、帰宅
するやいなや、それまで感染者0だったうきはも1名確認されたと言うし
福岡、東京、大阪も第2波かと思われるほどの増加となった。ヤレヤレ!
でも実行してよかったと今は思っている。


<そもそも うきはにご縁が出来たきっかけは >

10年来福岡で自転車屋をいとなんでいる次男が、8年前になるか2012年の九州         北部豪雨に見舞われた"うきはの有名な棚田”の被害を知って、仲間と
共に石垣の修理ボランティアに参加したのがきっかけだったらしい。

その後地元の人々との交流が地道に続いて、今では市を上げての地域
復興の1メンバーとなっているらしい。
マウンテンバイクのコースつくりを地元の人々と話し合って盛り上がった
りしながら、地域の活性化に貢献出来ればと考えているようだ。

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白い建物がうきは市の廃園にになった保育園を地元のご厚意で借り受け
「G-サイクルうきは妹川ベース」となっている

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入るとマウンテンバイクは見当たらず人々が集う場所がドーンと広間に
あるのみで、バイクは隣の倉庫に収納されているのだった。
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薪ストーブも中央に設置されている。薪は地元林業の間伐材を使う。

こんな風にして地元の方々と双方のメリットを編み出しているのか!!
まるでPCAの実践の場のようだね、とSHOJIとも話したのだった。


< 緑と清水の街、うきはの清水を求めてドライブ>
「うきはベース」のすぐ横には水天宮があり、そこから湧き出る清水が
小川となって流れている。
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聴音の滝 冷風が気持ちよい。
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清水禅寺 おいしい湧き水が沢山わきだし、地元の人々がくみに来る。 
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筑後川大石堰 ペシャワール会の中村医師にが参考にした山田堰より
いくらか近代的。
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< 宿泊は吉井の街道沿いの町屋宿 >

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町屋宿「以久波」は築100年の油屋だった。古民家で懐かしくもあり、珍
しい家具などもあった。ここから夕暮れになってからぶらぶら散歩は
暗い夜道ながら蝋燭業で名をあげ白壁のた豪邸や銀行等が裏道にまで
伸びており、江戸時代から潅漑のためだったり、物資を運んだりした
クリークが縦横に流れており、気持ちよい散策となった。
ただ私にとっては、街道に現代的なダンプが夜通し走るのでぐっすりは
眠れなかったのが残念だった。


< お洒落なカフェが次々開店する流川エリアで・・・ >
またまた面白いご縁のつながりが出来たことも付け加えておきたくなった。

つい先月6月から開店した『日曜カフェ 歓(ほあん)』のことです。
うきはに行くに当たって長男の妻N子さんからこの情報をもらって驚いた。

長男の小学校、中学校、高等学校の同級生で、妻のN子さんとはこれまた
偶然に高校の同級生、だから3人は同窓生になる訳だ。この度、日曜だけ
のカフェを開店した友だちは、普段は福岡で鍼灸師と助産師をしていて、
いくつかの大学の非常勤もしているという奇才なオーナーなのでした。
彼女と大いに昔話が出来たことは私にとっては特記すべきことでもあります。
そしてその傍に立っているお母さんとも、PTAでご一緒していた訳だから・・。
3年前にうきはに一人で移住されてきたという我々と同世代のお母さんの
生き方にSHOJIと共に感動したのですが、その話はここでは割愛します。

薬草茶、ケーキ 薬膳カレーをいただいた。優しく美味しい味だった。
予約すれば薬膳料理のコースをいただけるようです。


こんな風にして過ごしたうきは小旅行は短い時間ながら充実した旅でした。
忙しい中を一緒に私の83歳の誕生日を楽しんでくれた夫SHOJIに感謝します。
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